#160
戸を開けて、目の前の光景に驚愕で言葉が出ない。
状況に思考が追いつかず、完全に思考が停止していた。
旅館の一室で座る女性は、俺の存在に気が付くと座ったまま見上げて微笑んだ。
「なんで……」
「なんでと言われてもな……見合いの相手が私だからというしかあるまい」
部屋で俺を待っていたのは、柊茜であった。
桜ノ丘学園の先輩であり、生徒会長。
学園の中で、彼女ほど完璧と言う言葉が似あう生徒は一人としていない。
そんな彼女が、今、目の前に堂々と座っていた。
何故、冗談、ドッキリ……いや、違う。
そんなくだらないことを、この人はしない。
だから、分かってる。
この状況で彼女が俺と同じ部屋にいる意味を。
ただ茫然と立ち尽くす俺を会長がからかうように笑うと、目の前の席を指差す。
「座らないか?立ち話をしに来たわけでもないだろう?」
「え、あ……はい」
促されて机一つを挟んで腰を下ろす。
対面した形で向かい合う俺と会長は、視線を交わらせて沈黙が続く。
会長は普段と変わらないが、俺が正直困惑していた。
だが、その裏で脳内をフル回転させて状況判断を繰り返す。
過去の会長との会話、それから導き出されるこの状況へのきっかけ。
だが、考えても思い浮かぶことはない。
一体、いつから会長はこの状況を知っていたのか、それを知るまでは俺の中で正確な状況把握は出来ない。
「そう怖い顔をするな、もっと気楽で君らしく振舞ってくれ」
「そう言われても、この状況で普段通りとはいかないでしょう」
むしろ、俺には会長が普段通りにしていることの方がおかしく見えてしまう。
俺が一人沈黙を貫いていると、会長は口を開いた。
「まずは挨拶からだな、柊茜です」
「……真良湊です」
「……なんだか、こそばゆい気分だ」
そう言って会長は苦笑を浮かべる。
若干、頬を赤くしているから本当に恥ずかしい気持ちがあるのだろう。
簡単な挨拶を終えて、会長は堂々と胸を張って言った。
「さあ、なんでも質問したまえ。そのための二人だけの時間だ」
この状況を楽しんでいるかのように告げた会長は、楽な体制にくつろいでから言葉を待つ。
これまでの状況で分かっていることは、会長側は見合い相手が俺だと分かっていた。
強い要望があった理由は学校で知り合っていたからだろうか。
「会長は……この話をいつから知っていたんですか?」
「そうだな……新学期が始まる前には父から縁談の話は聞いていた」
つまり、俺よりかは早く聞いていたのか。
だが、新学期前には会長と接点などないから、同じ学園に通う生徒という認識くらいだろう。
と、そこまで考えが思いついたところで、再び思考が止まる。
いや、正確には背筋が凍るようなぞっとした感覚が体を襲ったために、思わず思考が止まってしまったというのが正しい。
「……だから、目の届く場所に俺を置いておきたかったんですか?」
「……」
これまで、あえて問うまいと思っていたこと。
それは、俺が何故生徒会に会長権限と言う特別な力の行使をしてまで加入させたのか。
理由は加入時に説明されていたが、それだけで納得できるものではなかった。
周りとは違い、感情移入して判断を鈍らせることがない。
客観的な判断が出来る人物が今後の生徒会には必要と言われて、その場は一応は理解を示した。
だが、それでも完全に言葉を信じることは出来ていなかった。
会長の言う人物像なら適任はいくらでもいる。
それこそ、綺羅坂は最適の人物だろう。
コミュニケーション能力で多少の問題はあるが、姉のように慕う会長がいる間はまず問題なく活動できるはずだ。
それが今日の見合いの席に会長がいたことで、ハッキリと分かった。
この人が俺を生徒会に加入させたのは、本当の理由があった。
そう考えると色々と辻褄が合う。
俺の問いにしばらく瞑目していた会長は、しずかに瞼を上げるとためらいなく告げた。
「そうだ」
否定も言い訳もない。
事実だけを淡々と会長は答えた。
それが潔くて、笑いがこみ上げてしまった。
楽しいという感情からではなく、虚しさと呆れからだ。
自分自身への呆れ。
どこかで少しだけ思っていたのかもしれない。
あの柊茜に必要とされているだけの能力が俺にもあったのだと。
平凡だが、それでも周りとは違う何かを持っていたのだと。
だが、違った。
結局、俺はただの平凡な人間であって、生徒会に加入したのも縁談の話が合ったから、その相手がどんな人間か観察しておきたかったから。
「そうですよね……でなければ俺が生徒会に入れるわけがない」
自傷気味に呟くと、会長は優しい声音で声を掛けた。
「だが、嘘をついていたわけではない……確かに近くでどんな人物なのか観察しておきたいという理由もあった。でも、君と実際に話をして生徒会に招き入れたのであって、そこに他意はない」
「……」
思い切り他意があるのでは?
そう思っていると、会長は言葉を続ける。
「真良湊という人物を知る過程で、きっかけで縁談という理由があったのであって、生徒会に招待したのは君自身に私が魅力を感じたからだ」
浮かべた笑みはとても優しく、声音も落ち着いていた。
会長の言葉からは嘘を感じない。
依然として会長の言葉に耳を傾けていると、会長は今日にいたるまでの経緯を語り始める。
「父から縁談の話を聞き君を知った。最初は純粋な興味、そして実際に話をしてみて違う意味での興味が湧いた……怜が君を気に入っているのと似たようなものだ」
「あれは気に入っているとかのレベルではないですけどね」
既に所有物のように俺を自分の手足のごとく使うからなあいつ。
実際に、自分のものだと何度か言い放っているまである。
「だから、最初に言っておきたいのは今回の縁談の話と生徒会への勧誘の話は全くの別物だ……君には君にしかない必要性を感じたから私が生徒会に入れた、安心してくれ」
「そう……ですか、まあそういうことで一応は納得しておきます」
未だ、その言葉を信じられるまでには至っていないが、それでも話を進めるには一応の納得はしておかなければならない。
会長の言葉に頷いて答えると、安堵したように息を零して苦笑を浮かべた。
「正直、私が相手だと真良が分かった時点で、怒られるのではないかと心配だったのだ……君は思考の回転が速いが自己評価は特段低い傾向にある、だから勘違いされてしまうのではないかとね」
「はは……まさか」
……はは、まさか。
そんな会長の思い通りに俺は動きませんよ……いや、嘘です、簡単に予想通りに思考が働いてしまいました。
申し訳ございません。
簡単に心の内を見透かされた気分で苦笑いを浮かべていると、会長は本題となる話を切り出した。
「正直、私は真良との縁談を前向きに検討している」
この言葉は冗談ではない。
会長は本音で言っているのが容易に分かった。
瞳が、声音が、座っている姿が微塵も冗談などの気配を感じさせない。
だからこそ、俺も冗談など一つも言うことなく聞かなければならない問いを会長に投げかけるのだった。
やっと会長の話が書けました。
会長の理由については次話で書かせていただきます。
やっと……全ヒロイン登場です、長かった。