サイハデ・ノ・パラズン(最果ての田舎者)
振り続けた右手が痺れてきていた。
一体何体の魔物を撃墜し、侵攻を阻んだだろう、百、あるいは二百――?
ぜぇぜぇ、という自分の喉が立てる音を不快に思いながら、オーリンは左手で額に浮かんだ脂汗を散らした。
その間にも、魔物たちは地鳴りの音を立てながら本土を目指して歩いていく。
魔法障壁をいくら展開しようときりがない数を前にして、オーリンは刻一刻と削れていく己の魔力量を計算した。
あと何分持つだろうか、三十分――いや、残り時間はもっと短いはず。
いくら魔法障壁の消費魔力は少ないとは言え、千も二千も展開し続ければ減り続けるのは自明の理。
己の魔力量が尽きた時は、この魔物たちの百鬼夜行をベニーランドへ、そしてズンダー領に素通りさせる時――。
一体や二体はベニーランドを護る《金鷲の軍勢》や衛兵たちに期待して、とりわけ危険そうなものだけを仕留めることにするか?
いいや――それではあの群れの中から危険そうな魔物を探すのに時間がかかるだけで意味がない。
いくら危険度が低い魔物でもその数が膨れ上がれば、如何にベニーランドといえど対処は難しいだろう。
ギリ、と奥歯を噛み締めて、オーリンは再び右手を振り抜いた。
海底の道を歩いていた大蜘蛛が展開した魔法障壁に弾き飛ばされ、大海原の中に落ちる。
その瞬間、意図に反して魔法障壁がチカチカと点滅し――まるで崩れ落ちるかのように消えた。
「魔力、もう限界だっきゃの……」
呟いた弱音は、地鳴りと潮騒にかき消され、自分の耳にすら届かなかった。
全く、情けない――シラカミの山の中に潜り込んだ時はもっともっと危険な目にあったというのに。
あそこで着の身着のまま過ごした三日間は、襲ってくる魔物も去ることながら、極度の寒さと飢えとでそもそもただ生きていることが難しかった。
あのときに比べたら雪がなくて踏みしめる大地が確かなだけ条件は有利なはずだが――オーリンは自分の不甲斐なさに歯噛みした。
そもそも――とオーリンは考えた。
いくらスキルを磨いたからと言って、この数――空も海も覆い尽くすほどの魔物を同時に使役することは尋常なことではない。
【凶獣遣い】などとあの男は呼んでいたが、通常、テイム系のスキルは操る魔物の数や凶暴さによって魔力量の消費は早まる傾向があるはずだ。
こんな大量の魔物たちを同時に使役すれば一分と経たずに魔力は尽き、以降は逆さに振っても出てこないはずなのだが――操られているのはこの数である。
あの男は一体何者なのだ。
否、あの男の背後に何がいて、この無尽蔵とも言える魔力は一体どこから供給されているというのだ?
その事実を改めて思い返して、少しぞっとする気分を味わったオーリンは、ええい、と大声を上げてその気弱な想像を振り払った。
今は目の前のことに集中しなければならない。
シカラミの熊も、トワダのドラゴンも、そしてオガワラの人喰い蜆たちも、こっちが弱気になったところを目敏く見つけては襲いかかってくる。
アオモリでは、生きることを、闘うことを諦めたものから喰われる――その原理原則を思い出したオーリンが己を奮い起こし、再び右手を振り抜こうとした途端だった。
「イケる! イロハ、頑張って!」
不意に――予め広げていた感知野にそんな声援がかすかに届き、はっとオーリンは顔を上げた。
瞬時、意識を集中させ、オーリンは島の反対側にいるはずのレジーナたちの様子を探した。
「あなたは絶対に無力じゃない! あなたならできる! お願い、絶対に負けないで! ズンダーの未来を護る……今のあなたならそれがきっとできる! 頑張って!」
なんと――アルフレッドの前に立ちふさがっているのはレジーナではなく、イロハではないか。
魔物に睨まれれば青ざめ、オロオロするだけの臆病者だった癖に、イロハは今や二本の足で大地を踏ん張り、木刀を構え、アルフレッド相手に一歩も退かぬ構えを見せている。
あの短躯には長すぎると思える木刀を天に向かって振り上げた姿――それはまるでムツの海で水揚げされたクリガニがハサミを振り上げて精一杯人間を威嚇しているかのようで、少し可笑しかった。
へへっ、とオーリンは笑った。
「なんだや、エロハの奴……やればでぎんでねぇがよ」
そう、彼女は今、遥かなる星に手を伸ばそうとしている。
ただ見上げるだけ、憧れ続けるだけだった兄の背中に手を伸ばし、力づくでそれをねじ伏せようとしているのだ。
負げでらんねぇ、とオーリンは口の中に呟いた。
あんな臆病者さえ、勇気を振り絞って立っているのだから。
ここで自分が先に倒れれば、せっかく星へと伸ばした彼女の勇気がなかったことになってしまう。
すう、とオーリンは息を吸った。
もう魔法障壁を展開し続けるのも限界だ。
少ない魔力で伸るか反るかの大勝負に打って出る時が来たようだ。
「斗南流、【八蝕】、一式――」
彼が最果ての地、アオモリで習得した魔法の種類は、それほど多くはない。
十五歳でスキルに目覚め、王都に向かう十六歳までの一年間、彼はアオモリの各地を旅してはその道の達人と出会い、その技を磨いた。
ある時はシラカミの奥深い山中へ、あるときはオーマの大海原へ、あるときはオソレザンのシャーマンキングの下へ。
一年というごく短い期間ではありながら、彼は様々な経験を積み、辺境の各地に伝え残された魔法の秘伝や極意の習得に励んだ。
斗南――北斗七星より南。
それは人間が生きる最果ての地、アオモリを指す言葉だ。
この大地の遥か彼方、人間が生きるのにあまりにも適さない過酷な辺境の大地に、それでも連綿と生を紡いできた人間たちの技と力たち。
その数々を垣間見た彼は、王都に渡ってからもその技と知識とを磨き続け、それは遂に八つの奥義として結実した。
【八蝕】――那由多の敵をも蝕む八つの絶技。
文字通り那由多の敵を前にして、彼はそのひとつを行使する決意と覚悟とを固めた。
瞬時、瞑目の状態で意識を集中させ――。
克、とオーリンは目を見開いた。
そのまま身体を開き、両腕を刃の如きに構えたオーリンは――大音声で一喝した。
「八蝕、一式!」
研ぎ澄まされた魔力が両腕に満ち、唸りを上げた。
「【太刀佞武多】――!」
瞬間、オーリンは魔物の群れに向かって両手を振り抜いた。
シュン――と、海と、そして大気をも鋭利に切り裂く音が発し、須臾の間に海底を征く魔物たちの間をすり抜けた。
途端に、海が、無残に断ち割れた海の壁が――見えない刃に斬り裂かれたかのように、弾け、白波を立てる。
不可視の刃は空を切り裂き、その先に鎮座していた島の岩山をも真っ二つに引き裂いた。
一瞬、魔物たちの群れが、痙攣したように動きを止めた。
その直後、ズル……という不気味な音ともに、怪物たちの身体が両断され――痙攣する間もなく海底の道に折り重なった。
「化け物だ、こっからが強情者ツガルもんの本気だァ! 覚悟し腐れァ!」
絶えず吹き出てくる冷や汗を散らしながら、オーリンは腹の底からの声を張り上げた。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





