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平凡な俺と非凡な彼ら   作者: 灰原 悠
第三十三話 望まない選択

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#269


 雫と別れて自宅に入るが、早朝の家の中にはまだ生活音はなく、閉めた扉の音が反響し、そして再び静寂が訪れる。


 普段なら、楓が起きて朝ご飯の準備を始める時間帯なのだが、楓は未だに部屋にいるようだ。


 妹の部屋の前まで廊下を進み、扉を叩く。

 室内からは返事はなく、少しだけ扉を開いて中の様子を伺うと、ベッドの上にはふくらみがある。


 まだ、寝ているのだろうか。

 起こすのも悪いので、開けて扉を閉めようとすると小さな声が耳に届く。


「兄さん?」


「……悪いな、起こしたか?」


「いえ……あまり眠れなくて」


 

 布団の中で少しだけ頭を浮かしながら扉の方向を見てきた楓に、俺も顔だけひょっこりと覗かせると聞く。


 楓は体を起こすと、疲れ気味の笑みを浮かべた。

 考え込んでよく眠れなかったのだろう。


 逆に、楓も俺が早起きしている珍しい状況について察しはついているだろう。

 内容は異なれど、大本は同じ問題に直面しているからか、思わず顔を合わせると苦笑を浮かべてしまう。


 静かに扉を開けて室内に入ると、勉強机の前に置かれた椅子に腰掛ける。

 

「俺は代休だから休みだけど……楓は学校行けそうか?」


 体調ではなく、精神的な意味で問う。

 掛け布団を丁寧に手直しすると、足だけを横に出して向かい合う。


 暫し悩むような表情を浮かべた妹に、俺は告げる。


「……今日くらいは休んでも平気だろ」


「はい……」


 こんな状況で学校にも普段通りに登校しろという方が俺には難しい。

 せめて、自分だけは適当で気を許せる相手であることに徹した。


 楓は机の上に置かれたクリアファイルに視線を向ける。

 親父が手渡した留学についての資料だ。


 視線が俺とファイルへと転々と移り、躊躇するように小さく開いた口からは吐息が零れる。

 それでも、心配そうな瞳で呟く。


「兄さんは……どう思いましたか?」


「親父の話か? ……大人ぶって偉そうに語呂良く並べ変えた我儘」


「凄い直球だね」


「家族相手だからオブラートに言う必要ないからな」


 深く椅子に腰かけて言い返す。

 楓も俺の返答に思わず笑いが零れるが、すぐに暗い表情へと戻ってしまった。


 楓も気が付いているのだろう。

 親父が話を持ち出している時点で、大方の道筋は固められていることに。

 自分は親の言うとおりに従うしかない、そう思っているのかもしれない。


 半分同じで、半分違う。

 親の言葉には従わなければという、子供の根底にある思い込みと、親であっても勝手な行動や方針に付き合う必要性はないという考え。


 今の楓は、前者が考えの大半を埋め尽くしているはずだ。

 躊躇うのは、他に心配なことや不満があるから。


 家族、友人、故郷、挙げれば多くてきりがなく、天秤にかけることも難しい。

 中でも楓自身が一晩の間、思いつめていた問題を口にした。


「兄さんも一緒ですよね?」


「……」


 声は震え、自身も覇気もない。

 確証を得られない不安から、逃げ道を探すかのように楓は呟く。


 何年経とうが、目の前の少女が妹であることに変わりはない。 

 俺の背を待ってと追い続け、そのたび手を取り合って過ごしてきた記憶も変わることはなく生涯良き記憶として自分の中に生き続ける。


 そして、現在進行形で突きつけられた選択を誤れば後悔して過ごしていくことになることも言わずもがな察していた。


 人生という自身を育成するゲームであると仮定して、常に取捨選択を続けて後戻りはできない。

 それが人間であり、人生だ。


 だからこそ、一つの選択に固執する、後悔する。

 何を選ぶべきなのか、どちらを選択したところで後悔は訪れる。


 何を捨てれば、その後悔が少なく済むのかを考えなくてはならない。

 そして、俺はいま何を選ぶべきなのか、何を捨てるべきなのか。


 故郷、友人、家族、信頼、愛情……

 静かに瞳を閉じて、繰り返し考える。


 無意識に零れた息は、妹同様に震えていたのに後から気が付く。

 手にはじっとりと冷たい汗が流れ、呼吸は平常時よりも少しだけ荒くなる。


 あと少し、ほんの少し背中を押す何かがあれば決意が固まる、そう思い質問に対して俺は反対に問いを投げかける。


「楓は……お前はどうしたい?」


「私は……」


 今は俺以外に誰もいない、純粋に感情のままに思いを吐露すればいい。

 遮ることも、急かすこともせずにただ紡がれる言葉を待つ。


 俯き、視線を動かし、手を握り直し、ゆっくりと上げられた瞳に迷いは感じられない。


「桔梗女学院で過ごしたいです……今はこの生活が楽しい」


 最後まで楓の言葉を聞き遂げると、天井を仰ぐ。

 母さんが再三、今の学校生活が楽しいかと尋ねてきた。


 楓は今目の前で楽しいと答えた。

 俺も、遠回しな言い方になってしまったが、今の生活が気に入っている。

 今まで数少なく、滅多に現れなかった良き理解者たちが周囲には集まり、学生生活も悪くはないのではないか、そう思い始めていた。


 俺も楓も、失いたくない者が確かにあったのだ。


「……今日も含めれば、答えを出すにはあと二日ある」


「ううん、私の意思は決めた……それでも反対されちゃったらどうしようもないけど」


 そう言って、楓は苦笑を浮かべる。

 自分の感情的な答えであり、否定されれば覆すほどの案は妹の中にはないのだろう。

 だから、あくまで意思であり願いである。


 ならば、兄としてやることは決まった。

 妹の考えを尊重して、親父の留学という話自体を無かったことにすること。


 でも、それは容易なことではない。

 学生間の問題を解決するときに多用する感情論が、ここでは通用しない。


 子供の我儘と言われ、それでおしまい。

 だから、こちらも相応に冷静に対応しなくてはならない。


「やっぱりお母さんにお父さんを説得してもらうしかないかな……」


「いや、それは無理だろう」


「どうして?」


「母さんにしては大人しすぎる……親父が提案した時点で嫌なら何があっても跳ね除けてみせるはずだ」

 

 呟かれた提案に即答で答える。

 親からの提案に対して、子としての返答が決まれば空回りしていた思考にも些か冷静な判断力が戻ってくる。


 母さんが玄関前から……いや、修学旅行前に電話してきたときからの反応や言動を思い出す。

 

 日数で言えば約四日前に両親の答えが出ていないわけがない。

 電話をしてきたあの時点で、方針は固まり帰省の予定も経っていたはずだ。


 なら、母さんの立ち位置について再確認するべきだ。

 昨日の最後の会話では、親父の提案に関しては反対をしたと言った。


 ただ、事実止めていない。

 親バカで子供が大好きな母さんが親父の勝手を許容している。

 極論、一緒に皆で住めれば母さんは良いのだ。


 だから、俺達が仮に反対したとしても止めることはしない。

 受け入れ、結果を待つ。


 そして、俺と楓に対して求めているのは親父との会話。

 自分の意思を、考えを、今何をして何が楽しいと感じているのか。

 家族としては極端に少ない俺と親父との会話を求めているのかもしれない。

 

 互いの考えや価値観の尊重、共有をしてもらいたい、そう願っているのかもしれない。


 味方に引き入れたところで効果は期待より見込めないはずだ。

 だから、違う選択肢を選ぶべきだ。


 少ない時間で効果的な選択を。

 俺は仰いだ視線を落として、楓に一つの頼みごと、ある種邪道な行動を頼むことにした。






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