#71
一問、また一問と教師は教科書に載っている問題を出題していく。
生徒を名指しで呼んでは答えさせて、次の問題に進む。
基本的に数学はこれの繰り返しだ。
現代文や日本史、英語などの文章を読み、内容を読み取ることで答えを導き出すのではない。
数をこなして、初めて理解することができる。
時折、授業の内容を理解できていない生徒も表れるが、少しばかりの補足説明をすると授業は止まることなく次に進んでいく。
新しい数式をこれでもかというほど、次々に覚えさせていくのだ。
高校は中学と違い義務教育ではない。
自らが望んで進学を決め、この桜ケ丘学園に入学した。
知識を付けたいのなら、自ら進んで学ぶ意欲を持ちなさい。
お偉い我が校の学長が言った言葉だ。
……ちなみに、この言葉もどこからか引用していそうだが、調べる気にもならないし興味もない。
確かに言葉だけ聞けば正しいのだろう。
自分の意思で進学をして、その上で授業を理解できないのなら自ら教師に質問するなり理解する努力をしなければならない。
だが、教師とて人間。
教えるのが人間であるのなら、自分が理解していようがそれを全てを伝えるのは不可能に近い。
そして、受け取る側も人間だ。
人によって、授業での説明の捉え方が違う。
俺にとっては、意味の分からない数字が羅列されているようにしか見えないし、説明されてもよく分からん。
俺は、右手に持つシャーペンを指先でくるくると回しながら授業の進行に身を委ねる。
生徒が答えた回答を、自分のノートに書き写す単純な作業。
今の俺にはそれくらいしかやれることがない。
……中間テストが近々控えているが、何とかなる。
何事も気持ち、モチベーションが大事。
「私は教師という仕事は向いてないわ」
隣の綺羅坂がそう呟いた。
「……お前が向いている仕事のほうが気になるな」
むしろ、俺が教えてもらいたい。
モデルとか……女優とかが良いのではないだろうか。
組織の中には君は入れないと思う。
うん、間違いないな。
それか、気が付いたら社長とかになっていそうだ。
「自分よりも年下の子供に、一昔前の縦社会にも思える上下関係、文句ばかり言う保護者に気を使いながら仕事なんて出来ないわ」
「気を使うことなんてできたのか……意外だ」
「真面目に聞いているのかしら?」
「真面目に話していたのか?」
逆に驚いてしまったぞ。
いきなり将来の職について語り始めるだなんて。
しかも授業中にだ。
でも、綺羅坂の言葉には少々納得できる節がある。
教師は、仕事の中でもとりわけ面倒な仕事だと思う。
なにせ、大半の相手が子供なのだから。
思春期で、生意気で、そのくせ急に大人ぶったかと思えば、自分の立場が危うくなると「未成年だから」「まだ高校生だから」と、必殺技とばかりに言ってくる。
まるで俺のようだ……。
幼い頃の夢と、現実の仕事とは正反対と考えてもいい。
所詮、夢は夢なのだ。
「人生、どこかで妥協しなきゃならんからな……俺だって出来ることなら仕事しないで家でダラダラ過ごしたい」
「あなたの場合、その姿が想像できるから凄いと思うわ」
絶対に褒めていない。
真顔で、視線も向けずに相手を傷つけるとは、流石は綺羅坂だ。
二人してボソボソと話しているから、もしかしたら前の席の生徒には独り言のように聞こえていることだろう。
変人と思われないよう、これからは注意しよう。
ここで一つ、疑問が頭をよぎる。
「綺羅坂は親の会社を継いだりしないのか?」
「父の会社を?」
彼女が将来の話をしたときに、何か引っかかる気がしたが、その理由が分かった。
仕事……ひいては将来など彼女は心配する必要は無いのではないだろうか。
そう思うのも当然だろう。
彼女は、日本でも有数の大企業のご令嬢なのだから。
彼女の性格や言動、見た目などに目が行きがちだったのですっかりと忘れていた。
俺の疑問に、綺羅坂は当たり前とばかりに答えた。
「父は父、私は私よ。仕事も、寄り添う相手だって自分で決めるわ」
「え、何それかっこいい……」
危ない、これで綺羅坂が女性なら危うく惚れそうだった。
……という冗談は、間違っても声に出さない。
彼女なら、手刀の一つをお見舞いしてくるかもしれない。
鋭く威力のある手刀を首元にピンポイントで。
だが、俺には実に彼女らしい凛々しく、自身を貫いた言葉に聞こえた。




