焦燥
今回は、主人公が崖の上から落ちてしまう話の続きの話です。
よろしくお願いします。
化け物によって崖から投げ落とされた俺に、凛々しく整った顔立ちの大男は落ち着き払った声音で尋ねてきた。
「空から降ってきたように見えたが、大丈夫か少年」
「あ、うん。自分でも驚いてるけど、意外と大丈夫みたいだ」
大男は起き上がった俺を見て、何かを納得した様に一人で頷く。
「なるほど、まあ、そうだろうな。その身体ならこの程度の高さでは怪我などするわけもないか」
大男はもう遥か遠くになってしまった崖っぷちを見上げて言う。
「心配してくれてる奴に、こんな事言うのは嫌なんだけどさ、あんた何者なんだよ?」
「ああ、警戒しなくてもいい。オレに攻撃の意思は無い」
「その言葉を、はいそうですかって信じると思ってんのか?」
俺はすぐさま立ち上がって、大男の方に向かい構える。
「分かった。ただし、痛いぞ?」
その時、まばたきをした俺が目を開けた時には、もう数十メートル離れた壁に背を預けて座り込んでいていた。
そして、さっきまで俺が立っていた無数の骸の山の上に大男が涼しい顔で立っているのを見て、やっと殴り飛ばされたことに気づく。
その姿は、まるで数百の敵をたった一人で討ち倒した英雄の様に見えなくもなかった。
俺の前まで歩いてきた大男が、手を差し伸べてくる。
「手荒くなってすまんな。言っても無駄だと思ったので殴る事にした」
「はは、全然意味わかんないけど、あんたが敵だったら俺はきっと生きてはいないだろうな」
宣言通り、痛い方法で証明してくれた男の手を借りて俺は立ち上がる。
「ん? お前、なぜ立てる」
大男はこの時、初めて少しだけ驚いた様に切れ長の目をわずかに見開いた。
「いや、おっさんが手を貸してくれたんだろ?」
「そうじゃない、オレは肩を貸すつもりで手を出したんだ。間違いなく骨が折れる威力で殴ったからな」
手加減されていたと思っていたが、どうやら俺が思っていたよりは、死ぬ一歩手前くらいでしか手加減をしていなかったようだ。
俺は命拾いした事に安堵しながら、今敵じゃないと分かったばかりだったが、目の前の大男への警戒度をより一層高める。
「まあ、酷い打撲と呼吸が乱れているくらいだからな。十分もすれば治るだろ」
「……どうやらお前はただの人間ではないな」
当たり前の事を言ったつもりだったけれど、大男はますます険しい顔になって俺を見ている。
「うーん、人間ってのが何かは分かんないけど、俺の名前はナナっていうんだ」
「そうか、オレの名前はタイランという。お前の正体に関してはおおよそ検討がついた、通りで頑丈な訳だな」
「なんだよ、俺の正体って? それってこの力とも関係があるのかよ?」
大男が思わせぶりな事を言うので、俺は続きを促す。
「それはお前の生まれた場所に居る、研究員にでも聞くんだな」
「けんきゅういん? なんだよそれ? なんか知ってるなら教えてくれって」
「そうか、そいつも正体は隠しているのか……ならば村に一人、年老いている者がいるだろう。そいつに聞いてみろ」
大男、タイランはそれ以上は何も教えてはくれず口を閉じた。
くっ、まだ問いただしたところだけどこんな所でこれ以上ダラダラと会話なんてしている時間は、今の俺にはない。
「うーん、分かったよ。今度帰ったら聞いてみるよ!じゃあ悪いけど、俺急いでるんだ! 早く行かないと」
すぐに歩き出そうとする俺に背中に、タイランは不思議そうに質問を投げかける。
「上に戻るのか?」
当たり前だ。
弟が俺が助けに来るのを、化け物に成り果てた身体の中たった一人で待っているんだ。
「ああ、行くよ。大切な用事があるから」
「見たところあの森に咲く花をもう摘んで来ている様に見えるが、この森にまだ足を踏み入れる理由がお前にはあるのか?」
待て、タイランというこの男。花のことを知っておるのか?
「あの森で拐われた弟がまだ森の中で待ってるんだ 。だから、早く行かないと」
そうだ、神とか呼ばれてる奴に身体を変えられて、心も化け物に封じ込められてハチは拐われた。
「そうか、兄弟の為か。ならば尚更一度しっかり身体を休めてから行くべきだな」
俺はタイランの慎重すぎる言葉に、少し苛立ちを覚えて言い返す。
「おっさん、自分が強いからって俺を甘く見過ぎなんじゃないか? あんたも見てたんだろあの高さから落ちておいて、骨折どころか怪我すらもしていない俺のこの肉体の強度を」
俺の苛立ちを隠そうともしない口調を、タイランは怒りもせず平然とした顔で聞いている。
「こちらこそ驚いたぞ? お前はその力を何のリスクも払わず出していると思っていたのか?」
俺はタイランの言葉で、ふと我に返る。
そういえば、この身体になった時から俺は一度もこの力がどんな力かも考えずに、ただ弟を助けられそうなほど強くなった事実に舞い上がっていた。
「だが、安心しろ凄まじく消耗が激しいだけで、死んだりはしない。だがその状態から元に戻ったら一日、いや、人間ではないお前なら半日の間は指一つ動かせなくなるだけの事だ」
何だと? それが事実ならハチの元へ向かってる森の途中で動けなくなるのも考えられる。
そんな事になれば、何処で敵に遭遇するかも分からない場所だ。
ハチを助けるどころか、見つける事も出来ずに徘徊するあの巨人に見つかっても不思議じゃない。
俺が思案顔で、一人思考の海へと潜っていると、隣から聞こえたタイランの声が海を割って入ってきた。
「お前は酷い勘違いをしているようだから言っておいてやるが、その力は一日や数十時間も保っていられるような代物では無いぞ? まして発現したその日なら、もって十分かそこらだろうな。まあ、これも人間の基準での話でお前にどこまで当てはまるか分からんがな?」
俺が、この身体の異変に気付いたのは化け物への怒りで我を忘れて殴りかかった時からだから、流石に十分以上は経っているのは間違いない。
「それでもやっぱり俺は行く。弟がピンチかも知れない状況で立ち止まってなんていられない」
決意を新たにした俺を、流石にタイランも次は止めようとはしなかった。
そして、一歩を踏み出した瞬間。
俺の目の前が突然、ブラックアウトした。
目を覚ますと、見知らぬ天井が俺の目に飛び込んできた。
とりあえず、身体を起こそうと試みるが金縛りにでもあったかのようにピクリとも動かない。
辛うじて出来たのはせいぜい首を横に回す程度の動きだけだった。
「もう目覚めたのか、やはりお前の身体は特別製らしい」
視界の外から現れたタイランは、俺の視界に映る椅子に腰掛ける。
「おい、教えてくれ!あれから何時間経ったんだ?」
「およそ十時間といった所だ」
そんなに……ハチが孤独に助けを待っているかもしれないって時に、俺はぬくぬくとベットで上で横になって寝こけていたっていうのか? くそっ!なんで俺達がこんな目に遭ってるんだよ!
俺は今すぐ暴れてしまいたい気分だったけれど、動かせない身体で出来るのは歯を食いしばって溢れ出る涙の放流の勢いを少し弱く事だけだった。
「なぜ、お前は弟が生きていると思うんだ?」
タイランが唐突にそんな事を聞いてきた。
「弟は……化け物になっちまったんだよ。だから、何処にいても間違っても死ぬなんてのは考えにくい」
「なるほどな、それならとりあえずは動かせる様になるまでは身体を休めておけ」
「でも……」
俺は言い返そうとして、結局やめた。
その言葉を否定したくとも俺の身体は動きそうな気配もしない。
「安心しろ、化け物に成ったなら元に戻す方法はある。だから動けるようになるまでの間は、オレが話す昔話でも聞いておけ」
「昔話って、眠れない子供じゃあるまいし」
「昔話と言っても、俺がするのは作り話ではない。この世界を終焉へ導いた兄弟の話だ」
それからタイランは、静かに語り出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回はタイランが語る昔話の回になると思いますので、よろしければ、次回もお付き合いください。