#272
十一月も終わりが近づいてきた。
肌を撫でる風は冷気を帯びて、制服の隙間から全身を冷やす。
口から溢れた吐息は白く、空中で霧散する。
こんな時期になれば、皆が想像するのは何があるだろうか。
当然、クリスマスだ。
街中でも、教室でも、家でさえもクリスマスが今年もやってきましたと、会話なり授業中の教員からの言葉であり、テレビのCMでもさんざん広告を打ち出してくれているものだ。
ハロウィン然り、クリスマス然り、本来日本の文化ではないイベントを外国以上に騒がしく催していることに関しては文句の一つでも言わせてもらいたいものだ。
ただ、騒々しい―――賑やかな空間に自分も参加していたい、参加していないことに対して地味であったり、陰キャなどの悪い印象を抱かれることを危惧しているのではないか、毎年のことだが考える。
反対に、この手のイベントを嫌っている人間からすれば、陽キャは滅べと腹の中では怨念の様に繰り返し呟かれるのだから、どちらが悪いとも言い難い。
間違いなく言えることがあるとすれば、騒いでも騒がなくても、他人に迷惑をかけないようにしましょうという小学生が学校で最初に教わるような内容ではないだろうか。
それくらい、最近はマナーが悪い。
学校でも、話題は直近に迫ったクリスマスをどう過ごすのかで持ち切りだ。
クラスでも主要な生徒は、誰かしらとクリスマスの予定を立て始めていた。
他にも、恋人がいる人はデートのプランを練っている。
そして、もはや無料オプションのように、自分は誘われることがないと卑屈になっている少年少女。
ちなみに、俺にはクリスマスには決まって重要な事象がある。
それは、毎年商店街で焼き肉屋を個人経営しているお店からチキンを持ち帰り食べると言う重要な任務だ。
価格もお手頃で、そしてボリュームと味は不満一つない素晴らしい逸品だ。
クリスマス限定であることだけ本当に悔やまれる。
今年も、そろそろ予約をしておかなくてはと考えながら教室の騒々しい風景を眺めていると、隣の席に座る綺羅坂が横から覗き込むように俺の机の上に置かれた答案を見る。
忘れがちだが本分は学生、当然ながらテストは常に生徒を脅かす。
そして、今手元にある答案は先週に行われた期末テストの結果だ。
数学の答案なのだが、可もなく不可もなく平均点を叩き出した。
最近、周りからも、こいつはスペック良いのでは? と思われることが増えたような気がする……気がするだけかもしれないが、そんな中でも期待通りの平均点。
もはや、平均点マイスターなんて称号があれば獲得しているだろう。
数学、現代文、社会、理科、英語、他にも期末なので通常では行われない科目も多くがテストを行った。
これでも一応は生徒会役員だ。
赤点取ってしまいましたと言えば、役員達から苦笑を浮かべられること間違いなし。
ちょっとは頑張ったつもりなのだが、まあ想像の範疇を超えることは難しい。
綺羅坂は俺の答案を見て、内容を確認すると少し柔らかな微笑を浮かべて数点指摘する。
「ここは公式を間違えているわね、それにこの問題は途中までは解けていた、再確認をしていれば気が付けたはずだから次回は見直すことね」
「何も言い返せないです」
全ての回答欄を埋めるのに時間ぎりぎりだったとか、公式が間違えていた場所も本来苦手な計算式だから捨てていたとか……隣で満点の答案を返された人には言い訳になってしまう。
それにしても、氷の女王なんて言われていた綺羅坂も、少しは表情が豊かになったのではないだろうか。
今浮かべていた笑みも自然なもので、周囲の男子が見れば心をキューピット君に射抜かれて惚れること間違いなし。
生徒達も近寄りやすいのだと思うのだが……
そんなことを思いながら彼女を見つめている、教室の前のから答案を持って近寄ってきた優斗が驚いたように声を漏らす。
「満点か、やっぱ綺羅坂さんは凄いな……」
「……」
優斗の呟きに綺羅坂は沈黙を貫く。
やっぱり彼には厳しいんですね、というか他の生徒には厳しいんですね。
逆に彼女らしくて安心感すら感じる。
優斗の後に遅れて前の席に腰掛けた雫は俺の答案を見て、数回頷く。
そして、問題文の何か所かを赤ペンで書こうと、可愛らしく頬を膨らませて睨んできた。
「湊君、ここは私が教えた場所ですよ?」
「確かに教えてもらった……でも答えられるとは言っていない」
「もうっ! 言い訳はダメですよ?」
胸を張って謎の自信を持ち言い返す。
今回も、雫と綺羅坂には全科目を通じて問題を解くコツなどを教わった。
前の様に彼女達が予想した出題範囲を集中して勉強する方法は、どこかチートのような的中率を誇るのであれ以来頼んではいない。
範囲全体を復習して、時折分からない部分を教えてもらうことにした。
まあ、結果としては普段通りの点数になるのだから、流石俺。
期末テストも無事、乗り切ることは出来たので後は残りの十一月と十二月を少し過ごすだけで今年度の登校は終わりとなる。
年越しをして、新年を自堕落に過ごして寒い時期に再び登校が始まったと思えばすぐに進級試験だ。
年明け以降のことを考えると憂鬱にしかならないので、直近のことだけを考えるのが賢明だ。
先日の楓の留学騒動で母さんは家に戻ってきた。
今帰された答案もこれまでは俺の部屋に押し入れに封印されてきたが、今回からはしっかりと見せる約束になっているので、カバンの中にしまうと優斗が目の前で言った。
「もうすぐクリスマスだな、商店街もイルミネーションを付け始めていたからな」
「今年は皆さんご予定はありますか?」
優斗の言葉を待っていましたと言わんばかりに雫は食い気味に問うた。
綺羅坂も同じ話題を振ろうと思っていたのか、雫の問いの肩を一つ跳ねさせる。
皆さん、最初にそう付け足しておきながら二人はこちらに強い期待の眼差しを向ける。
……それは、予定は当然ないだろうなという視線ですかね?
「ある」
だが、残念俺には予定があるのだよ。
家で温かい炬燵に足を入れてチキンを頬張る。
これ以上の幸せは早々お目にかかれない。
逃すのは惜しく、申し訳ないという感情よりも先に俺の口は開いていた。
「え……?」
「冗談よね……?」
なんで君たちは世界の終焉を目の当たりにしたような表情を浮かべているのだ。
別に俺にも予定があっていいだろう。
その予定が凄く個人的なものであっても、いいではないか。
しかし二人は信じないといったように首を横に振り、ハッと思いついたのか互いの顔を見合わせて鋭い視線を向ける。
女性二人がにらみ合う光景、それはなんと恐ろしいものか。
優斗も苦笑いを浮かべていた。
もうしわけないけど、違うからね。
お前か!? みたいな感じでにらみ合っているけれど違うからね?
「家でチキン食べる」
二人がこれ以上誤解のまま険悪になるのも悪いので、予定を伝える。
すると、急に安心したように二人は溜息を零す。
互いに顔を見合わせていた雫と綺羅坂は暗黙の了解で頷き合うと、雫が代表して提案をした。
「それなら、夕飯前までクリスマスの日に出掛けませんか?」
「え……嫌だよ」
最近、何かと彼女達と行動を共にしているから、さも当然の様に言われたが、即答して断る。
甘いな、俺は絶対に暖かい炬燵から出ることはない。
人類が作り出した最強の暖房器具に、俺は身を埋めるのだ。
急に冷ややかな視線へと変わった二人から目を逸らすように、俺は教室の窓から空を見上げるのだった。




