#170
歩き慣れた廊下を進み、窓の陰に見えた生徒がいるであろう部屋へと赴く。
重く他者を拒むような鉄の扉を開くと、一気に明るい光に包まれた室内へと景色が変化する。
その部屋の窓際に佇む女性は、微笑を浮かべて俺を歓迎した。
「やあ、真良も小泉が気になって来たのかい?」
柊茜は、先日会った時と何も変わらない不敵でいて、そして堂々とそこにいた。
もはや、この部屋に彼女がいることが当然になりつつある中、様々な感情を含んだ息を零す。
「……俺が白石を連れてくるのを予想して、あのメールを送ったんじゃないんですか」
「深読みしすぎだ」
苦笑と共に呟いた会長の言葉は、外からの喧騒により室内に霧散する。
生徒会の入口の一番近くにある椅子に腰かけて、会長の立つ方向へと体を向けてから思い出す。
会長からのくだらない日々の情報交換のメールには、一件だけ自分達以外の内容のメールが含まれていた。
それは、先ほど見てきた光景に関しての内容だ。
大体の小泉が学校に来ている時間や、曜日、それを夏の猛暑で体を壊さないか心配だと憂いている内容だった。
それを見た瞬間は、俺も同意見でたいして疑問も浮かばなかったのも事実だ。
だが、白石と夏休みに時間を共有して、会長との見合いの話を経験して、本当に些細な違和感を覚えた。
会長から送られてくるのは、本当にどうでもいい内容の連絡ばかりだ。
『庭に白色の猫が寝ころんでいた』や、『隣町のパンケーキは想像より私には甘すぎた』なんて、生活の一部に過ぎないのだ。
だが、小泉の話に関しては、詳細が送られてきた。
まるで、俺がその様子を見に行くのを予感して、必ず小泉の姿を見ることが出来る状況を作り出していたかのように。
だからこそ、俺が今回の行動を思いつく理由ともなったのだが……
俺が言わんとしていることを分からない会長ではない。
次に会長の口から出たのは、俺が欲している内容の言葉だった。
「今回の生徒会選挙において不足だったのは、互いが相手を認識するという点だ。小泉は白石を注視して対策を練っていたのだろうが、相手は違う」
「……会長が言いたいことは、何となく分かります」
白石の瞳には小泉の姿が写っていなかった。
問題と条件だけを見て、本質的な部分をおろそかにしていたのだ。
相手を最も理解するという事を。
互いが周りからの票を多く奪う形式の対決の場合、本来は相手の行動や言動、思想を先に知ってから反対に自分のコンセプトを提示するものだ。
相手とは違う何かを、それがなぜ良いと考えているのかを周りに理解してもらうために。
ただ、白石が行っていたのは身の回りの地盤固めであり、相手の理解とは遠い。
おそらく、いや、間違いなく彼女は自分の周りに雫達を置くことが出来れば問題なく選挙に勝つことが出来ると考えていたのだろう。
実際、それが実現していたら選挙の結果は見えていた。
だが、会長の言う不足していた点である、本来の相手を認識せずに終わっていたはずだ。
「これは私の我儘なのだろうが、出来ることなら二人には他者の力に依存した勝負はしてほしくなかった。それが今後の彼らの考え方を固めてしまう可能性があったからだ」
他者への依存、絶対的強者に対しての屈服。
いやー、これが世の中の摂理ではあるのだが。
確かに、周りの大きな力に頼り、自分の力ではない実績を積み上げたところで成長も進化もないのだろう。
俺も知る限り、その手の人間は実際に一人でやらせてみたら何も出来ない……なんてことを頻繁に耳にしてきた。
学園の、生徒の長になる人物であるなら、そうならない人間であってほしい。
そう願う会長の言葉を否定する言葉が俺には出てこなかった。
「だが、真良のおかげで少しは私の望んだ選挙になりそうだ。ありがとう」
「俺は……何もしていないですよ」
結局、したことはこの場所に彼女達を連れてきたことだけだ。
言葉は優斗に、行動は綺羅坂に、そして彼女達を生徒会へ加入する可能性を残したのは雫の最後の言葉だ。
俺がしたことがあるとすれば、ただ悲観的な言葉を述べて、誰かの不満を聞いて、そして静観することだけ。
「だが、君は白石が落選した際の状況も考えたうえで、実行委員会の推薦と怜や神崎を委員会に入るように頼んでいたではないか。それに結果的に白石の考えを多少なりとも変えるきっかけは真良だ」
「最悪の状況を仮定して、それが全員が最低限の妥協できるところを提案しただけですよ……委員長に推薦も会長の後ろ盾があるからだし、白石も三人の言葉や行動でないと変化はなかった」
だから、そんなに過大評価をするのはやめてくれ。
俺の出来ることは自分が一番分かっている。
その小ささも、周りの大きさも分かっているからこそ自分が惨めに感じてしまう。
聞きたいことは聞くことが出来た、だから席を立ち室内から出るために戸に手を掛ける。
「真良はこの後の展開はどうなると思う?」
「……」
会長の問いは、選挙の結果に対しての問いなのか、それとも彼らの関係性や生活の変化についてか。
二択が浮かんできたが、あえて一番最初に浮かんだ選択肢についての言葉を口にする。
「白石が雫達を前面にした出馬理由を使わないと考えれば、いい勝負だと思いますよ……同学年の人数は大差ないですから、あとはどれだけ強い印象を残せるかですかね」
「……君はやはり次期生徒会に参加するつもりはないのか」
「必要かどうかの問題ですよ……今の生徒会には会長からの私情で、次の生徒会は雫達との繋がりで……俺が必要とされるのはそれだけの理由ですからね」
そう口にして生徒会室を後にする。
駐車場ではきっと四人が退屈しているだろう。
早く戻らないと、綺羅坂のことだから俺を置いて普通に帰る可能性まである。
来た道を早足で戻る中、ただ一度も生徒会室に方向を振り返ることはなかった。
「君は……彼らの輪の中に自分の姿をまだ見えていないのだな」
悲し気な少女の声が、木霊するように室内にかき消される。
生徒会を去った少年が、人との関りを苦手とするのは理解していた。
でも、可能な事ならば、私情も必要性なども無視して、彼の友人たちと若者らしく無邪気な表情を浮かべることはないのだろうか。
難しいと理解しつつ、そう願わずにはいられないのだった。




