9 京子2
今、俺はバーカウンターの下で京子さんの太ももに顔を挟まれたまま、リュウセイたちにバレないように隠れている。
なのに、リュウセイがわざわざこっちにやってきて、京子さんのことをナンパし始めた。
「可愛いね。お姉さんの名前、教えてくれない?」
「はあ、いきなりそう言われても……」
リュウセイはいきなり京子さんのことをナンパし始めた。
米倉とデート中なのにほかの女を口説くってどういうことだよ。
「あの、彼と一緒なので……」
「ああ、本当だ。グラスが二つあるね。でも、今はいないじゃん。ってことは、今はフリーっしょ」
どんな理論だ。
相当チャラいぞこの男。
「俺、こういうもんだから。歌舞伎町のナンバーワンホスト」
「ああ、ホストなんだ。私、ホストクラブって行かないの。ごめんなさい」
「店に来なくてもいいから遊ぼうよ。裏に番号あるから」
「はあ」
なるほど。ホストだったのか。
っていうか、米倉はこんな男に夢中になってるってどういうことだよ。
ろくでもないぞ、こんな奴。
っていうか、京子さん。
太もも強く挟みすぎです。
やわらかいから痛くないし、むしろ嬉しいんですけど、健全な高校一年生にこれは刺激が強すぎます。
視覚、嗅覚、触覚が幸せ過ぎて天国への片道切符を切ってしまいそうです。
「リュウセイ、何やってんの?」
こ、この声は米倉!
まずい、なんて状況で戻ってくるんだお前は!
「あ~いや、馴染のお客様がいたからさぁ。ご挨拶してただけ」
嘘つけ!
ナンパしてただけだろ! この軟派男!
米倉! 騙されるな! 詰めろ詰めろ! ガン詰めしろ!
だが、米倉は京子さんに向かって不機嫌そうに言い放つ。
「ふ~ん。てかさあ、デート中なんだけど? リュウセイの客だかなんだか知らないけど、邪魔しないでくれる? てか、あんた誰? 何様?」
おーーーい!
そっちにヘイト向くんかーい!
米倉ーー、間違ってるよー!
だが、京子さんは冷静に対応する。
「もしかして同伴?」
「だったら何? 羨ましい? 相手してもらいたければ、金出しなよ。貧乏人のブス」
わぁーお。
ブチ切れとるやん。
そりゃこんな美人が彼氏に近づいたらいい気しないか。
「まあ、まあ。澪、もう行こうぜ」
不穏な空気をリュウセイが収める。
というか、ボロが出る前に引き上げたいのだろう。
てゆーか、こっちも限界。
理性が、もう……。
「はあ~、マジキモい。人の男にちょっかい出す女。死ねばいいのに。言っとくけど、今日一日、リュウセイのことは私が貸し切りだから。店に来ても無駄だよ。ほかの男でも指名すれば?」
「じゃ、じゃあ、またな……」
そう言って米倉とリュウセイは店から出て行った。
「驚いたわね。リュウセイに話しかけられるなんて……。でも、もう大丈夫。米倉さんは怒りで周りが見えてなかったみたいだから、薫君にまったく気が付かなかったわよ。……薫君?」
「…………」
「ねえってば」
「…………」
「あら、気を失ってる……。強く挟みすぎたかな」
◇ ◇ ◇
「ごめんなさいね。苦しかったかしら」
「い、いえ、苦しくはなかったです」
「本当に? 顔が赤くなっちゃってるけど……」
数分後、俺は目を覚ました。
興奮しすぎてトリップしていたとは言えない。
今は店から出て帰る途中だ。
米倉の尾行は今日はここまで。
京子さんの話では、今日一日リュウセイは米倉の貸し切りだそうだから、深夜までずっと一緒だ。
ホストクラブの中までは入れないし、中の様子を知ったところでどうしようもない。
明日は学校だし、米倉もホストクラブの営業が終わったら自宅に帰るだろう。
一応、リュウセイのホストクラブがどこかもわかった。
京子さんが名刺を受け取っていたのだ。
ホストクラブ『エデン オブ ヘヴン』。
歌舞伎町ではそこそこ有名な店で、そこのナンバーワンはリュウセイらしい。
なんだよ。
歌舞伎町ナンバーワンじゃなくて、店のナンバーワンなのか。
まあ、それでも相当凄いんだろうけど。
ま、なんでもいいや!
とにかく今はミッションのことは忘れよう。
こんな美人とお近づきになれたんだ。
夜の街で美女と二人……、こんなドキドキな体験はなかなかないぞ!
「顔が赤くなるって、熱でもあるのかも」
「大丈夫です。これは……夜になると赤くなるんです! ピーポーピーポー。なんちゃって」
ああああ。
なにつまらないこと言ってんだよ、俺。
だが、俺の超絶つまらないギャグにも京子さんは「うふふ」と笑ってくれる。
「でも、本当に大丈夫なんですか? 私、意外と力が強いから……。どこかで休憩して行きましょうか」
あくまでも俺の体の心配を……。
ギャグにも反応してくれるし、なんて優しいんだ……。
「き、気にしないでください! こう見えても頑丈なんで!」
いや、待てよ。
休憩?
そのとき、ラブホテルの表に書いてある「休憩 2h 4000円」の文字が目に入る。
休憩って、まさかそういうことか!?
いやいやいや、そんなまさか!
こんな美人が俺と!?
ないないないない。百パーセントない。
でも待てよ。そもそも最初は京子さんのほうから俺に声かけてきたんだよな。
つまりは逆ナン。
だったら脈ありなのでは?
そうだよ。そういう意味で「休憩」って言ったんだよ!
そうにちがいない。
俺は財布の中を確認する。
五千四百円。
いける。
ホテル代は払えるし、帰りの電車賃も問題ない。
必需品の『アレ』はホテルに備え付けられているものを使えばいい。
「……ッ」
だが!
気がかりなことがある!
公子だ!
俺は公子の奴隷だ。なのに、別の女性と恋仲になったりしていいのか!?
いや、絶対まずい。公子はそういうのを許さないタイプだと思う。
だいたい「言わなくてもわかりますよね?」とか言い出しそうだ。
いや、バレなければいいんだけど、公子に隠し事ができる気がしない。
あいつの頭脳は火星人並みだし、俺は嘘が下手だ。
バレれば、動画をばら撒かれる。
そうなれば、京子さんからは見捨てられるだろう。
京子さんのほうをちらりと見る。
長いまつ毛、高い鼻、大きな胸、すらりと長い脚。
テレビに出ているどんなタレントや女優よりも美しい。
俺の人生で、こんな美女とは金輪際出会えないと断言できる。
「馬鹿野郎……」
ここで尻込みする馬鹿がいるか?
公子にバレるのが怖いって? 腰抜けもたいがいにしとけよ童貞小僧。
こんな絶世の美女に秋波を送られるなんて、人生七回生まれ変わってもない話だ。
異世界に転生してチートスキルを得た勇者にだって訪れないようなビッグイベント。
いかなるリスクを背負ってでも挑む価値があるだろ!?
ダメで元々、玉砕覚悟で飛び込めよ!
俺は覚悟を決め、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「き、京子さん! やっぱり休憩しましょう!」
「え? そう。じゃあ、コンビニでお水買ってくるね」
「い、いえ、そちらで休憩できるようです! 行きましょう!」
「え……? ここで休憩するの? ラブホテルだよ?」
「は、はい! お願いします! だ、ダメですか!」
京子さん!
俺の気持ち、もう伝わってますよね!
そっちから逆ナンしてきたんだから、オッケーでしょう!?
「私はいいんだけど……」
嘘!? マジで!? いいの!?
キターーーーーーーーー!!
よっしゃああああ! いくぞいくぞおおおお!
「その恰好じゃ入れないでしょ?」
え?
「制服着てたら高校生だってバレちゃうから入れないよ?」
あ。
「それに、友達の不純異性交遊をやめさせようとしてたんだよね?」
「あ、その、それは……」
「いいの? ミイラ取りがミイラになっちゃって」
「ぐ……ふぐぅ……」
ぐうの音も出ねぇ。
京子さんは悪戯っぽく笑いながら、「またね」と言い残し、タクシーに乗って帰ってしまった。
俺は未練未酌の想いを引きずりながらも、歌舞伎町をあとにした。