ホジバ・ネグス(正気を失う)
異様な恐怖が全身を貫いていた。
次々と襲いかかってくる人間の成れの果て――ほとんど生ける屍と化したウェノの住人たちの住処は、街というよりは巨大な毒虫の巣を連想させる不気味さだった。
あらゆるものを拾い、綴り合わせ、ようやく雨風が凌げるだけの覆いの連なりの中から、亡者たちは次々と這い出して、容赦なく襲いかかってくる。
「これが人間――!? まるっきりバケモノじゃない――!」
レジーナの震える声に答えるものなどいない。
今まさに墓場から蘇ったようなウェノの住人たちは、その細い体の何処にこんな馬鹿力があるのかと疑いたくなるほど、常軌を逸した速度と跳躍力で次々と襲いかかってくる。
レジーナたちが必死になってウェノの街を走り、深入りすれば深入りするほどに亡者たちは数を増してきていた。
焦るレジーナの視界に、突然、数体の影が踊った。
新たな亡者たちだ! 目の前にようやく開いた一筋の道に、数人の亡者たちがよたよたと危なっかしい足取りで這い出してきた。
「ゴメンネゴメンネー! ゴメンネゴメンネー! ゴメンネゴメンネー!」
「コノバカチンガ! バカチン……コノバカチンガ! ア、ガラガラガラ! ア、ガラガラガラ!」
「キミノハートニ、レヴォリューション! ココ、ウェノ、ココ! ココ、コココココ……!」
それぞれに意味不明な呻き声を上げながら、亡者たちはガクガクと頭を揺らしてこちらに走ってくる。
「先輩……!」
「任せろ! 【拒絶】!」
オーリンが足を止めないまま、右手を振り抜いた。
途端に虚空に乱舞した魔法陣が亡者たちを上から押し潰し、地面に縫い止める。
「止まるなよ! 走れァ!」
オーリンの再びの怒声がすぐ前に弾けた。
レジーナがよたよたと走ると――急に横から何かが飛びかかってきた。
「うわっ――!」
レジーナがもんどりうって地面に倒れると、覆いかぶさってきた亡者の瞳のない目玉がギョロリと光った。
「ラ、ララララ、ララッ! ラーメン、ツケメン、ボクイケメン……オッケー!!」
意味不明の喚きとともに、亡者がぐわっと口を開いた。
ヤバい、喰われる――! レジーナが目を瞑った瞬間、ガウッ! という吠え声とともに、白い影が目の前の亡者の首筋に噛み付いた。
「ワサオ――!」
スタッフゥー! と亡者は悲鳴を上げたが、ワサオは首を食い千切らんばかりに食らいついて離そうとしない。
その奮戦に勇気づけられたレジーナは、とっさに右手を伸ばして近くに落ちていた石を拾い上げ、無我夢中で男の側頭部を狙った。
「やあああああああああッ!!」
ゴキン、という衝撃が発し、亡者が横に吹き飛んだ。
レジーナがそのまま亡者に馬乗りになり、両手で掴んだ石を振り下ろそうとした瞬間――。
「殺すなっ! 正気は失ってるども人間だどっ!」
オーリンの大声が耳に届き、はっとレジーナは思いとどまった。
うう、と呻いた亡者を見下ろしたレジーナの頭の中に――ふと、か細い声が聞こえてきた。
【帰りたい――】
レジーナは思わず、亡者の顔を凝視した。
亡者の、瞳の消えた目から流れ落ちる雫は――。
この亡者――まさか、泣いている――?
【帰りたい、帰りたい、故郷に帰りたい。王都はもう嫌だ、こんなところにはいたくない。親父やおふくろがいる、故郷の、故郷のサクラダヤマへ帰りたい――】
次々と【通訳】されてくる亡者の声に、思わずレジーナは石を取り落した。
呆然とその嘆きに耳を傾けていると、ぐい、とオーリンに腕を引っ張られた。
「のさらど立ち止まるんでねぇでば! 走れ!」
そう言われて、レジーナはオーリンに手を引かれたままよたよたと走った。
走っても走っても、さっきの光景を目にした足に力が入らない。
「先輩……今の亡者、泣いてました――」
レジーナが言っても、オーリンは何も言わなかった。
無言のオーリンに、レジーナはなおも言った。
「故郷に帰りたいって、こんなところにはいたくないって……! 先輩、この人たちは一体どうしてこんなことになったんですか!?」
レジーナが言うと、オーリンがぐっと唇を噛んだ。
「――こごさいる亡者たちはよ、元々は王都で一旗上げんべって、田舎がら出てきた人間だ。それが夢破れでよ、田舎さ帰りでぇ一心でこごさ集まった。それがウェノの始まりだ」
オーリンはまるで我が事のように、痛ましい表情で言った。
「それが今や旧道は王国に封鎖さえでまった。上の新道を通れるのば一握りの金持ぢど貴族だけ……なんどが通行料を貯めんべぇどするうぢに、最早なもかもわがんねぐなって、みんなこった風になってしまうど聞いでる――」
それが、ウェノの真実――。
王都への絶望、望郷の念、痛みと故郷恋しさに狂った人々の成れの果てが、ウェノの亡者たちだというのか――。
――レズーナ、気持ちばわがるけどよ、ウェノの連中のごとばあんまり悪ぐ言うな。
そう言ったオーリンの真意が、ようやくわかった気がした。
オーリンはこの気が触れた亡者たちに――紙一重の自分の姿を見ていたのだ。
この人たちを助けなきゃ。
レジーナはぐっとオーリンの手を握り返した。
私は回復術士、痛みに苦しみ、救いの手が差し伸べられない人を助けるのが仕事だ。
「先輩、あの――!」
レジーナが決意の一言を発すると、少しだけこちらを振り向いたオーリンが、ニヤ、と口元を歪めた。
「ああ、わがってるでば。ちゃあんとその辺も考えでらでばよ。心配すな」
その余裕の笑みに――なんだか、ドキッとした。
オーリンは、自分がこの亡者たちを助けたいと言い出すのを見越してここを通ったというのか。
まさか、という思いと、いや、オーリンならやりかねないという思いが同時に湧いてきて、オーリンに掴まれた右手が何だかじっとりと汗ばんだ気がした。
そのまま、ドブ池と化している広大な池のほとりを通り過ぎ、元々は公園であっただろう場所を駆け抜けると――目の前に巨大な城壁が見えてきた。
王都をぐるりと取り囲む城壁――その城壁の土手っ腹に、厳重に鎖された古い古い門扉がある。
何故なのか、門扉には数多くの亡者が取り付き、ここを開けろとでも言うように、せわしなく叩いている。
あれは一体――? レジーナが目を瞠った、その途端だった。
「レズーナ見ろ! アレが旧街道だ! アレを解放せば亡者どもも故郷さ帰れるんだ!」
こごまで読んでもらって本当に迷惑ですた。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





