#215
来客用の駐車場には桔梗の校章が控えめにドアに貼られたバスが今日も停車していた。
既に車内には生徒の姿は無く、運転手だけが暇そうに運転席に腰掛けている。
その前を通り過ぎて、一番最初に視界に入る自動販売機を目指す。
生徒会室からバスが到着するのを確認して、出迎えがてら向かう途中に目的の相手がこの自販機に飲み物を買いに行く後ろ姿を捉えたのだ。
ある程度距離が近くなり、相手にもこちらの姿が視認される。
少し驚いた表情を浮かべて、しかし逃げることなく待ち構えた。
「どうも……」
「わざわざお兄さんからお出迎えとは、合同企画に前向きにでもなってくれたのですか?」
桔梗女学院の生徒会長、瀬良が腕を組み不敵に言った。
腕を組む動作の裏で隠されたおしるこには、言及しないでおこう。
好みがあるからね、おしるこ美味しいよね!
皮肉にも取れる挨拶を軽く受け流して、俺も自身の飲み物としてミルクティーを購入した。
「……毎日、学校が終わって放課後に他校に赴くのは面倒じゃないんですか」
「持ち込んだ企画な以上、当然の行動です」
ゴトンと少しだけ耳障りな音が一帯に響き、出てきた缶を手に取り問いかける。
だが、模範解答が返ってきたのが白石に似ているなと思いつつ、近くのベンチを手で示す。
缶の蓋を開けて、そのベンチの端に腰掛けると瀬良も恥ずかし気に腕で隠したおしるこを開けて腰掛ける。
二人が飲み物で喉を潤す間の沈黙が、部活動の喧騒にかき消される。
傍から見れば、青春を謳歌するカップルのように見えているのだろうか。
いや、制服が違う生徒が来校している異質の状況に目線が奪われて、俺の姿など見えていない可能性すらある。
これがミスディレクション―――という湊の戯言シリーズはほどほどに、本題を口にする。
「……会長とは以前からお知り合いだったんですか?」
「……」
俺は口元に飲み口を添えて呟く。
横目でも、隣に座る瀬良の手が強張るのが見てとれた。
僅かに缶が歪み、先ほどまで向けられていた瞳とは違う意味が含まれた視線が向けられる。
初めて対面した時のように、感情を一切感じさせない虚無のような黒い瞳。
その時に、会長も瀬良と初めて会ったことは言葉の端々で感じてはいたが、あえて知り合いという言葉を選択した。
瀬良という人が、会長と自身の関係性をどのように認識しているのか分かりやすくするために。
とはいえ、俺達の住む町は小さい。
町内には二校も高校があるが、お世辞でも栄えているとは言えない小さな田舎に近い町だ。
高校以前に知り合う機会があっても不思議ではない。
ましてや、二校の生徒会長ともなると嫌でも相手の名前を目にすることはあるだろう。
そして、比較の対象になるのも致し方ないのかもしれない。
一例に過ぎないのだろうけれども、綺羅坂から受け取った会長が参加していた模試の少し下には、必ず瀬良という名前が並んでいた。
飛躍的な考えかもしれないが、桜ノ丘学園を落ちたという噂の発端は、模試の結果を知った人物たちの話が噂となって間違った方向性で広まったものではないだろうか。
そう考えれば、会長と瀬良の不仲の噂も同様に予想が立てられる。
あくまで予想だ、自分の考えが正しいとは思っていない。
だが、少なくとも二人が微塵も繋がりがないという結果には行き着かなかった。
だから、瀬良が口を開くのを待った。
「唐突ですね、何故今そんな質問を?」
「妹から少し話を聞きましてね……興味本位です、言いたくなければ別に構いません」
向けられた視線を合わせることなく、ただ前を見据えて答える。
俺とこの人の唯一の共通点は楓の存在だ。
会話の運び方としては、これが一番ベストで不自然が無いはず。
瀬良にとっての楓の印象が変わる恐れはあったが、相手も一度は似たような切り口を使っている。
この手の人は、目の前の情報を重んじるタイプだ。
話や噂などで人間性を決めつけることはない。
事実、俺を見た時に噂と現実の違いを指摘したのが何よりの証拠だ。
なら、俺の言葉で楓の印象が変わることは杞憂に終わる。
彼女にとっての俺の評価が落ちるだけで、楓に悪い影響は少ないはずだ。
「……何を聞いたのか、それは察しがつきます。あなたのような人は噂を鵜呑みにするタイプだとは思いませんが」
口にした言葉には、意外な一面を垣間見たような反応が混ざっていた。
訂正するように、俺は流れを止めることなく返す。
「十中八九、間違った噂が流されているとは思ってますよ……ただ、今回は根も葉もない噂だとは思ってませんけど」
肌寒い風が吹き、目に掛るくらいの髪が靡く。
会議までの時間も残りわずか、校舎の壁面に備え付けられている大きな時計で時刻を確認しながら会話を続ける。
「うちの会長は嘘とか好かない人なんで、たぶんあなたと面と向かって会ったのは初めてだと思っていますけど、そちらは違うみたいですね」
「……」
問いかけた言葉に、答えは沈黙だった。
向けられた視線も外され、周りの喧騒も嘘のように小さく耳に届かなくなる。
周りが示し合わせたように、全体が静寂に包まれる。
「そうね……一方的な片思いというのが一番しっくりくる言葉かしら」
口元に浮かんだ微笑は、自身の過去を懐かしむようなものだった。
俺には理解できない、彼女だけの記憶と思い出を掘り出すような微笑が、印象とは違う一面を垣間見せた。
「努力は裏切らないなんて言いますが、勉学においては正しい一面もあります。多く時間を費やした人には相応の学力が培われる。そして私が持っていたはずの自信を完膚なきまでに叩き折られたのは生まれて初めて」
瀬良自身も、自分が勉強に関しては他者よりも優れていることは自覚していたのだろう。
だから、自信もあったし負けたくないという感情を人一倍強かったのかもしれない。
そんな人の前に現れた同学年の生徒が、柊茜だった。
学年さえ違えば比較されることも、同じ土俵で戦うこともなかっただろうにと慰めを言ったところで相手には逆効果だろう。
「おまけに相手は個人競技でも数々の成績を残している……私が勉強だけに費やしても勝てない。最初は対抗心から始まって、憧れに変わるのは別段不思議な事ではないでしょう」
「……まあ、似たような話はよく聞きますね」
テレビなどを見ていると、芸能人の過去のエピソードとかでよく出るやつね。
知っているけど、まさか実際に言葉として聞くことになるとは思っていなかったが。
「結局、一度も勝てないままだけれど、私の存在や名前を記憶してくれているかもって僅かに期待を持って桜ノ丘学園に来ましたが……思い上がりもいいところでした」
ベンチの端から立ち上がり、言葉とは裏腹に声音にはマイナスの感情が含まれていない。
あっさりと、どこか前向きにも聞こえた。
おしるこの缶を自販機の横にある空き缶入れに入れると、瀬良は視線を落としてこちらに振り向く。
俺も同様に缶の中身を一気に飲み干してから、空き缶を投げ入れる。
規則通りに整えられ、息苦しいと姿を見たほうが思ってしまうくらいにキッチリと着こなした制服姿が真面目で厳しいイメージを抱かせていたが、意外にも前向きで明るめな性格なのかもしれない……そう思っていると振り返った表情は暗い瞳と歪んだ口角だった。
「私を全く知らない、興味ないような柊の反応には、はらわたが煮えくりそうだったけど」
「……」
うん、怖い人だ。
間違いない。
綺羅坂とかとは違い意味で怖い奴だねこれは。
会長も厄介な人に憧れを持たれたな、なんて他人事だからこその安堵を感じていると、瀬良はすぐに引き締まった表情に戻る。
「負けるのは慣れました、だから今回は勝ちます」
断言する佇まいは、有無をも言わせぬ自信を感じさせる。
根拠も、確証もなく勝敗も明確にされていない。
それ以前に、企画としての魅力を桜の丘学園に提示する段階なのだ。
俺達が合同文化祭を引き受けるか否かは、相手には決定権がない。
そんな状況でも、勝負することを前提に話をしているのだから、この後に控えている会議にそれなりの自信を持っているのだろう。
「……まずは、合同の話を引き受けるかの前提条件があるはずですが」
「無論、それなりのカードは用意してきました」
瀬良はそう言うと、制服の胸元にあるポケットからメモ用紙を取り出す。
そこにこちらが賛同するほどの内容が書かれいているのか、それはここからでは見ることはできない。
「合同ならばこちらも予算を増額する用意があります、次に吹奏楽部がコンクールなどで多く受賞をしていることもあり、市民会館などを優遇してくれているのを活かしてボランティアや地域活動を共に行いたいと考えています」
一旦、そこまでの説明を簡潔にすると、顔色を窺うようにこちらに一瞬だけ視線を向ける。
俺が何を言葉を発しないのを確認して、続けて相手の言葉は続く。
「桔梗女学院は女子高なこともあり、室内の部活動が多いです。そのため放課後はグラウンドが宝の持ち腐れになっている状況も、そちらの部活動の先生方とこちらで活用していくことも悪くはないかと……」
そこまで語ると、胸元にメモ帳を戻す。
用意しているのが、今ので全てかは分からないが、それなりの条件を持ってきていたらしい。
確かに、うちは運動がメインで室内の部活動は盛んではない。
グラウンドは常に多くの部活動の生徒で溢れている。
場所が限られた状況であるのは否定できない。
それを貸し出しなり、活用の方法が提示されているのは魅力的だろう。
予算の増額や地域の活動に積極的に連携したいという話も、学生の内申にも記載できる内容が含まれてくるだけに一概に案を断るのは惜しい気もする。
今後の二校の関係性を利用してでも、新入生の引き込みに力を入れたいのが相手側の本音だろう。
正直、この先の判断は生徒では出来ない。
おそらく、同伴した相手の教員が似たような話を須藤先生たちに持ち込んでいることだろう。
そして、今日の時点で合同を確定の企画にするはずだ。
瀬良もこのタイミングを待って、具体的な合同案を提示してくる。
瀬良自身の文化祭への動機は、個人的なもので叶ったとしても自己満足な勝負だ。
肯定するつもりもなければ否定するつもりもない。
勝手にやってくれってのが俺の本音になるが、その心境を利用しない手はない。
ついさっき分かった、この人が内心では感情的な人であるからこそ、やりやすい手段はある。
「そのカードを使って仮に合同を実現したとして……あなた方の案が採用された文化祭が成功に終わる、その結果が勝利だとするのなら……憧れているって言葉はただの言い訳だ」
始めたあった時とは真逆の、今度は俺が嘲笑を含んだ笑みを見せる。
これが雫達なら作り切った嘲笑であることは見透かされてしまうが、他校の生徒だからこそのポーカーフェイス。
露骨な表情になっていないか心配していながら反応を待っていたが、その心配は無用だった。
すぐに表情は険しいものへと変わる。
瀬良の言っていることは、負けた理由を都合のいい言葉で綺麗にしているだけだ。
自覚はあったのだろう、だがよりによって俺のような平凡な生徒から核心に近い指摘を受けたことがよほど屈辱的だったのか、今までにない怒気を含んだ声音が彼女の口から発せられる。
「……これでも貴方より一つ先輩です、言葉には気を付けてね」
「……すみません、俺にはこんな言葉しか浮かんでこないもので」
適当に怒りの矛先を受け流してから、瀬良の瞳を見据える。
だが、それもつかの間のことで、瀬良は視線から逃れるように背を向ける。
進行方向は生徒指導室、今回の会議が行われる部屋のある棟だった。
ここで話を終えてはいけない。
勝負は勝敗条件を明確にしたうえで行われるもの。
柊茜を下したいと本当に思っているのなら、文化祭という観衆の目がある中でハッキリとした差が出る勝負にするべきだ。
俺達の生徒会選挙がそうだったように、瀬良自身が後に後悔することにならないように。
「勝負をしましょう……桜ノ丘学園生徒会と桔梗委女学院生徒会で。勝敗は簡単です、互いが出店をして売り上げの数字で勝負しましょう」
結局お祭りだ、勝負やらなにやらとしたところで賑わったで問題は片付けられる。
勝手に案を持ち出して、あとから会長やら三浦やらに小言を言われるかもしれないが、それは甘んじて受け入れよう。
……最悪、火野君も仲間だったということで分担してもらうまである。
皆仲良くキャッキャウフフな青春テンプレートな文化祭を期待している生徒には悪いが、文化祭という祭りを存分に利用させてもらう。
瀬良は俺の言葉を聞いた瞬間、その歩を止めた。
勝負に固執する傾向が強い人だとは思っていたが……良かった、止めるだけの印象は残すことは出来たようだ。
今日、本当の意味で初めて俺と彼女の視線が交差した。




