父さんへ
こうして父さんに手紙を書くのは、きっと最初で最後でしょう。当然僕だって、死んだ人に手紙なんて無駄なことなのは分かってます。でも、書かないと辛くて、自責の念に押しつぶされそうだったんです。
そう、これは僕の、ただの独白です。誰かに見せる気もありません。とうに亡くなった父さんになんて、届くはずがないんですから。
先日、母が亡くなりました。父さんが死んでからずっと、女手一つで僕を育ててくれた、たった一人の肉親でした。僕以外に参列する人もいない簡単な葬儀は静かで、その間僕は、泣くわけでもなく、悲しむわけでもなく、ただ終わるのを待つだけでした。当然、母の死が悲しくなかったわけではありません。ただ、人前で泣きわめいて、すがりついて悲しむのは嫌だった、それだけです。そしてそれが終わった後、ようやく現実が見えてきました。唯一の肉親を失った僕は、どこに身を寄せればいいのか。思えば母の口から両親、つまり僕の祖父母にあたる人の話を聞いたことすらありませんでした。それに、父さんの親戚の話も。きっと話したくないのだろうと思い、僕は気にも留めなかったのですが、そのツケがここで回ってくるとは。幸いその後すぐに連絡が入り、母の従兄弟にあたる人が、僕を引き取ってくれることになりました。この手紙も、その人が営む民宿の一部屋で書いています。長閑でいいところです。街の人たちも優しくて、転校するぐらいならと辞めた高校に行く時間を、今は民宿の手伝いに使っています。世間体のために僕を引き取ったんだろうと考えていた親戚は、思ったよりもいい人たちでした。考えてみれば、母の死亡通知を受け取るまで僕の存在すら知らなかったような人たちが、世間体のためだけに食べ盛りの男子を引き取るなんてしませんよね。つくづく、僕は恵まれていたんだと思いました。
さて、こんな現状報告をするためにこの手紙を書いたわけではないことは、当然お分かりでしょう。僕が何を見つけたか、父さんなら分かっているのではないでしょうか。そう、押入れの奥、どこかのテーマパークのお土産が入っていたであろう、平べったい缶です。塗装がはげて錆びついたその缶に入っていたのは、絵日記と思われるノートと、いくつかの書類でした。時間の経過で黄ばみ、缶の錆びがついたのか、所々茶色く変色しているそれらを見て、僕の中である仮説が立ちました。これから書くのはその仮説です。あくまで仮説であって、真実ではありません。もうこれが真実かどうか、確かめる術を僕は持ち合わせていませんし、確かめる必要もないでしょう。叶うなら、あの缶を開ける前の自分に、それは開けずに捨てろと、教えてやりたい。でもそんなことは出来るはずがありません。長い前置きですみません。文章を書くのは苦手なんです。ここからが、本題と思ってください。
入っていたもののうち、僕が最初に手に取ったのはノートの方でした。可愛らしい花柄のプリントに、『なまえ』という欄には『しらかわゆうな』の文字。僕のものでないことは明らかです。不思議に思ってぱらぱらとめくってみると、最後の数ページを残して、途中で日記は止まっていました。そしてその最後の方の日記を読んで僕が感じたのは、底知れない恐ろしさでした。
『○がつ×にち
きょうはおかあさんが早くかえってきました。わたしのだいすきなはんばーぐをつくってくれました。おいしかったです。』
『○がつ×にち
きょうはがっこうがおやすみです。わたしは山にあそびにいきました。』
『○がつ×にち
きょうも山にあそびにいきました。みちにまよったけど、しらないおじさんがたすけてくれました。あした、いえにおくってくれます。』
『○がつ×にち
あさごはんにおじさんが、すきなものをつくってあげるよ、といってくれたので、はんばーぐ、っていいました。おじさんははんばーぐをつくってくれました。でも、おかあさんのつくってくれるほうがおいしい。はやくいえにかえりたいな。』
おじさん、とは誰なのか。何故ここで日記が終わっているのか。この時点で大体の予想はつきました。でも、このノートだけでそうだと決めつけるには、まだ弱い。そして、決定的な証拠となったのが、一緒に入っていた書類たちでした。僕の病気の診断書、父さんの生命保険、そして、治療費と書かれた領収書、等々。くどいようですが、これは全て仮説です。偶然見つけてしまった書類とノートから僕が勝手に想像したものにすぎないのです。だけど、そう考えると全ての辻褄があってしまう。幼少期、臓器移植以外に治す方法がないと言われた先天性の僕の病気が、すっかり治ったことも。その直後、父さんが自殺して、転がり込んできた莫大な生命保険金が、根こそぎ口座から引き出されたことも。『しらかわゆうな』という女の子についても調べました。丁度、僕の病気が治ったのと同じ時期に、行方不明になっていた女の子です。僕と、同い年でした。そうですよね、どうせ移植するなら同じぐらいの年の子の方が良いのでしょう。僕は知識がないので、何とも言えませんが。そして当時、まだ子どもの臓器移植はほとんど普及していませんでした。子どものドナーなんてそうそう現れませんし、加えて、病に侵されていた僕の臓器は、十五歳以下の移植を禁止しているものです。治るはずがなかったのです、本来なら。領収書に書いてあった住所も調べました。その界隈では有名な闇医者だそうですね。金さえ払えば、どんな非道な手術も請け負うという、あの。そこまで考えて、僕は急に目の前が真っ暗になるような感覚に襲われました。
父さん。唯一真実を知っていたであろう貴方は、もういません。聞く気もありません。僕はこの仮説を、墓場まで持っていくつもりです。一生背負うと決めました。この手紙も、書き終わったら裏の焼却炉で焼くつもりです。でも父さん。最後に一つだけ、教えてください。
貴方が今いるのは、天国ですか?それとも、地獄ですか?