#316
正門前は小さな照明一つに照らされ、さながら小さな舞台だ。
夜の闇が町全体を包み込み、学園には静寂が訪れる。
生徒の喧騒とした声は消え、砂利を踏みしめる足音一つでさえ耳によく届く。
体を預けた正門の石壁で小さく身震いして息を吐く。
白い吐息が視界を染めて指先は僅かに赤くなる中で、ただ待ち人が訪れるのを待つ。
会長と別れ一人になってからこの場所でどれくらいの時間が経過しただろうか。
俺には生徒会室に赴く選択肢もあった。
しかし、一人で考える時間が欲しかった。
一人だけの時間が、俺の思考をクリアにするには必要不可欠だった。
聞きたいこと、聞かなければいけないことは決まった。
何度も自問自答して出した問いに彼女達はなんて答えるだろうか。
最後に人と話すことが怖いと思ったのはいつ頃だろうか。
小学校か、中学校か……
たぶん、一人の時間が寂しくないと感じ始めたくらいからだろう。
結局、自分ではない誰か。
切り離した考えが自分の中で確立されて不思議と忘れていた。
怖いと感じて本来の言葉を紡ぐことができないようでは意味がないと、この胸の内の苛立ちは自分には不要だと切り捨てたのかもしれない。
でも、本当は必要だったんだ。
自分を諦めて、他人との繋がりを諦めて、でも結局本当の意味では諦められなくて。
矛盾ばかりの立ち回りをしてきた自分に溜息と苦笑が零れる。
ダサい、非常にダサい。
思春期の恥ずかしい言動さながらのダサさだ。
たとえ自分で矛盾に気が付いていても、背中を後押しされないと踏み出せない。
そんな弱い人間だ。
だが、自分が弱い人間なのはとうの昔から知っている。
弱いことは恥ではない。
……と、前向きに思っておくことにしよう。
一人夜空を見上げて考える。
……天体観測とかが趣味ならこの時間でも有意義なのだろう。
「……寒い」
「なら、建物の中で待っていれば良かったのに」
吐息と共に呟いた独り言に校舎側から指摘される。
振り返ると昇降口から二人の生徒が外履きに履き替えて正門へ歩み寄っていた。
綺羅坂は首元にマフラーを巻きながら、雫は一足先に小走りで寄ってきてポケットからカイロを取り出して俺の目の前で立ち止まる。
「コートは持ってきていないんですか? 手もこんなに冷たい」
「まさか七時を過ぎても学校に残っているとは思っていなかったからな」
雫の手が俺の右手を持ち上げて自分のカイロを握らせてきた。
じんわりと暖かな感触が右手に広がる。
綺羅坂は雫の後に続いてゆっくりと正門前で立ち止まる。
小さな照明、小さな舞台で三人が佇む。
整った舞台でまずは二人に労いの言葉を述べる。
「おつかれ……」
「湊君もお疲れ様です」
微笑み返す雫に僅かに口元が綻ぶと、他の生徒会の姿を探す。
彼女達以外に正門から出てきた生徒はいない。
まだ、生徒会室にいるのだろうか。
俺の視線に気が付いた綺羅坂が口を開く。
「他の役員ならもう帰っているわ、今日は私と彼女で最後」
「そうか……随分遅くまで残っていたんだな」
「誰かさんが生徒会に不参加だから仕方なくね」
嫌味かな?
間違いなく嫌味だね。
甘んじて受け入れよう。
生徒会が受けなくても良い実行委員会だったのだから、本来の仕事を放って参加する俺が悪い。
むしろ、逆説的に言えば人がやらないものを進んでやる俺が偉い。
そして、見栄を張った俺が悪い。
つまり、俺が悪い。
でも、綺羅坂なりの会話に織り込んだ冗談だと思えば可愛いものよ。
お兄さんが妹を優しい瞳で眺めるくらいには今の俺の精神的許容範囲は広い。
これが天体観測の恩恵か。
さすがどこぞの歌手の曲名になるだけはある。
「照れる」
「照れないで、それに照れるならもう少し感情を乗せて言ってもらいたいものね」
お茶目なジョークに綺羅坂は間髪入れずに容赦のない指摘が入る。
寒空の下など気にもならないような極寒が心の中に広がる。
冗談はここまでにして、どうしたものか。
彼女達に話がしたい、迷っているのは口火の切り方。
いざ対面すると頭の中に浮かんでいたはずの問答が、記憶の片隅へと消えていく。
「少し歩きますか?」
雫が俺の顔色を窺ってそう言った。
小さく首を傾げて、声音は優しく表情は少しだけ不安げに。
隣の綺羅坂も普段通りに腕を組んで佇んでいるが、瞳はとても優しい。
「いや、大丈夫……二人に謝りたくて待ってたんだ」
前置きはいらない、冗談もいらない。
俺と彼女達には不要な問答だ……たぶん。
俺の言葉に二人が体を僅かに強張らせたように見えた。
そして、これから俺が何を伝えようとしているのかを少なからず二人はすぐに察しているのだろう。
でも、ほんの少し困惑しているようにも見えた。
何故? どういう経緯で? そんなことを言いたそうな顔だ。
会長と会っていたことは二人が知るはずもないので当然だろう。
「皆のためだと自分で建前を作って二人の手を握らなかった……優斗も含めると三人か」
正しいと思った、必要だと思った。
今の環境を変化させるには必要な過程なのだと、自分自身に言い聞かせていた。
神崎雫、綺羅坂怜、萩原優斗と共に過ごしていくのであれば相応の価値を示さなければならない。
悪評が、自分にのみ返ってくるわけではないのだから。
「俺が一人でやらなきゃダメだと思った、一人でやるのが正しいと思った」
きっとこの行動は彼らが好いてくれた真良湊という人間を否定することだと頭のどこかで分かっていながら、変化の後に元の形に戻れると都合の良い考えを抱いていた。
俺が一人紡ぐ言葉を二人は静かに耳を傾けていた。
言いたいこともあるだろう、否定したいこともあるだろう。
でも、静かに俺の眼を見据えて。
「わかってるんだ……こんな活動に大して意味が無いことは」
俺達のような若者が、高校生が見ているのは目の前の結果に対して。
裏で誰が活躍していたかは、そこまで重要ではない。
その結果を誰が作り出したのか、そこに自分達の親しくしている人間がどれだけ関わっていたのか。
関係値が0の人間に、むしろマイナスな人間に対してはいくら努力したとしても彼らの瞳に映ることは無い。
例えばこの旗振りを後輩の白石の方が行えば、より効率的に事を進めるだろう。
女子生徒カースト上位の中山ならもっと多くの生徒を引き込めるだろう。
烏合の衆だとしても、多くの人間が集まり学生の催しとしては成功と言っても差し支えない成果を叩きだすだろう。
俺が出来たのは、一人二人の繋がっていなかった人脈になんとか繋がりを見出したこと。
あとは相性が良くて状況が好転しただけだ。
自分の本来の役割ではないことは分かっている。
「俺に出来ることは考えて、それが客観的に正しいのか意見を伝えることくらいだ」
それが求められたこと。
柊茜に認められた生徒会役員として俺が存在できる一つだけのちっぽけな武器。
誰にでも出来て、でも存外難しい。
人は個人の価値観で物事を判断するからだ。
そこには交友関係もプライドも性別だって介入する。
それが出来ると認められたのは、真良湊という人間性が他者とは異なっていたからに他ならない。
才能などではない、生い立ちや性格が生み出した捻くれ者の末路。
俺自身が嫌っていて、たぶん周りも嫌っていて……でも本当に近しい人達が好いてくれている真良湊という人間性。
それを捨てようとした。
捨ててしまったら、何一つ俺には残らないのに。
「だから……」
言葉に一つの区切りをつけて目の前に立つ二人に瞳を向ける。
彼女達は真剣に続いて俺が紡ぐ言葉を待っている。
その真剣さに心のどこかで安堵して息を吐く。
ここからが本題、本当に彼女達に伝えなくてはならない言葉だ。
短く、それでいて本心のままを告げる。
「ごめんな……」
……きっと、今の俺はとても情けない表情をしているのだろう。
本当なら格好つけて女の子を惚れさせる一言を発してみせたいものだが、それは真良湊という人間には無い魅力だし、そもそも俺らしくない。
ただ格好悪く、捻くれ者で、これが当たり前という言葉に逆張りをするのが真良湊だ。
だから、俺が発すべき言葉は虚勢なんかじゃない。
「今回は……いや、たぶんこれからもずっとだと思う、俺一人じゃ無理だ……手伝ってくれないか?」
そう言って、二人の前に右手を差し出す。
今度は……今度も俺から二人に手を握ってもらう側だ。
握った手を引いてもらう側だ。
取ってもらえるか、それは彼女達にしか分からない。
普通なら、絶対に断って払いのけるだろう。
どんなに後輩が、同級生が手伝ってくれたとしても俺は立ち止まってしまうと思う。
俺が今まで考えついた答えに向かって歩いてこれたのは、彼女達の背中が常に視線の先にあったからだ。
だから、安心して前に進むことができた。
たとえ俺が立ち止まっても、右左に進もうとしても彼女達が指摘して、でも理解して止めてくれる。
理由も根拠もない勝手な信頼感。
結果、彼女達に与えられたのは真良湊からの勝手な信頼感と周囲からの疑惑の眼。
理解のできない生徒と関わる理解のできない行動。
皆の人気者から一歩ずつ離れていく道筋だ。
無責任な発言だと自覚している。
無自覚ではなく自覚した発言だからこそタチが悪いのも承知の上だ。
それでも、分かってしまった。
俺が進めるのはここまでだ。
会長は送別会くらい俺が主役でも面白いと言った。
でもそれは、送別会という舞台の主役でなくていい。
もっと小さな、本当に小さな理解者という舞台で主役になれればいい。
「これからやろうとしていることが間違わない自信は無い、むしろ間違う自信はある。……立ち止まりそうな俺の手を引いて欲しいってのは勝手な我儘だと思ってる」
でも、それでも。
そう続ける言葉が彼女達に届くことは無かった。
喉の奥で締め付けられた言葉はそのまま戻っていく。
差し出した手は震えて、肌を撫でる風が嫌に冷たく感じる。
俺の言葉を最後まで聞き終えると、二人は短く視線を交錯させる。
その一瞬にどんな感情のやり取りがあったのか……。
二人の口が開いたのは同時のことだった。
「嫌です」
「嫌よ」
二人に差し出した手が強張り、僅かに空いていた口を閉ざす。
……俺には何も言い返すことは出来ない。
こうやって、彼女達の手を拒んだのだ。
きっと、俺以上に彼女達の心境は荒波のように乱れたことだろう。
最初から手を差し伸べたものと、後から手を差し出したもの。
行動は同じように見えて、意味合いは全く異なる。
「えぇ……正直、予想外で言葉が無いってのは本音なんだけど」
ダメだった、それだけは頭の中で理解できた。
いつもなら、どこかで切り替えのスイッチが押されて別の算段を考えるところなのだろう。
でも、今日ばかりは簡単に切り替えは出来そうにない。
いつまでも彼女達の前で手を突き出したまま立ち尽くすわけにもいくまい。
ゆっくりと右手を本来ある場所へと戻そうと動かすと、その手を綺羅坂の小さな左手が掴んだ。
「勝手ながらもう手伝ってしまいました」
「よく考えたら私達が湊を手伝うのに許可って必要ないわよね」
雫はどこか照れたように、綺羅坂はあくまでクールに告げる。
掴んだ手を離すことはなく、雫がカバンの中から複数の書類を取り出すと綺羅坂の手の上から俺に差し出した。
暗くて内容までは確認できないが、手書きでちゃんとした清書ではないにしてもかなりの量がそこにはあった。
一時間やそこらで終わる量ではない。
「これで一度断られた者同士でおあいこね」
綺羅坂は先ほどまでクールだった表情を変えてニヤリと口角を上げて言った。
雫も隣で小さく笑っているから同じことを思ったのだろう。
……そう言われると、何も言えない自分がいます。
でも、いい性格をしていると思います、ええ本当にいい性格をしていることですこと。
隣で雫が思い出したように頬を膨らませる。
「でも、私達は隣が良いのであって、前ではありませんので間違わないように!」
「わ、悪い……」
前のめりで食い気味に言うものだから、思わず謝ってしまった。
綺羅坂は雫が納得したように頷いたのを確認すると俺の手を放してこちらを見据える。
雫も同じように俺を見ている。
急展開で正直混乱している。
でも、二人が手を取ってくれて嬉しかったし安心した。
……礼を言わなくては。
座り込みたくなるほど安心したし、妹の楓に「お兄ちゃんと結婚する」と幼少の頃に言われた時ほどに嬉しい。
こんな時はどんな顔で礼を言えばいいものなのだろうか。
そんなことを考えるよりも先に、言葉が喉から出ていた。
「ありがとう……」
自然に、本心のままに。
呟いた感謝の言葉と共に浮かべた表情は、久しく忘れていたはずの笑顔だった。
そんな俺を見て、二人は大きく瞳を見開く。
嬉しいのは俺のはずなのに、感謝するのは俺のはずなのに。
二人は、自身が思わず泣いてしまいそうなくらい瞳を潤わせて、満開の笑みを浮かべたのだった。




