#159
いつものようにワイシャツを着てから、紺色のネクタイを締める。
上からブレザーを羽織ってから、鏡でおかしな点が無いかを確認する。
問題ない、通常運転の真良湊の姿がそこにはあった。
覇気のない瞳が、一日の杞憂さを表していた。
「……本当に制服でいいのかよ?」
「問題ない、高校生なら制服が一番の正装だ」
「そんなもんかね……」
親父も自分の用意をしながら、適当に返事を返す。
自分はちゃっかりスーツを新調していることについては、なにも聞かないでおこう。
下手にスーツなどで着飾ることがないだけ、普段通りの格好であれば楽だが状況にそぐわない気がしなくもない。
正直、お見合いというのはテレビドラマとかで見ているくらいの知識しかない。
そもそも、その情報が正しいのかは置いておくとして、制服で行くのは若干気が引けるのも確かだ。
今一度、鏡で姿を確認して玄関から外へ出る。
夏の強い日差しが、一瞬視界を眩しく遮るがすぐに治まる。
玄関から出た正面には、一台の車が止められていた。
真良家の車ではない、黒く無駄に長い車は綺羅坂が用意した送迎用の車だ。
何故、金持ちとは長い車を買うのだろうか。
これは、自由研究の題材になる……
ともかく、綺羅坂が同席を申し出た直後に、送迎用の車は綺羅坂家で用意すると提案されていた。
甘んじてそれを承諾した俺達は、玄関の目の前に止められた車に乗り込む。
「おはよう真良君……いつもより二割り増しで瞳に覇気が無いわね」
「おはよう……間違ってないから何も言えないな」
綺羅坂は黒を基調としたドレスを着て車内で待機していた。
その姿は裕福な家庭であることを、全面的に表現しているかのように煌びやかだった。
ご令嬢の娘といえばおかしくはないのだが、普段の綺羅坂を見ているとお嬢様らしくしていることが珍しく見えた。
綺羅坂の隣に目を向けると、気恥しそうに俯いている雫の姿があった。
彼女も綺羅坂と似たように白色のドレスを身に纏っていた。
どちらかといえば落ち着いた印象だが、白色は雫に合っていてるから当然のことだが似合っている。
これは優斗が見たら発狂ものだ。
二人は俺が自分たちの姿を確認したのを見ると期待の眼差しを向ける。
感想でも言ってもらいたいのだろか。
「二人は私服でいいだろうが」
そう告げると、不服そうに息を零す。
俺以上に着飾っている二人に、呆れていると親父と母さんが車に乗り込む。
二人とも正装で身を包み、準備は万端だ。
綺羅坂の合図で走り出した車は、普段俺達が歩く道とは反対方向へ進む。
楓の通う女子高の近くにある旅館がある場所へは、車で10分あれば着いてしまう。
車内では和気あいあいとはいかない。
親父と母さんは真剣な面持ちで流れ写る外の光景を眺め、雫は手鏡で何度か自分の姿を確認していた。
綺羅坂だけが依然として変わらぬ様相を貫いていた。
「楓ちゃんはこないのね」
車内で、静まり返った中綺羅坂が呟いた。
それは俺に向けての言葉だとすぐに察した。
「ああ……家族全員で行くものでもないからな、楓も乗り気じゃなかったし」
家で留守番をしている楓の姿を想像して、綺羅坂の問いに答える。
綺羅坂の隣に座る雫が次に口を開いた。
「湊君、お見合いなどでは常套手段として質疑応答があるはずです、少しでも予習しておきましょう!」
「いらんだろ……そんな予習」
だが、俺の言葉など耳に届いていないのか、雫はスマホを取り出すと何かしらを入力して次々と質問を投げかけてきた。
「趣味は?」
「読書」
「特技は?」
「昼寝」
「将来就きたい職業と、その理由は?」
「在宅業……家から出なくていいし通勤時間や残業などの拘束が少ないから」
「完璧なマイナスイメージが相手に伝わるので大丈夫ですね!」
え、本当にこれで大丈夫なの?
自分で答えておいてあれだが、やる気が無さ過ぎて相手に怒られるまであるぞ。
隣の綺羅坂も同様の意見なのか、深く頷いているだけで何も言葉を発することはない。
親父は溜息を零し、母さんは俺達のやり取りを楽しそうに微笑んで見守っていた。
なんだ、この混沌とした状況は。
これがカオス……
漢字をカタカタ表記に変えた時、少しだけカッコいいと感じてしまうのは、俺の中に未だ少年心が残っているからだろうか。
なんて、意味の無い考えを思い浮かべていると、車は次第に速度を落として一つの建物の地下に入っていく。
次第に緊張から鼓動が早くなる。
普段、緊張なんてあまりしないタイプの人間だが、こればかりは仕方がない。
俺とて一人の人間。
初めての状況に何も緊張をしないほど強くはない。
車が完全に停車すると、運転席から一人の男性が下りてきて後部座席のドアを開ける。
綺羅坂がまず最初に降りて、次に両親、雫と降り最後に俺が下りた。
旅館の従業員と思われる人が三人ほど待機していて、俺達が下りたのを確認すると歩み寄ってきた。
「お待ちしておりました真良様、早速ですがご案内致します」
一人の女性が先頭に立ち、俺達は地下から一階の広間に上がる。
そこには数名の客の姿があり、落ち着いた館内は緊張を僅かに和らげる。
「真良!」
従業員の案内の元、館内を歩いていると前方から声を掛けてくる一人の男性がいた。
親父よりか少しだけ年上に見える落ち着いた雰囲気の男性は、笑みを浮かべると親父の元に近づいてきた。
「先輩、お待たせして申し訳ありません」
「気にするな、俺と娘が早く来てしまっただけだ……君が湊君か」
視線が親父から俺に移る。
俺を知っていて、おして親父とも親しいとなれば確定だろう。
この人が今日の見合い相手の父親になる。
粗相のないように一礼して答えると、じっくりと観察するように視線を動かす。
そして何を思ったのか笑みを浮かべると、親父に向けて告げた。
「お前の昔にそっくりだな真良」
「息子ですからね」
親父が敬語を使い話している姿は新鮮だ。
仕事の話も人間関係の付き合いも、あまり家庭では話をしないだけに物珍しく見てしまう。
ひとしきり会話を交わしたところで、相手方の父親は本題を切り出す。
「本来は親も交えて話をするのだろうが、俺達の場合はその必要もないだろう……早速だが湊君と娘には別室が用意してあるからそこで存分に話をしてもらいたい」
「二人だけですか?」
「ああ、連れのお嬢さん達の話も琴音さんから聞いているが、まずは娘と二人で頼む。あとから全員で話をする席を設けよう」
俺の問いにそう答えると、女性従業員だけを残して五人は反対の通路を歩いていく。
去り際に雫と綺羅坂が小さく手を振っていたから、それに小さく振って返すと再び女性の誘導に従って歩みを再開する。
そして、一つの部屋の前で止まると女性は離れていった。
鼓動が耳にまで届いている。
扉に手を掛けた腕が振るえているのも感じる。
一度手を放し、息を深く吐いてから気分を落ち着かせて今度はためらうことなく戸を開ける。
一つの机を挟んで座布団が一つ空いていた。
反対には一人の女性が座っている。
俺はその顔を確認する前に腰を下ろすと、ゆっくりと視線を上にあげた。
そして、その顔を見て言葉を失った。




