#315
すぐに学校へ向かう。
会長が電話で言ったのはその一言だった。
どこで待ち合わせて、どのような内容で話をしたいのかなどを彼女は聞くことなく快諾すると電話を切った。
待ち合わせ場所はどこにすべきか。
会長が学園に足を運ぶのであれば、落ち着いて話が出来る場所の方が良いだろう。
でも、生徒会室は今日の活動でまだ使っている。
というか、会長の自宅からここまで何分くらいなのか聞くのを忘れてしまった。
あまりにも快諾過ぎて、想像以上にスムーズに進んでしまって、聞くことを忘れてしまった。
考えて、思い出す。
会長と初めて会ったのはどこだっただろうか。
生徒会室ではない、確か火野君と朝一番から揉め事を起こしていたところを会長に注意されたんだ。
時間潰しというわけではないが、足はその場所へと運ばれる。
思い出の場所と呼ぶにはおこがましいが、でも出会いの場所。
学校の裏門前の階段に足を運び、待ち人を腰を下ろして待つ。
春と呼ぶにはまだ寒く、風も冷たい。
校庭を駆け回る生徒達は長袖のジャージや練習着に身を包み励む姿を横目に一人の時間を過ごす。
砂の上を歩くアリを視界にとらえて茫然と眺める。
考える時間で活用しておこうと思っていたのだが、その無意味な時間が頭の中の絡みついた糸を少しだけ軽くしてくれる、そんな錯覚があった気がした。
何匹のアリを数えたのだろうか。
部活動の音しか聞こえてこなかったはずの耳に、近くで砂利を踏みしめる音が届く。
小さく、男子生徒の物ではない。
そして、今更住宅街の方向から登校してくる生徒はたかが知れている。
だから、確信を持って視線を上に上げると、やはりそこには栗毛色の髪の先輩がいつもと変わらぬ微笑を浮かべてこちらに向かっていた。
「やあ真良、待たせてしまったかな?」
「俺が呼んだんですから気にしないでください、会長こそ登校日でもないのにすみません」
俺が呼び出した会長……柊茜先輩は荷物を持っていないが制服姿で佇む。
開口一番で互いに必要な言葉を交わしてから、小さく笑って見せると呼び寄せた理由と現状を含めた説明を静かに話し始めた。
「なるほど、君が私に何を聞きたいのか、送り出すべき相手の私に問うことをためらっていたことは分かったよ。だから君の問いに対しては私はなんでも答えることは約束しよう」
「ありがとうございます―――」
「だが、私に聞かなくても君なら十分な式に出来るはずだ。質問にはもちろん答えるが私も目的があって誘いを承諾した……私は君のここに重荷となっているものを取り除くことを優先させてもらうよ」
微笑み快く相談に乗ってくれると言った会長に小さく頭を下げると、彼女は一歩こちらに歩み寄って俺の胸を細く小さな指で突く。
発せられた言葉の意味が、意図が瞬時に理解が出来ずに思わず問いかけた。
「重荷?」
「……なぜ、怜や神崎へ協力を頼まない?」
俺の言葉を聞いて、会長は小さく息を飲むと言った。
栗毛色の髪を風で靡かせ、その表情は柔らかいままだが、瞳だけは真剣で嘘を述べることを許さない。
冗談も、誤魔化しも許されない。
「……」
「火野を巻き込む、白石が協力的だから引き入れる、中山を誘い込む。翔一達は生徒会としての活動もあり全面的には手伝えないという状況の中で君が本当なら最も心を預けている、建前なしに協力を惜しまないのは誰か……あの二人だ」
目の前に佇んでいた会長は、左右に数歩ずつ歩きながら謎解きをするように見解を述べていく。
行き着く答えは脳裏に浮かんだ。
悲し気にこちらを見つめる二人の女子生徒の姿だ。
「それを参加させていないのであれば何故? 私が思い浮かぶのは一つだけだ」
会長からすれば当然の疑問、それを俺に答えさせるわけでもなく淡々と言って見せる。
指を立てて、動いていた歩みを止めて俺の瞳を見据える。
「君が彼女達を突き放しているから」
「……なんで会長はそう思ったんですか?」
名探偵を目指しているのか、俺が読み取りやすい表情や仕草をしているのか。
どちらかと言えば後者かもしれない。
言い訳するつもりも、理由もない。
会長と同じ答えにたどり着いた人であれば、同じ感想を抱くだろう。
ただ、参考程度にどうして会長がそう思ったのかを聞きたい。
俺が問うと、会長は少しだけ胸を張り自慢げに笑みを浮かべると饒舌に語る。
「あの手のかかる妹のことは言わずもがな、神崎のことも関わってきて分かってきたつもりだ。きっと二人は君に手伝うと打診して、そして君がその手を取らなかった」
「……」
実の妹について語るようにその表情は慈しみを含んだ。
しかし、言葉が最後に進むにつれて悲しそうにトーンを落とす。
自分が同じ立場になって考えているように、向けられた瞳からは悲しい色が見て取れた。
「多くの生徒が君のことを理解不能な独り者と思うだろう、言葉には棘があり、自分の我を貫いて協調性がない集団の中でも異物。でも、それは外見的な情報に過ぎない」
会長が差し出した手の指先が頬に触れる。
温かい体温が伝わり、少しだけ撫でる仕草がくすぐったい。
なぜ、この人達は俺のことを評価してくれるのだろうか。
なぜ、この人達は俺のことを好意に思ってくれるのだろうか。
「君は優しい人だ」
その言葉は、今まで聞いてきた言葉の中でも一番優しくて、俺には眩しくて、思わず目を反らしてしまいたくなる。
でも、頬に添えられた手がそれを許さない。
心の内に広げた壁を一枚ずつ剥がしていくかのように、会長は言葉を紡ぐ。
「球技大会の時、何故君はチームに参加しなかった? 参加すれば荻原優斗は君と行動を共にして周囲の生徒は面白く思わない人が出てくるはずだったからだ。修学旅行の夜に何故君は多くの生徒達が盛り上がる中で異議を唱えた? 神崎雫の心を周囲が尊重しないからだ。特別という言葉で自分を決めつけられた綺羅坂怜を何故特別扱いしなかった? 特別は努力しないという意味ではないと知っていたからだ」
やめろ……やめてくれ。
そんな優しい瞳を向けないでくれ。
「天才の苦労という言葉を聞くことがあるだろう? 確かにあれは持ったものしか感じ得ない苦悩なのだろう、周囲も気が付くことが出来ない。なぜなら人は他人以前に自分という存在を守るからだ」
会長は尚も語る。
人を魅了するその瞳に反射して俺の顔が映る。
肯定するな、否定してくれ。
お前は今のままでは他者を傷つけるだけの人でなしだと罵ってくれた方が楽だ。
今までの俺を肯定されてしまえば、彼女達のために変わろうとしている今の行動を否定されることになる。
そうなれば、俺はもう分からなくなってしまう。
雫や綺羅坂を、優斗達を傷つけないためには俺が変わらないといけないんだ。
彼女達とこれからも付き合っていたいと思ってしまったのだ。
その場所が俺には分不相応で、高望みなのも分かっている。
大切だと思ってしまったのが間違いないのかもしれないと分かっている。
それでも、その場所に俺も一緒にいるには自分を曲げてでも変わらないとダメなんだ。
理解されなくても、馬鹿にされても、言葉という鋭利な刃で刺されても大丈夫。
それが俺ではなく周りに向けれらることが無いのであれば、俺は過ごしていける。
「自分という存在が傷つくことを恐れ、適した立ち位置につき演じ過ごす。特別な人間達にも相応の立ち位置を求めてしまう。それが苦悩の一端であることに気が付かないのだ。皆がそうしているから正しい、皆が言うから正しいと自分自身を保身してしまう」
そうだ……
それでも、雫達は俺と一緒に過ごすことを選んでくれた。
だから、彼女達が俺と過ごすことで後ろ指を指されないように俺自身が周囲の評価を更新しないといけないのだ。
「……そのために今回実行委員に参加して―――」
「本当に気が付いていないのかい? 君が踏み出そうとしている一歩は嫌っていた集団意識に踏み入れるということに」
ピシャリと断言する会長に、言葉が詰まる。
言い返す言葉が思い浮かばず、瞳が揺れる。
……そんなこと、この活動を始めた時から気が付いている。
それでも構わないと進めてきたのは、ただ単に自分のちっぽけなプライドを捻じ曲げれば良いだけだと解釈したからだ。
思春期男子高校生の小さなプライドと、集団からの無自覚の悪意。
天秤にかけてどちらを取るのか、そんなの考えるまでもない。
詰まった喉から絞り出すように声を発しようと口を開いた時に、会長は畳みかけて言った。
「それとも……二人は君に自分を曲げてでも他人の評価を上げるべきだと言っていたのかい?」
「それは……」
探りを入れるように告げた声音は冷たく、もし頷いていたら会長は二人になんて言葉を言って放つのか想像もできない。
会長も二人が決してそんなことを俺に言うことはないと確信があった上での確認だったのだろう。
なら、俺が皆のために出来ることは一体なんなのだろうか。
何かを教えられるわけでもない。
何かを与えられるわけでもない。
常に彼らは俺の先にいる。
その背を追いかけることしか俺には出来ないのだ。
「私は今君の頬を離さないことで手一杯だ、他に何かを頼まれても出来やしないだろう。誰が何を言おうとそれが私の限界だ。君は今その両手にどれだけの物を抱えようとしている?」
その言葉に俯いた視線は弾かれるように目の前の人の視線と交わる。
今一度会長は栗毛色の髪を夕日に照らしながら微笑んだ。
俺を含めたどれだけの人が今の言葉を聞いて、会長ならもっと多くの事を進めることが出来るはずだと思っただろうか。
でも、肩肘張って生徒の長として活動していた時とは違う。
今は年齢がたった一つしか変わらない女子生徒。
会長が零してこなかった本音なのだろうか。
言われて自分の両手を見下ろす。
マルチタスクは昔から苦手だ。
同時に複数の作業をこなせるだけの要領の良さは持ち合わせていない。
それなのに、今は生徒会に実行委員会に自分の交友関係まで手を伸ばしている。
欲を出して過去の式よりも評価の高いものを創り出そうとしている。
どれだけ抱きかかえても、零れ落ちてしまう。
零れ落ちていいものなのか?
ダメだ、どれ一つも零れ落としていいものは無い。
抱えられるはずのない量を抱えようとしているその手を、白く小さな手が包む。
「本当なら私がいの一番に君の支えになってあげたい……しかし、私はこの学園を去るものだ、それは出来ない。でも、君を理解して助けの手を差し伸べてくれる人に頼っていいんだ。君一人で守ろうとしなくても彼女達は強い子だよ」
添えられた手は力強く、だが少しだけ震えていた。
僅かに力を込めて握り返すと、考えてしまった。
……なんで、この人達はここまで俺を信頼してくれるのか。
親の取り決めがあったとしても、卒業してしまえば他人となるかもしれないのに。
「……なんで―――」
「私達にとって、真良湊はとっくの昔に特別な人だから」
こんな言い方をしたら怜が怒るかもな、なんて苦笑いを零して会長が言った。
特別……
彼らはいつも、こんな気持ちでこの言葉を聞いていたのだろうか?
いいや、違う。
普段、彼らが言われる言葉と意味合いが異なる特別。
平凡を歩み非凡とは縁遠い人生の中で告げられた言葉。
単純で余計に飾らない言葉が胸の奥を鳴らす。
特別に離れないと思っていたのに、こんなに近くに特別だと思ってくれている人達がいたのだ。
俺が一人でやらないとダメだと決めつけていた。
彼女達は既に十分な評価と信頼と生徒から得ている。
その力を借りても彼女達のためにならないと。
そもそも、彼女達のためならば協力を頼むのが最も正しい選択だったのだ。
会長の言う通り、俺が守ろうとするほど彼女達は弱い人間ではない。
他人からの特別を求めるか、数少ない大切な人達からの特別を求めるか。
ごちゃごちゃした考えを無しにして、真良湊が選ぶのは当然後者だ。
何を今更と二人は言うだろうか。
そんなことを考えて思わず苦笑を零すと、会長は包み込んでいた手を放して安心したように息を零す。
伝えたいことは伝わった、そんな意味合いが含まれていそうな微笑に、つられて小さく笑みを零す。
「さて、私からの本題はひとまず終わりとして学食でお茶でも飲もうか」
「いや、俺はこれから教室に戻って作業を……」
離したはずの手は次の瞬間には右手を掴まれ、どんどん進んでいく。
この後の予定が詰まっているからのんきにお茶を飲んでいる時間はないのだが。
しかし、会長は聞く耳持たずで歩く。
珍しく見せる我儘な一面に、思わず従って歩いていると会長は振り返りニヤリと口角を上げて言った。
「最後に一つ……私達が主役の舞台は卒業式という名で用意されている。送別会くらい主役が君でも面白いかもしれないな」




