#175
違いがあるのは、一人の時間が増えたことだろう。
いや、増えたというよりかは戻ったの方が正しい。
二年に進級する前に、一人の時間を多く過ごしていたあの頃に。
生徒会選挙が行われる学校に今日も一人ノロノロとした足取りで登校をした。
周りでは小泉と白石が挨拶運動をしていたが、その集団から避けて通るように校舎の中に姿を隠す。
階段を上がり、廊下を進み、目的の教室の中に入る。
中では優斗と雫が生徒の輪の中心におり、綺羅坂が窓際で読書をしていた。
視線が一瞬だけ集まるのを感じながら、壁際を進む。
優斗の視線と、雫が何か言いたげな表情を浮かべるが、それを無視するように席まで移動する。
そして、自分の席に腰を下ろして荷物を下ろすと、綺羅坂が口を開く。
「おはよう」
「……ああ」
短い言葉のやり取り。
いつもなら、ここから何の意味もない会話が淡々と始まるのだが、今日はそれがない。
俺はクラスの騒音から音を遮るために、イヤホンを耳に差して音を遮断した。
会話の拒絶。
自分からの発する意味でもあり、周りの人間もイヤホンをしている人間に声を掛けることはないだろう。
そして十分ほどの時間が過ぎて、担任が教室内に入ってきたのを目視してからようやくイヤホンを取り外した。
「本日も生徒会選挙の活動があるので、時間のある生徒は様子を見に行ってくるといい」
一日の授業を終えて、担任が締めくくるように告げた。
そして、部活動がある生徒は一目散に教室から退室して、帰宅部で何もない生徒の数人が担任の言葉通り選挙の様子を眺めるか……なんて話をしていた。
俺はそんな彼らを横目に荷物を手に取り、立ち上がる。
「湊君……」
腰を上げて教室から出ていこうとしたとき、呟いた声が耳に届く。
何年も身近で聞いてきたから、囁いた程度の声でも聞こえて立ち止まってしまった。
「昨日は……すみませんでした。私から競技に誘って何も言えなくて……」
「別に、そんなことで怒ったりしないのはお前が一番知っているだろ」
そんなことで怒っているわけではない。
そもそも、怒ってすらいない。
ただ、再確認をしただけだ。
背を向けたまま、後ろにいる雫に告げた。
振り向けば、そこにはきっと悲し気な表情を浮かべている彼女の姿がある。
今更、その様子を見て決心が変わることはないが、それでも今は彼女の姿を見たくはない。
雫だけではない、優斗も綺羅坂も出来る限り見たくはなかった。
思い出したはずの感情と信念が揺れる可能性が無いと胸を張って告げることが出来ないからだ。
「……じゃ、俺は生徒会があるから」
「あ、あのっ!……そ、そうですよね、行ってらっしゃい」
語尾が萎れるように小さくなる声音で囁いたのを確認してから、歩みを再開する。
足音で、彼女の隣に優斗が立ち止まったのは容易に想像できた。
きっと、綺羅坂は窓際からこの光景を見ているのだろう。
優斗は、昨日の俺の言葉を直接聞いているから、今日は一度も話しかけることはなかった。
何かを思っているのか、もしくは察しているのか、あるいは悟っているのか。
何にせよ、今はその選択はありがたい。
喧騒とした校舎内から逃げるように生徒会のある棟へと向かう。
生徒の合間を縫って、たどり着いた生徒会の扉を叩くことなく押し開ける。
「お疲れ様です……」
その教室内には火野君と会長の姿があった。
しかし、小泉と三浦の姿はない。
「二人は正門前広場で選挙活動をしている、火野君も手伝いに向かう約束になっているらしい」
「そうなんす、看板を持ってほしいと小泉先輩に頼まれているっすから」
「お前は売り子か……」
自慢げに腕を叩いて、自分のたくましい体を披露する。
その姿に苦笑して、手を挙げてひらひらと答える。
火野君は俺の席に飲み物を用意すると、早々に室内から立ち去った。
本当に俺の飲み物を用意するだけのためにここにいたのか、あいつは……
二人きりになった生徒会室で、会長は火野君の淹れた紅茶を飲む。
瞳を閉じて、香りを楽しむかのように。
「……」
その姿を尻目に俺もカップに口を付ける。
しばしの沈黙が室内を包んだ。
普段なら消化しなければならない書類が卓上に置かれているのだが、今日はそれがない。
まあ、選挙の期間に生徒会に作業を持ってこられても対応が遅れるだけで効率も悪いだろう。
職員もそこまでは馬鹿ではない。
会長に今日の予定を確認するために視線を向け言った。
「この調子だと生徒会選挙が終わるまでは作業は少ないですかね……」
「毎年人手が足りないからな、数日は作業という作業もないだろう」
残りの紅茶を飲み干すと、会長は一息ついてから告げた。
なら、今日は帰ってもよさそうだ。
同様に火野君の淹れた紅茶を一気に飲み干すと、荷物を肩に掛ける。
踵を返して扉に向かうと、会長は興味深そうに視線をこちらに向ける。
「今日の真良は……少し前の印象に見えるな」
「……悪い印象でないなら構いませんけどね」
柊茜に悪い印象を持たれた残りの学校生活が悲惨な状況になってしまう。
それは湊君的には非常にマズい。
冷や汗を流して、会長に悟られまいと言葉を返すと会長は笑いを零す。
おいおい、なに笑ってるんですかこの先輩は。
ついに俺にも笑いのセンスが開花してしまったか……なんて、くだらない思考を抱きつつ振り返る。
「いや、君も思い悩むことがあるのだと安心してな……生徒会も選挙の間は暇が多い、私一人でも作業はなんら問題はないから君は自分のことに専念してかまわない」
優しい笑みを浮かべて告げられた言葉に、何か言いたくなるが言葉が思い浮かんでこなかった。
代わりに小さく一礼をしてから生徒会室を後にする。
廊下の窓から外を覗くと生徒達が多く集まり、一つの集団が形成されていた。
あそこに白石と小泉がいるのだろう。
眼下でも楽しそうに笑う生徒達が我先にと校舎内を走って外に向かっていた。
その流れとは反対に、生徒が少ない帰路につくのだった。




