オヤマ(恐山)
「ここからズンダー大公の本拠地であるベニーランドまでは約350km……遠いですね、馬車を乗り継いで向かったとしても五日はかかる行程ですよ、これ」
歩きながらの作戦会議の最中、レジーナは地図を広げながら唸った。
今までほぼ王都の生活しか知らない新米冒険者にとって、その距離は遠いを通り越して天文学的なものに思えてしまう。
「さらに王都からベニーランドに向かう間には、これと言ってめぼしい人口密集地帯がないですね……馬車どころか水や食料なんかの補給も厳しくなって来ますよ」
うーむ、と唸るレジーナに、オーリンが言った。
「それだけでねぇど。東と北の間さ向がうには様々だ危険ばある。アオモリ程ではねえばって、魔物や獣も大きくなる。気を抜けば一瞬にオソレザン行きだで」
「オソレザン?」
「アオモリの地の果てさあるこの世の地獄だ。死んだ人間ばそごさ行ぐんだずおな――」
オーリンは遠い目をした。
「オソレザンは文字通りの地獄さ。有毒なガスがモツモツど噴き上がってる上、生ぎでる人間などただの一人もいねぇ。誰が居だど思って肩さ叩けばそいづは死霊よ。アッと思う間もねぐ、そのままあの世さ引っ張り込まれるだずんだ」
一瞬、何も知らない自分をからかっているのかなと思ったが、オーリンは冗談を言っている雰囲気ではなかった。
「先輩は、その、オソレザンに行ったことあるんですか?」
「ああ、王都さ来る前に一回な。そごさ居るシャーマンキングさ会って、一週間ばりその道の修行ばしたごどある」
「シャーマン……キング?」
「死霊術の達人だ。物凄く恐ろしい人だど。一週間でも生き残れだのが不思議なぐれぇだで――」
それ以上は聞いてくれるな、というようにオーリンは口を噤んだ。
なにか余程恐ろしい目にあったのは間違いないらしく、何だか顔色が悪い。
詳しく訊くのは流石に憚られる雰囲気に、レジーナは慌てて雰囲気を変えようとした。
「でっ、でも、そんな人の下で修行したなんて凄いですね! 死霊術も使えるだなんて、先輩はやっぱり凄いです! これならベニーランドなんて何も心配なく行けますよ!」
「いや、そうはいがねぇべ」
言下に否定したオーリンは、そこでレジーナを睨むように見た。
「いいが、レズーナ。東と北の間ば目指すっつうごどはよ、あのウェノの亡者だば越えて行がねばまいねってごどだど」
一瞬、何を言われているのかわからず、レジーナはぽかんとしてしまった。
ウェノの亡者――その一言がゆっくりと頭に染み込んで来た途端、全身に嫌な震えが走った。
「う、ウェノの亡者――!?」
「んだ。王都最悪のスラム街、ウェノ――そごば理性ある人間が行く場所でばねぇ、正気ば失った人間の掃き溜めだ」
いきなり現れたように感じるその名前に、レジーナの背筋に冷たいものが走った。
王都最悪のスラム街、ウェノ――別名『亡者の啼く街』。
いつの頃からか王都に形成され始めたスラム街の中でも、ウェノは別格とも言える危険を持つ場所のひとつであると言われていた。
そこにいるのは、もはや人間とは言えぬ生ける屍のような気の触れた人間ばかり――ふと迷い込んだ人間がいれば見境なく襲いかかり、その血肉を貪るとまで言われている。
もはや国王ですら手出しが不可能な魔窟は王都中から忌み嫌われる存在であり、「ウェノに連れていくぞ」と言えば泣く子も黙るというのがここらでは常識なのであった。
「で、でも、ウェノの上に通された陸橋は――! あ、あの陸橋を通れば安全なはずでしょ!?」
レジーナは必死になって言い張った。
後代、街道の起点を塞ぐような形で巨大化したウェノを危惧し、数代前に王命で陸橋が作られ、そこが新しい街道の起点と改められた。
そこは国王直属の衛兵団が厳しく管理・警備しており、ウェノの亡者はおろか、一般人すらおいそれとは近づけない鉄壁の守りを堅持しているはずだった。
だが――オーリンは首を振った。
「まねでば。あの橋ばいつでも通れるのは貴族や大手商会のみだ。ギルドが用意してくれでだ通行手形もねぇ。とてもとても通行料どして払うお金だっきゃ無ぇおん。何があっても下の旧街道さ出ねばまねんだ」
「そ、そんな――! あんな亡者たちの中を私たちだけで突破するなんて――!」
がくがく……とレジーナは震えた。
あの、あのウェノを突破するというのか。
それは素っ裸でオオカミの群れの只中に入っていくよりもまだ危険だ。
正気なのか!? とレジーナがオーリンを見ると、オーリンがぽつりと言った。
「――レズーナ、気持ちばわがるけどよ、ウェノの連中のごとばあんまり悪ぐ言うな。あの連中はよ、あれだはあれだで悲しい人間なのさ」
その声の悲しさに、おや? とレジーナは思った。
この、恐れているというよりは気の毒に思っているような、複雑な表情は――。
オーリンはウェノに知り合いでもいるのかと思った時、オーリンが立ち止まった。
「来たか――見ろじゃレズーナ。あれが王都の入り口、王国道四号線だ」
オーリンが顎をしゃくり、前を示した。
促されるままに前を向いたレジーナは――ほう、と感嘆のため息をついた。
王都をぐるりと取り囲む城壁の上。
その上に架けられた巨大な石造りの陸橋が美しいアーチを描いている。
有事には鎖されるのであろう、巨大な鉄製の門扉は今は開かれており、ここから見れば豆粒ほどに見える人の群れがそこをせわしなく行き交っている――。
あれが王都から北の辺境地域に向かう、大陸有数の巨大街道――王国道四号線の起点か。
初めて見る王都の果ての光景。
レジーナはその雄大さに圧倒され、しばしその偉容を眺め続けた。
と――そのとき。
低い唸り声が足元に発し、レジーナははっと下を見た。
「え? ワサオ――?」
ワサオは牙を剥き出しにして、まっすぐ前を見ている。
警戒してはいるものの、そのふさふさとした尾は後ろ足の間に隠され、踏ん張った前足がぶるぶると震えている。
敵意以上に濃く滲んだ、強い恐怖の感情――その尋常ではないワサオの様子に、レジーナが眉間に皺を寄せた時だった。
「レズーナ、こっからは絶対俺の側ば離れんなよ!」
オーリンが鋭く叫び、ぎょっとレジーナは前を向いた。
まず目に飛び込んできたのは――全身にボロを纏った何かが、恐ろしい速度でこちらへ向けて駆けてくる光景だった。
頭髪は既に一本もなくなり、瞳のない、黄色く濁った目がぎょろぎょろと左右に蠢いてはいるが――かろうじて人の形を留めているなにか。
あんぐりと開けた口から涎を撒き散らしながらやってきたそれは――突如、臓腑を揺さぶるような大音声で嘶いた。
「シャアアアアアアアアアア!!」
ぐっ、と身体を矯め、跳躍したそれが、放物線を描いて飛びかかってくる。
突然の事態にレジーナの理解が追いつかないうちに――視界を巨大な魔法陣が覆い尽くした。
「【極大拒絶・獄】!!」
瞬間、ゴォン! という金属製の扉を一撃したような、重い衝撃が発し――飛びかかってきたそれが魔法陣に弾き飛ばされた。
ギャアアアッ! と、やはり獣のような悲鳴を上げて吹き飛んだそれの向こうから――新たな亡者たちが次々と走ってくる。
あれがウェノの亡者――人間なんかじゃない、生ける屍じゃないか――!
ようやくそれを理解したレジーナの背筋が、まるで氷柱を突っ込まれたように冷えた。
「それそれ来たど、ウェノの亡者だ! レズーナ、死にでぐねば死ぬ気で走れァ!!」
その絶叫に頭を蹴飛ばされ、竦みかけていたレジーナの脚に突如力が戻った。
レジーナは生まれて初めて感じる戦慄に全身を貫かれながら、オーリンの背中を追って走り出した。
こごまで読んでもらって本当に迷惑ですた。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「まっとまっと読ましぇ」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





