ウーメン(温麺)
ウェノを発って一月あまり。
とぼとぼ、と、この一月で随分底が磨り減ったような気がする靴を引きずりながら、レジーナは王国道四号線を歩いていた。
国内有数の辺境地域であったグンマーを死ぬような思いで越え、三日も歩いて、レジーナたちはやっとズンダー大公領に入った。
途中、これが王国街道であるとはとても思えないほど荒廃し、荒れ放題になっていた道にも、徐々に人や馬車の行き来も増えてきて、食事処や屋台の類も着実に数を増していっている。
やっと人口密集地帯に入れそうだ……レジーナはこの一月あまりの苦難の行軍を思って、ようやくため息がつける気分を味わっていた。
「それにしても、我々よく死にませんでしたね……」
なんだか、寝ても寝ても取れない疲れを重く感じながら、レジーナはぽつりと言った。
その声に、先をゆくオーリンも「んだなぁ……」と感慨深げに頷いた。
「グンマーのお山の中で雪男さ会った時ぁびっくりしたばてなぁ。まさがあさな怪物でばいるど思ってながったもな」
「そうですね……しかも【通訳】してみたら意外に通じたのが驚きですね」
「顔でば怖かったども存外イイ奴であったな」
「もう彼には足向けて寝られませんね。彼がいなかったら我々、間違いなくあのまま雪に囲まれて凍死してましたから」
「んだんだ。あいづの巣穴で温かいご飯食わせてもらっだ時ぁ俺、涙もちょちょぎれだど」
「あんな美味しいご飯はなかったですねぇ。また食べたいなぁソースカツ丼……」
ハァ、と、あの甘酸っぱいソースの味を思い出しながらレジーナはため息をついた。
何の肉を使っていたかは別にして、とりあえず温かい料理を食べた時の、あの喜びと言ったら――。
あの時カツの切れ端をもらい、尻尾を千切れんばかりに振っていたワサオも、ワフッ、と同意するかのように短く吠えて遠い目をした。
「まぁレズーナ、それはいいどしてよ……人も増えできた。そろそろベニーランドさ入るど。何が起ぎるかわがんねはで、気ば引き締めろよ」
オーリンが硬い声で言い、レジーナは頷いた。
この道中で今の所、ワサオと同じように、人口密集地帯で大暴れした魔物の話は聞いていない。
もしかしたらワサオに掛けられた呪い自体、ズンダー大公を騙った単なるイタズラであった可能性も出てきた。
だが、全ての真相はズンダー大公の支配するベニーランドについてみなければわからない。
全ての答え合わせが済むのはベニーランドに入ってから、気を抜けないぞ――そう気持ちを引き締めた途端だった。
引き締めた心とは裏腹に腹の皮が緩み、ぐう、と、気の抜けた音がレジーナから発した。
あっ、と思ったが拾いに行くわけにもいかず、耳ざとくそれを聞きつけたオーリンが呆れたような顔でレジーナを見た。
「……レズーナ」
「しっ、仕方がないじゃないですか! だって今日だって朝から何も食べてないし……!」
「はぁ、まぁ確かになぁ――」
赤面しながらのレジーナの言葉に、オーリンも何度か頷いた。
この旅は常に食うや食わずが当たり前だったこともあり、旅の目的地を前にしたら目的意識よりも食欲の方が勝ってしまう。
オーリンもそれは同じらしく、胃腸に伺いを立てるかのようにローブの腹の辺りを触った。
「仕方ねぇ、まだちょっと早ぇども、温麺でも食ってぐが」
「ウーメン?」
「ここらの名物さ。温かい麺を使った汁で、心も身体も温かくなるど」
「わぁ、それいいですね! さぁさ先輩、適当に店に入りましょうよ!」
レジーナがは嬉々として、道の両側でうるさく人を呼び込んでいる飯屋に駆け寄った。
「あの、私たち二人と一匹なんですけど……!」
座れますか、とレジーナが言った途端だった。
バサッ、と、何か一枚布を鋭くはためかせたような音が頭上から降ってきて、一瞬、日が陰った気がした。
途端に、呼び込みの声がピタリと止まり、見ている目の前で飯屋のドアがピシャリと閉められた。
え……? と驚いていると、今まで賑やかだった街道の喧騒が吸い込まれるようにして止み、立ち並んだ店屋が次々と入り口を閉ざし始めた。
行き交う人々も不審そうに立ち止まり、突然空気が豹変した街道は異様な雰囲気に包まれた。
「ん? なんだべ――?」
オーリンが言った、その途端。
バサッ、と、再びの音が空に発し、レジーナも釣られるようにして空を見上げた。
王都よりも何故か少し澄んで見える青い空を――巨大な黒い影が横切った。
鳥だろうか、と目を凝らしてから、それにしては少々大きすぎると思った。
なんだろう――とその姿を目で追ったレジーナは、それがゆっくりと虚空に輪を描き、地上に向かって降下してくるところを見た。
鳥――では、やはりなかった。
「それ」はまるで小山のような体躯で――鳥というよりもコウモリを思わせる羽を、ばさり、ばさりと上下に動かしている。
くすんだ緑色の体表はゴツゴツとした鱗に覆われ、そのいかつい顔面にはにょっきりと二本の角が生えているのがわかる。
あれは、あれはまさか――。
驚きが徐々に恐怖に変わっていった、その瞬間。
レジーナの頭の中にしわがれた声が響き渡った。
【吼えよ、翔けよ、そして地上にあまねく知ろしめろ、人間どもに贖いの流血を、至上の罰を――!】
そう【翻訳】された言葉が行き去らぬうちに、「それ」は真っ赤な口腔を広げて咆哮した。
磨りガラスを軋ませたような、耳を劈く絶叫が辺りをビリビリと震わせ、その場に立ち止まっていた旅人たちが肝を潰したように逃げ惑い始めた。
「な、なんだやあいづは――!?」
オーリンが驚いたように声を発し、レジーナはその巨大な影を目で追いながら、呆然と立ち尽くした。
そう、それはレジーナが生まれて初めて見る獣の姿だった。
この地上に於ける生態系の頂点に君臨する生物。
古来、その飛来そのものが「天災」と称されたという凶獣。
現代ではその実在すら疑われ、空想上の生物であると考えられていた伝説の獣――。
飛竜。
今の今まで空想上の生物であるとレジーナが信じて疑っていなかった怪物が――。
あろうことか、土埃を巻き上げてレジーナの目の前に降り立っていた。
こごまで読んでもらって本当に迷惑ですた。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





