ザ・サイレンス(沈黙)
青空に輝いた星の光を、アルフレッドは呆然と見上げた。
太陽すら圧する光、あれは――と記憶を探り、見覚えのある光景を探す中で、アルフレッドは過去の記憶の一端を探り当てた。
それはもう十年も前――十五歳のあの日、自分のスキル【凶獣遣い】が発現したときの光景だった。
一層輝いた星が、地へと落ちてきた。
その星はまるで吸い込まれるようにしてイロハの頭上に降りてきて――白い清純な光でイロハを包み込んだ。
「馬鹿な――!」
アルフレッドは呆然と呟いた。
スキルが覚醒したというのか、このタイミングでか?
それも覚醒の儀式を経ず、全くの自力でスキルを覚醒させることなど――アルフレッドは聞いたことがなかった。
「そなたは……魂までその穢らわしき神に売ったのか」
低く、まるで地の底から響いてくるようなイロハの問いに、アルフレッドは息を呑んだ。
「無抵抗の人間を手にかけてまで、そなたはその神のために事を成したいのか。そなたはそこまで堕ちたのか」
まるで神の断罪を受けているかのように、アルフレッドは一言も発することが出来なかった。
抗弁も釈明もできないまま、アルフレッドはよたよたと後退した。
イロハが、血まみれの顔を上げた。
「その穢れきった魂、もう赦すことはできん……!」
ぎゅっ、と、音を立ててイロハの拳が握られる。
あ――! という自分の悲鳴が耳に届いた瞬間、イロハの姿がその場から消失した。
狼狽えるより先に、凄まじい衝撃が脇腹を突き抜けた。
メリメリ……! という身体を引き裂かんばかりの衝撃に、殴られた、と気づいたのは更に数秒後、派手に吹き飛ばされた後だった。
アルフレッドは砂に塗れながら砂浜を転がった。
なんとか手をついて立ち上がろうとした途端、全身の神経を磨り潰されたかのような激痛が這い上がってきて、アルフレッドは堪らず悶絶した。
何なのだ、この力は、この衝撃は。
やっとのことで拳をついて身体を起こしながらアルフレッドは考えた。
それはもはや人外の怪力――身長差で1.5倍はある自分を十数メートルも殴り飛ばすことなど、どう考えても普通の人間の力ではない。
一体何が起こっているか皆目わからなくなったアルフレッドの視界に――ゆらり、とイロハが歩み入ってきた。
「あ……!」
「どうした、アルフレッド? こんなところで寝ている場合か」
まるで人が変わったかのように、冷酷で、残虐な声だった。
これが、あの非力で愛らしかったプリンセスの顔か。
戦慄に震えるアルフレッドを、イロハは異様な目で見下ろした。
「さっさと私を弑してみよ。貴様は既に人一人を殺しているのだ。さぁ、責任を持って立ち上がれ。私に立ち向かってみせよ。神とやらの業を完遂してみせよ」
「あ……う――!」
「なんだ……やれぬのか。ならばこちらから行くぞ――」
ゴォ――という、空を斬る音とともに、視界に閃光が走った。
もはやどこが上でどこが下かもわからなくなりながら、更にアルフレッドは砂浜を転がり、波打ち際まで弾き飛ばされた。
冷たい海水にしとどに濡れながら、アルフレッドはこちらに近づいてくるイロハを見上げた。
血に塗れた両拳に、先程の星の光と同じ――白く、冷たい光が輝いているのを見て、アルフレッドは理解した。
おそらく、イロハに発現したのは身体強化系のスキル。
幼い頃から大公に相応しい力を求め、身体をすり減らして研鑽に励んだ一念が天に通じたのだろうか。
その力は、才能の有無では比べ物にならないほどの差があった自分を圧倒し、満足な抵抗も許さずボロ布の有様にするほどのもの――。
これならば三百万になんなんとするズンダーの民を、たった一人で十分に庇い護っていけるだろうと思わせる力だった。
ぐい、と、胸ぐらを掴み上げられ、今度は乾いた砂の上に放り投げられた。
口の中に入り込んでくる砂粒の感触を不快に思いながらも――次第に、アルフレッドの心を奇妙な安堵が満たし始めていた。
「もはや抵抗する気力もないか。貴様の信ずる神に見放されたか? これだけボロ雑巾になった貴様を、何故貴様の神は救わん? 理由を申してみよ」
つま先で頭を転がされて、アルフレッドは天を仰いだ。
暴君そのもの、悪鬼のように冷たい目が自身を見下ろすその先に――高い青空があった。
神よ――私が信じ、縋った神よ。
私はこの人に敵いません。
おそらく……犯した罪によって裁かれるでしょう。
でも――満足です。
彼女は今や立派にこの大地を背負ってゆける力を得たようです。
この幼くも圧倒的な力を得た彼女のような王がいれば、この地に裁きはもう必要ないでしょう。
私のような存在を二度と生み出さぬ世界を創ってゆけるでしょうから――。
ぐっ、と、イロハが拳を握り締めた。
この拳が振り下ろされれば、自分の頭など簡単に潰されるだろう。
ああ、これで終わる――もう苦しまなくてよいのだ、と理解した身体が、遂に生きることを諦めたようだった。
「おやりなさい、プリンセス」
血と砂でがさがさになった唇が、何故だか笑みの形になった。
イロハの鬼のような表情はそれでも揺らがない。
それを自分が最後に見たものにしようと決めて、アルフレッドは目を閉じた。
「さぁ、やりなさい。ズンダーのために。私が殺したあの娘のために」
ぎゅっ、と、イロハが拳を握りしめる音が聞こえた。
目を閉じた闇の中、一瞬の間があり――。
耳を聾する轟音が、アルフレッドの身体を突き抜けた。
地殻を突き通り、世界の裏側まで達したのではないかと思わせる衝撃であった。
何秒そうしていただろう。
不意に――ぴちゃ、ぴちゃ……と頬に何かが降ってくる感触があった。
目を開けた先にあるのは、罪人が落されるという地獄の光景。
覚悟して薄目を開けたアルフレッドの目に映ったもの、それは――。
砕ける程に歯を食いしばり、顔を憤怒に歪ませたイロハの顔だった。
いっときは生きることを諦めたはずの身体に、不意に僅かばかり力が戻った。
目だけを動かして横を見て――イロハの振り下ろした拳が、自分の頭を砕くはずだった拳が、自分を避けて傍らに突き立っていることに、ようやく気がついた。
どうして――。
アルフレッドがイロハの顔に視線を戻すと、食い縛った歯の隙間から、ふーっ、ふーっ……という耳障りな呼吸音が聞こえた。
怒りと、憤りとを皮一枚でこらえているらしいイロハの顔を伝い、血混じりの涙が流れ落ちている。
「う……うぅ……!」
憤怒が収まりつつある声で、イロハは呻いた。
正しく地獄の刑吏そのものだった悪鬼羅刹の表情が、ゆっくりと、元のイロハのものに戻ってゆく。
「う――! うぅ……!」
ボロボロ、と、その目から大量の涙が滴った。
どうしようもない悔しさに暮れているらしいイロハの目が、ぎゅっと強く瞑られた。
「うぅ……! うわああああああああああああん!!」
張り詰めていたものが切れた声で、イロハはアルフレッドの上で泣き喚き始めた。
空を見上げ、声の限りを張り上げて、腕を放り出して、イロハはまるで幼子のように泣いた。
その鳴き声は潮騒に掻き消されることもなく、砂浜に、島中に、マツシマの美しき海に響き渡った。
何故正しく生きてはくれなかったのか――。
アルフレッドにはその慟哭の声が、そう自分を責めるものに聞こえた。
不意に――アルフレッドは理解した。
ああ、できないのではないのだ、この子は。
この子は臆病なのではない、優しい子なのだと。
どんなに怒りが目を眩ませようと、どんなに憤りが深くても。
この子は優しいから――決定的に人を傷つけることを自分に赦さないのだ。
それを理解した途端、忘れていた激痛がぶり返してきて、アルフレッドの意識が薄らいだ。
全身の神経が全て断裂してしまったような痛みの中、ふと――まるで長年抱えていた重荷を降ろしたような安堵感と解放感が湧いてきた。
その心地よさに抱き抱えられるようにして、アルフレッドは何を迷うこともなく、意識を手放すことにした。
己を呪い、世界を呪った青年。
ベニーランドを、ズンダーを、己の生きる世界の全てを破壊せんと企てた、この悲しい青年――アルフレッド・チェスナットフィールドは、そうして遂にマツシマの砂浜の上に沈黙した。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





