ジグナシ(臆病者)
「嘘だ――嘘だ!」
イロハは目の前の光景を、今の言葉を否定するかのように絶叫した。
「信頼していたのに――! お前だけは、お前だけは私の味方だと思っていたのに――!」
その一言に、アルフレッドはレンズの奥の目を僅かに見開いた。
「私だけが味方? 勘違いも甚だしいですな、プリンセス・イロハ。あなたはずっと厄介な勘違いをしておられるようだ」
「アルフレッド――! いつからだ、いつから私を――!」
「違う、そういう意味ではない」
アルフレッドの鋭い否定の声が響き渡る。
え? と驚いたようにイロハは立ち竦んだ。
「私が問いたいのはこういうことです。――そもそも、あなたに敵など最初からいないはずでは?」
その挑戦的な問いかけに、イロハが「なんだと……!?」と仰天した表情を見せた。
さぞかし愚かなものを見るかのように、アルフレッドは口元を歪めた。
「あなたに召し出されて四年。私はあなたに嫉妬しないことはなかった。私と同じく、あんな狂った獣から生まれた人間だというのに、あなたは誰からも愛されていた。執政も将軍も、臣下も、そして兵士たちですら――幼く愛らしく、健気に努力するあなたをまるで実の娘のように愛し、可愛がった――それは明らかに君と臣の間の愛情を越えたものでした。ただただ、あなたの方がそれに気がつかなかった、いや……受け入れようとしなかっただけだ」
まるでその言葉自体が呪いであるかのように、アルフレッドの言葉は凄みを帯びていた。
地の底から華やかなる地上を睨め上げるかのような、深い怨念を感じさせる言葉に、イロハが怯えた。
「そ、そんなはずはない……! だ、だって現に執政と将軍は、私がどんな風になっていても構わないと言った! それは私に興味がないから――!」
クス、と、アルフレッドが嗤った。
まるで駄々っ子をあやすかのように、アルフレッドは跪いたままのイロハの前にしゃがみ込むと、肩を抱き、その愛らしい顔を覗き込んだ。
「いいですか。正常な愛情を持った親というものはね、愛する娘に対して、死なずに生きていてほしい、いや――たとえどんな姿でもいいから戻ってきてほしいと願うものなのですよ、プリンセス・イロハ」
教え諭すような声に、イロハが――今度こそ絶句した。
硬直しているイロハの目を覗き込むアルフレッドの瞳は、まるで奈落に通じているかと思うほど昏い。
「あなたに興味がないから? 馬鹿を言っちゃいけない。それはむしろあなたの身を非常に案じているからこその一言だったのです。あなたはどうしてそう、投げかけられる愛情に怯えるのです? ただ受け入れればいい、愛されている自分を幸せだと思えばいいだけなのに……何故そうは考えないのですか?」
アルフレッドの声が憐れむような色を帯びた。
「私の母はね、あなたの父によって王宮を放り出された後、頭がおかしくなったんです。ただただ一方的な欲望のために穢され、捨てられ、その結果生まれた私を――息子として正常に愛すことは遂になかった。ただただ日がな一日中、嘆き、悲しみ、恨み……私にきっとズンダー大公家に復讐を遂げよと刷り込み、やがて自ら命を断った」
アルフレッドは、自分の、そしてイロハの中に流れる血を自嘲するかのように薄笑みを崩さない。
「美しい母でした。哀れな母でした。その苦しみは終ぞ癒えることがなかった――私がいたからです。穢れた獣との間に生まれた忌み子――私を見るたびに、母はきっとあの屈辱を思い出していた」
アルフレッドはそこで言葉を区切った。
「あなたによって王宮に召し出された後も地獄は終わることはなかった。同じ獣から生まれたはずのあなたなのに、誰からもこよなく愛され、それに応えようとひたむきに努力するあなたが――私には天に輝く綺羅星のように見えた。私は汚れ、ぬかるんだ地面からそれを漫然と映し出す泥水――魚が住むことも、旅人の喉の渇きを癒やすことも、美しい水鳥が訪れることもない――ひたすらに意味のない存在に思えてならなかった」
アルフレッドはそこで大仰にうなだれた。
そしてしばし沈黙した後、「もう、疲れた……」と、莫大な徒労を滲ませたような声で言った。
「手に入らなかったもの、手に入ったかもしれないもの、周囲がほんの少し、もう少し正常でありさえすれば、私のものだったはずのもの……そんなものばかり間近で見せつけられて、どれほど苦しかったと思いますか? 私がどれほど――恨めしかったと思いますか?」
アルフレッドは顔を上げた。
その顔には、もうなんの感情も浮かんでいなかった。
「私はあなたを赦さない。否――赦してしまっては生きられないのですよ」
ぐっ、と、イロハの肩を掴んだアルフレッドの両手に力が入った。
痛みに呻くこともなく、イロハは呆然とアルフレッドの顔を見つめていた。
「そんな……」
思わず、レジーナの口からそんな声が出た。
「それでプリンセスを殺し、大公位を簒奪しようと? あなたは大公になれれば――それで満足なんですか?」
レジーナの非難めいた問いかけにも、アルフレッドは答えず、ただただ目を伏せているだけだ。
その沈黙が痛々しくて、腹立たしくて、レジーナは言葉を重ねた。
「あなたは見ていたんでしょう!? イロハがどれだけ大公になるために努力していたかを、ボロボロの掌を! イロハはあなたを信頼しようとしていたから、あなたを召し出して護衛にまでした! それなのに裏切るなんてひどすぎる! イロハは、イロハはただ、味方がほしかっただけなのに……!」
「何もわかっていない口を挟まないでいただきたい」
軽蔑するような口調とともに、アルフレッドはレジーナを睨んだ。
その目の鋭さに思わず口をつぐむと、アルフレッドはゆっくりとイロハに向き直った。
「この人が私を召し出して側近に仕立て上げたのは、味方がほしかったからではない。私に大公位を簒奪してほしかったからだ……そうでしょう?」
はっ? とレジーナは、その言葉に虚を突かれた。
確信めいたアルフレッドの口調に、感情を失ったイロハの目が僅かに見開かれる。
「この人は疲れていたんですよ。大公という名の重さにも、その重責に到底耐えることの出来ない、非力で無才な自分を責めることにも。だから向けられる愛情や期待を拒否し続け、自分より明らかに優れている私を側近にした。今のように後ろから斬りかかってほしかったのです。自分ではそれが出来ないから、その役割を他人に押しつけたかったのです。本当にあなたは――どこまでも恥知らずの臆病者だ」
ねぇ? と確認するかのように、アルフレッドはイロハに向かって小首を傾げてみせた。
その不気味な振る舞いを最後に、ゆっくりとアルフレッドは立ち上がった。
「生憎、その期待には応えられない。私は大公位などに興味はない」
アルフレッドは崩折れたまま震えているイロハを見下した。
「間違っているのは私ではない、私を生み出した世界の方だ。私は力に狂った父、そして恨みつらみを唱えるしかなかった無力な母とは違う生き方がしたい。私が到底納得のできない世界を変える、そのために私はここに来た」
もはや説得など不可能な声でアルフレッドは宣言し、今度はオーリンとレジーナを見た。
「あなたがたのおかげです。ようやく私の大願は成就する。私を、私というものを生み出した世界を踏み躙り、私が生きるに相応しい地獄に変えるための――これは正統なる神の裁きだ」
「神だってな?」
オーリンが鼻白むかのように言った。
「そんでお前はワサオやマサムネにあんなごどを喋らせだと? 人間どもに至上の罰を、ってが? あんまりのぼせ上がんな。自分が神さんにでもなったつもりなんが」
そのオーリンの言葉に――アルフレッドは無言で、笑みを深くした。
その笑みは不気味で――なおかつレジーナの目には、何か別の意味を含んだ笑みに見えた。
まるで自分たちが何も知らないことを憐れむかのような、奇妙な哀惜を含んだアルフレッドの表情に、オーリンは不審そうに眉間に皺を寄せた。
「私は神になどならない。私は殉教者。穢れた神を調伏し、この世界を本来あるべき秩序に戻すために目覚めた者。――真の神のご守護と奇跡は、今、私の中にある」
アルフレッドは、トン、と足元を踏み鳴らした。
途端に、足元に幾何学模様の魔法陣が広がり――凄まじい光を発した。
う――! とレジーナが顔を背ける間にも、次なる変化は始まっていた。
ズズズ……という、聖堂そのものを揺らす震動が床から身体に伝わり、レジーナは虚空を見上げた。
地震か? いいや違う。耳に聞こえるのは明らかに海のうねる音――今まで静かだった海が咆哮する音だった。
一体何をした? アルフレッドを見つめると、アルフレッドは端正な顔で微笑んだ。
「外へ行ってごらんなさい。あなた方も目の当たりにするがいい。神の奇跡をね」
その一言に、オーリンがレジーナを見た。
「レズーナ、外へ出はれ! エロハは俺が連れて行ぐぁ!」
その大声にいくらかの冷静さを取り戻したレジーナは床に手をついて立ち上がり、聖堂の扉を開け放って外へ出た。
そのまま木立を抜け、広い砂浜へ出たレジーナは――目に飛び込んできた光景に唖然とした。
海が、美しく蒼き海が――まるで見えない刃で切り裂かれたかのように割れていた。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





