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平凡な俺と非凡な彼ら   作者: 灰原 悠
第八話 母の帰宅

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#61



 人間の短い人生の中で、劇的な出来事は生涯で何度その身に起こるのだろうか?

 一度かもしれないし二度かもしれない。


 もしかしたら、何度も起こる人だっているだろう。

 そして、先日俺の人生のにおいて劇的な出来事があったのは間違いない。


 あの出来事が、この先の生活の中で吉と出るのか凶と出るのか、それは今は分からない。

 けれど、これだけは言える。


 もう、昔のような関係には戻れないということだ。









 五月が過ぎ、六月になった。


 いよいよ夏が目前にまで迫り、学生たちのテンションは見るからに上がり始めたこの頃。

 俺は相変わらず、教室の隅にある席から窓の外を眺める日常を続けていた。


 いつもと同じ席、同じ光景。

 いつもと同じ騒々しい教室。

 教室の中に吹き込む風の香りも、前と変わることはない。


 だが、何も変化がないわけではない。

 それも大きな変化だ。


 教室が騒がしいのは変わらないのだが、中心にいたはずの人物が一人減っている。

 そう、雫がクラスメイトの輪の中に加わっていないのだ。


 常に生徒に囲まれて過ごしていたはずの雫が、今はどうしているのかというと……



「湊君!お弁当を食べましょう!」


「嫌だ」


「ここに座らせてもらいますね」


 俺の返事など気にもせず、雫はニコニコと多くの男子生徒を虜にしてきた笑みを浮かべ、昼休みで空席となっていた前の席に腰掛ける。


 以前の雫とはどこか違う。

 表情や声のトーン、教室内で話しかけてきたときのどこか遠慮してような話し方ではなく、とても自然体な様子。


 

 ”周りを気にしない”……確かに言葉通りだ。

 

 


 雫が座ったのは、前に優斗と弁当を食べた時と同じ席だ。


 雫は、慣れた手つきで机の上に弁当を広げるとカバンの中から水筒を取り出す。

 他にも紙コップを二つ取り出すと、自分と俺の前に温かいお茶を注いでから差し出す。



「湊君はもう少し態度などが変わるかと期待していましたが……」


「……人間そう簡単に変われるものではないんだよ」


「さすが真良君ね、あなたが言うだけで説得力が段違いだわ」


 目の前に置かれたお茶を飲みながら、悟ったような言葉で返す。

 人間、早々変われるものじゃない。


 

 隣で綺羅坂が、すかさず突っ込んできたがいつものことだ。

 

 それにしても、両手に花とはこのこと。

 学年を問わず人気の二人と昼食を共にできるなんて、下手したらお金を出してでも変わりたい生徒は山程いることだろう。


 当然ながら、雫が教室でもこうして話しかけてくるようになってからは、俺は嫌というほど多くの生徒から注目されるようになった。


 さながら、動物園のパンダにでもなった気分だ。

 きっとパンダもこのような気分で日ごろ暮らしているのだろう。


 笹ばかり食べて楽な生活できるとは幸せだ……なんて思っていて申し訳ない。



 しかし、俺が想像していたよりも周りから感じる視線には妬みのような感情が少なく感じた。

 特に男子からは、下手したら子供じみたイジメの類をされると覚悟していただけに拍子抜けだ……


 なんて、雫と綺羅坂へ前に話したらこう返ってきた。


「荻原君が私と湊君の関係を少しずつ周りへ広めてくれていましたから」


「そうね、彼が話をしている時にたまにあなたの名前を出していたのを聞いたことがあるわ」



 それは、雫が告白した後にこうして学校でも俺と話をする場合に、周りからの疑惑や邪魔が減るようにするためだと雫は説明した。


 幼馴染であれば、仲良く教室で話をしていてもおかしくはない。

 周りがそれを知っていると分かれば、雫も気にせずこちらへ歩み寄れるということだ。


 

 優斗が雫にフラれたとはいえ、ここまでする必要はないはずだが、優斗らしくはある。

 無意識のうちに人のために行動している。


 


 しかし、日常会話の合間に違和感なく挟んで話をしていたのは素直に凄いと言わざるを得ない。

 あいつの高スペックだからこそできたことだろう。


 おかげさまで、周りからの風当たりが想像以上に軽くなったので対処に困らずに済んだ。


 生徒会活動にも差し障ると考えていたので、これで悩みのネタが一つ減ったことになる。

 だが、大筋の問題は何一つ解決はしていない。



「だから、私は神崎さんがその席で食べることを許可した覚えはないのだけれど?」


「あら、知りませんでした、湊君とお昼を共にするのにあなたの許可が必要だっただなんて」


 睨み合う二人。

 元々険悪と思っていた綺羅坂と雫の関係は、雫の告白を境にさらに悪化した。

 というよりも、クラス替え当初のような関係に戻ったといったほうが正しい。


 雫の言葉に綺羅坂が反応し、そして雫も無表情で綺羅坂に言い返す。

 近くでこのやり取りを見ていると、背筋が凍るように冷たくなり心臓に悪い。



「湊君!今日は一緒に帰りましょうね?」


「あら残念ね、私が先に彼を借りる予定なの」


「何を言っているんですか?私のほうが先に湊君と約束をしていたはずですが?」


「……はぁ」


 こちらの意思は関係なしの言い合いで、思わずため息を零しているとポケットの中のスマホが数回振動して着信があることを知らせる。


 ポケットからスマホを取り出し、相手が誰かを俺が確認する前に雫と綺羅坂が画面をのぞき込む。

 前のめりになる二人に、俺はおもわず仰け反る形で二人が離れるのを待つ。




「楓ちゃんからですね」


「あなたの家では買い物は明日のはずよね?何かしら……」


「勝手に見るなよ……それになんで買い物の予定を知ってるんだお前は」


「……それは秘密よ」


 頬が触れそうなくらい近くまで綺羅坂は寄り、画面をのぞき込んでいたが口元をニヤリと歪ませて離れていく。

 それがまた不気味で、おもわず寒気が全身を襲う。


「あら?私が近づくのは嫌かしら?」


「いえ……滅相もない」


「はい、とても迷惑です」



 そんな俺の心情を悟ったのか、綺羅坂は少々不機嫌な顔でこちらを睨みつける。

 だが、それ以上に雫が不機嫌そうな顔で俺たちの会話に割って入る。


 また前と隣で何やら言い合いを始めた二人をそのままにして、通話ボタンをタップしてから耳に当てると、興奮気味の楓から意外な一言を発した。


『お母さんが少しだけ帰ってくるそうです!』


 その一言で、やっと少しだけ落ち着きを取り戻し始めた日常が、また少しの間ではあるが騒がしくなることが確定した瞬間だった。



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