#253
修学旅行二日目の天気は快晴、しかし気分は曇天。
和室の部屋に敷かれた布団に男子四人で肩を並べて一夜を過ごすとは、ここまで寝心地が悪いとは……
野球部二人の豪快な寝息が、深夜の室内でセッションすると恐ろしいことこの上ない。
中学時代の修学旅行の時も、こんなに眠りが浅かっただろうかと思いながら洗面所で眠気を飛ばす。
前髪に雫が滴り、鏡面に映るのは瞳の濁った青年の姿。
何年経っても、自分の顔を見て変化したとは思わないことが不思議だ。
洗面所を出て、同室の優斗を含めたメンバーが起きていないことを確認してから朝の時間つぶしの為に部屋を出る。
静かに息を潜めて朝食まで時間を過ごすには、些か窮屈すぎる。
昨日の夜とは違い、廊下には小さめのBGMと静かに歩く従業員たちの足音だけが響く。
隣を通り過ぎて、営業スマイルを小さな会釈で対応するとエレベーターを使い一階へと降りる。
学生達が眠っていようが、従業員の仕事は始まっている。
朝食の準備、新規の宿泊客のための準備に、見送りの手配。
この業務に就く人は、いったいどのような志望動機で職種を決めたのだろうかと考えながら、ホテルの東に面した壁面にある小さな扉を開く。
そこは、建物の間に挟まれて景色など眺めることのできない小さな休憩所のような芝生の広間があった。
きっと、従業員たちが休憩の合間に外の空気を吸うために設けられたベンチに腰掛けて、朝日を全身に浴びる。
「……ちょっと熱いな」
十一月になっても、日差しは少しだけ関東より暖かい。
でも、朝でまだ完全に目覚めていない体にはちょうど良い。
暫く、朝日を堪能していると、俺が来た方向から同様にこの小さな広間に入る人影が一つ。
ショートに整えられた黒髪を手で払うようと、少しだけ髪を撫でながら歩みを進めるのは綺羅坂だった。
彼女は、偶然ではなく意図してこの場所に赴いたのだろう、俺を視界に捉えた時には微笑を浮かべていた。
「朝はゆっくりしている人だと思っていたわ」
「案外、家の安いベッドの方が寝心地が良かったってことだ……」
多分、俺が普段愛用している布団よりも上等な素材で作られているであろう代物でも、何か肌に慣れない感覚は俺には合わないようだ。
綺羅坂は、回答に満足したのか指摘することなく隣へと腰掛ける。
ふわりと、同様の布団で寝ていたとは思えない華やかな香りが鼻孔をくすぐり、興味深そうにこちらを見据える視線が向けられる。
「昨日のこと、理由を聞いてもいいかしら?」
「……」
綺羅坂は、短く尋ねてきた。
彼女が考えているような、大層な理由も何もあったものではない。
それでも、納得してもらえるだけの言葉は用意していたつもりだ。
「誰も得しない状況に、予想外な場所から良い手札が回ってきたのに自ら捨てる選択肢はなかった……それだけだ」
「それは真良君自身のこと、それともあなた以外のこと?」
「全部」
母親が子供に問うような優しい声音は、普段の綺羅坂には想像もできない優しさだ。
逆に、優しすぎて怖いまである。
しかし、昨日とは違い朝日の心地よさもあるせいか、余計な思案をすることなく言葉は口から零れ出る。
「俺も、あいつらも一度は答えが出た。でも、その答えから一歩進めた人もいれば停滞している人もいる」
「でも、彼らが求めた行動ではないはずよ」
「……だろうな、でもあの場にいた誰かが行動を起こさないと、何も変わらないと思ってな」
古びた遊具が並ぶ公園で、同じ制服に身を包んだ少年少女が青春漫画のような一場面を繰り広げた情景が瞼を閉じると焼き付いたように離れない。
自虐を含んだ言葉を告げると、綺羅坂はそっと目を伏せて黙り込む。
だが、行動を起こすにあたって心変わりがないことは伝わったのだろう。
彼女の瞳には冗談の色は見て取れない。
宮下彩という一人の女子生徒を利用するような体裁になってしまったが、これは彼女も似たようなものだろう。
互いに、価値観ではなく利害が一致しての成り行き。
綺羅坂怜が気にしていたのは、宮下に特別な感情や関係性があるか否か。
興味、そして観察対象である人物に余計な横やりが入らなければ、問題はないのだろう。
「納得したか?」
「ええ、何を言ったところで面倒事は避けられないと理解したわ」
溜息交じりの苦言に、俺は思わず苦笑を浮かべた。
同じ班である以上は、綺羅坂にも雫にも面倒を掛けることは避けられない。
そのうえで、自分勝手な言い分だが二人なら少なからず協力はしてくれるだろうという打算は正直なところ心の内にはあった。
そんな下心すら、彼女は見透かしたように溜息を零したのだ。
「恋路の結末を見届けて、あなたが得られるものがあるのかしら」
小さな声量で呟いた綺羅坂の一言は、誰しもが疑問に思うことを代弁しているかのようだった。
目に見えた損得で言えば、無駄な気遣いと労力を消費するだけで俺に得などないだろう。
でも、狭い世界で過ごしてきたからこそ客観的に人の恋路を間近で見届ける機会は早々ない。
結果はどうであれ、その貴重な場面を観て聴くことで分からなかった“何か”が掴めるかもしれない……そんな気がした。
……まあ、気がしただけなんだけどね。
これが無駄で終わればそれまでのこと。
俺を含めた周囲の人間関係に一つの変化を生み出すきっかけにはなるだろう。
だから、できる範囲で協力はするし、それなりに応援だってするかもしれない。
つくづく思うのは、真良湊という人間はどこまでも性根が腐っているということだ。




