柊の安息
柊茜の夏休みの一日の会話になります
少年は、初めて見た時から周りとは少し違っていた。
同学年の怜や神崎、荻原みたいな秀でた意味ではなく、その正反対でもなく……本当の意味で周りとは違っていた。
何か、そう問われると明確な言葉を見つけるのが難しい。
だが、初見で感じるほど、違和感にも似た感覚を今でも鮮明に覚えている。
完全に個として、他者と深い関りを持つことなく、どこか別視点から見ているかのような。
思春期の、それも多彩な人材に恵まれた桜ノ丘学園で、彼ほど他者への興味も関心もなく、そして関わろうとしない人は初めてだった。
そして、自分で言うのもあれなのだが、私に向けられた視線に何の感情も読み取ることが出来なかったことも初めてだった。
今にしてみれば、だからこそと言えるのかもしれない。
だからこそ、彼に関心が生まれた。
観察対象としてであるが、周りの生徒よりも秀でている面など微塵も感じられなかった生徒に、多大な関心を。
そして今もまさに関心は継続されている。
生徒会に身を置かせ、学校での生活を見ているがなおも彼は感心尽きない。
こうして、彼と堂々と話せるようになったのは、先日の一件があったからに他ならない。
楽しい。
それだけが今の私の心を支配していた。
何も気を使う必要性もなく、そして私に過度な期待も役目も、そして対応を求めない。
いや、彼の本心では期待も気も使っているのかもしれない。
でも、それを悟らせないことを高く評価しているのだ。
それが、本当に安らぐ。
柊茜として振る舞うことを許されているようで、忘れかけていた自分をさらけ出せているようで。
だからこそ、彼を見合いの相手として提案されたときに二つ返事をしたのだろう。
願わくは、彼との間に紡がれるほんの短い時間の会話を、この学園から去るまでの期間に幾度と繰り返されることを。
蒸し暑い外気とは違い、静かな駆動音と共に冷気が室内を冷やす。
「―――つまり、白石の関心対象を一時的に小泉に移したというわけか」
「ええ……だから根本的な解決にはなりませんが、それでもこれまでのあいつら頼りの生徒会選挙になる可能性は低くなったはずです」
互いに机を挟み、コーヒーを片手に語る。
生徒会活動のあとに、他の役員が帰宅してから会長と俺の二人だけの生徒会室でこれまでの経緯を含めた情報交換が行われていた。
会長は自分の予想と俺達の行動が合致したのか、満足そうに深く頷いた。
「それで、君の今後の展開を聞いてもいいかな?選挙の動向、それに結果まで予想が立てられるのであれば最後まで」
「……会長が考えている展開とは違うと思いますけど」
考え方、捉え方、そして選挙に立候補している人間との関係で多少展開は異なるだろう。
俺の場合、小泉と白石のどちらとも短い付き合いだから片方に思い入れが少ない。
故に結果はすぐに出てきた。
「仮に、白石が俺達に言った『理想の生徒会』というのを掲げないで立候補するのであれば、六対四で小泉ですかね」
「ほう……理由は?」
「一年から三学年の生徒数は各学年同じくらい、一年は白石に二年は小泉に流れたと仮定して三年生は一年間小泉の活動を見ていたアドバンテージがありますからね」
簡潔に、数だけを予想してみれば小泉だろう。
でも、これだけの理由なら会長は納得しないだろう。
だからこそ、その先の展開、そして他の可能性も考えなければならない。
「でも……絶対的に小泉が有利だろうとは思いませんけどね。小泉の不安要素を挙げるとすれば性格ですかね……あいつは組織をまとめるというより陰からサポートするのが最も能力を発揮できるタイプの生徒だ」
その性格の彼を突き動かしているのが、目の前の女子生徒に対する憧れと羨望。
そして、副会長という立場である現状。
自分が柊茜の後を継がなければという責任感に近いものを感じた。
でも、それは彼自身の考え方と、それを生徒会という身内の組織内で見てきたからこその意見でもある。
一般生徒からすれば、どこか頼りなさそうに見えてしまうのが彼の悪い点でもある。
いや、本来なら悪い点と言うほどの問題ではない。
こと、生徒会選挙にこいては別だ。
実績も大切だが、学生に選挙において重要なファクターとなるのはビジュアルだ。
俺が最も嫌になる、学生の風習でもある。
見た目が良ければ、目立てば良い風習。
学生の間の不良が許されて、学生でないと許されてない的な、まあこれは偏った考え方になってしまうかもしれないが、まあそういう学生だからという楽観的な精神状況だからこその問題。
その点、白石は学年委員での立ち振る舞いも申し分はない。
教師からも生徒からの頼られる生徒であるとの情報は既に会長から伝えられている。
いったん、そこまで思考が巡ったところで、落ち着かせるために手元のカップに入った苦々しい飲み物を流し込む。
家で飲むものよりかは深みが足りん……と、言い放てればインテリ男子系になれたのだろうが、分からん。
ただ苦い、以上。
苦手なものや食べ物ってのは、大概がそんな感想しか浮かばないよね。
息を零すと同時に、少し会長に視線を向けてみるが相変わらず微笑のまま、耳を傾けている。
俺の意見を最後まで聞いて、そこから判断するつもりだ。
「白石はその点に関しては問題はないでしょうね、頼れる委員長キャラのあいつなら……でも、自分のシミュレート以外にはめっぽう弱い。小泉が何か意外性のある活動を見せたら一気にボロを見せる可能性もある」
「それで、回りまわって結果は六対四で小泉か」
「これはあくまで現状の材料だけでの予想ですよ……本気で捉えないでください」
この人と違う考え方であれば、それはそれでいい。
予想はあくまで予想。
各々の相違など気にしてはいけない。
だから、これは俺の予想であって本人達には言ってはならない。
下手な期待も不安も邪魔でしかない。
まあ、この人に関してはそんな杞憂をする必要もないだろう。
俺の意見を一通り聞くと、会長は瞑目して数度頷いて見せる。
「悪くない予想だ、私も似たような展開も一つの予想として事実立てている」
……この人、予想の一つって何個の展開を予想しているんだ。
中立と自分で述べた時点で、彼女は実質この生徒会には手を出すことが出来ないから、致し方ないのだろうが。
呆れを混ぜた言葉を会長に言った。
「ちなみに何通りくらい予想を立てたんですか?」
「そうだな……両者が勝つ展開、つまりは必要になるであろう状況を含めてになるが三つは確かな展開があると予想している」
小泉が勝つ、白石が勝つ、そのほかにもう一つ。
その先の言葉は聞かないほうが良いと、本能が訴えかけてきた。
面倒ごとの予感がする。
会長が綺羅坂のように悪い笑みを浮かべているのが何よりの証拠だ。
語りを止めるように掌を差し出す。
それを見て、会長も笑って見せる。
「だが、まあ真良の中での展開は分かった。それに君がどちらかに極端に肩入れもしていないようで安心した」
「なんだか情のない人だと言われている気がしないでもないですけど……結局、どっちが会長になろうと悪い方向にはならないでしょう」
人のことを言っておいて、結局俺も似たようなものだ。
ただ漠然と生徒会選挙を他人事に捉えている。
白石の手伝う話も、彼女が期待していたであろう仕事は終えた。
つまりは、彼女が求めた三人への橋渡し。
繋がり以外で俺を必要とするものは、一つもないだろう。
そして、小泉には言える。
彼は言わないだろうけど、本来俺はいないはずの役員だ。
それが減ったところで問題はない。
むしろ、埋まっていた役員の枠を有用な生徒に割くことが出来るのは利点だ。
だから、俺の仕事はほとんど終わったと言っても過言ではないはずだ。
人に頼られて、浮かれたように思考を巡らせて、一人で思い悩んで、そして結局雫や綺羅坂、優斗に頼ってしまうこともなくなる。
本来の、自分自身だけに目を向けられる。
「君は望まないのか……生徒会の席を」
まるで見透かしているようなタイミングで告げられた一言。
思わず自分でも分かるくらいに、冷たい視線を会長に向けそうになる。
「嫌な言い方しないでください……望む望まない以前に、そもそも自分が生徒会に相応しい人材でないのは俺が一番分かってます」
「ふふ……君でもそんな瞳をすることがあるんだな」
からかうように、クスクスと笑いを零し言った。
久しくなかった苛立ちに似た感情から目を逸らすように、自然と会長からも目を逸らしていた。
「君や怜くらいだからな、人の反応で楽しめるのは」
「……お願いですから、俺を暇つぶしの相手にしないでくださいね」
この人が会長という重役から解放されたとき、自分に負担が来ないように今から保身しておかねば。
綺羅坂ですら反応で楽しむ対象になっている時点で、俺がかなうはずがない。
「真良は本当に……興味が絶えないな」
その一言は霧散して儚く消えていく。
夏休みのひと時、騒乱の二学期を前にしたほんの一時の会話。
重要性も、この時間が必要だったのかも定かではない時間が、生徒会では流れていたのだ。
次は綺羅坂怜です。