#157
「……母さんも冗談が過ぎるぞ」
何故、彼女達のお見合い用写真が母さんの手元になるのかについて、この際は問うまい。
綺羅坂が関わっている以上は、憶測や予想をするだけ無駄だ。
彼女は予想が出来ない、そう前にも理解している。
雫は白を、綺羅坂は青を基調にした着物を着ており、とても同い年には見えない。
これなら、希望者は途絶えることはないだろう。
この手の写真には料金がいくら発生しているのだろう、そんな疑問を抱きながら写りの良い写真を今一度眺めてから、母さんに向けて告げた。
これは母さんとはいえ、度が過ぎている。
いや、親子揃って度が過ぎている。
本来、見合い自体を否定的な考えだったはずの母さんが、何を思って雫と綺羅坂の二人を相手に出してきたのか、俺には分からない。
見ず知らずの相手に息子を差し出すくらいなら、知り合いの娘さん達の方が良いと判断したのか……
未だに信じられないのが本音だ。
何を考えて、何をしようとしているのか。
親父にも予想外の出来事に、食い気味に話し始めようとした親父を母さんが制す。
視線をこちらに向け、微笑を浮かべると玄関の方を指差す。
「湊……楓も少し外に出ていてもらえるかしら?」
「は?」
「いや、でも……」
優しく告げた言葉に、戸惑いを隠せない。
話の中心であるはずの俺と、直接的には関係ないが身内の問題のはずの楓を外に出るように促す。
「大丈夫、外に出れば分かるから」
そう言った母さんの表情は、普段の通り優しい母の顔だった。
その言葉を信じる、といえば聞こえがいいが、それ以外に動きようがない俺と楓は指示の通りに席を立つ。
そして、並び立つようにリビングから出ていった。
背後から、親父が母さんに食って掛かるように言葉を投げかけていたが、ドア越しで良くは聞き取れない。
廊下を進み、玄関から外履きに履き替えてから外に出る。
何も変わらない、俺の家の玄関だ。
だが、そこには二人の女性の姿があった。
神崎雫と綺羅坂怜が、そこに立っていた。
「湊君、お久しぶりです!」
「どうも」
二人は、普段と変わらない様子で佇んでいる。
雫はにっこりと微笑み、綺羅坂は澄ました表情でそこにいた。
俺と楓だけ現状が呑み込めていない。
母さんの言った、外に出れば分かると言う言葉の意味が、二人がこの場にいることだとしたら、答えは相手から自ずと出てくるはずだ。
「湊君が聞きたいことが沢山あるのは分かっています、だから一つ一つ説明をしていきたいと思います」
そう切り出すと、雫はこれまでの経緯について説明を始めた。
事の発端は、俺の家に親父から電話があった日に遡る。
俺と楓からの話を聞き終えて、真良家から去った雫は最初に母さんに連絡をした。
見合いの話は本当なのか、そして親父が前向きに検討しているのは本当か。
結局、ゴールデンウィーク辺りに一度だけ日本へ戻ってきた母さんは、親父のもとに帰った後も説得を繰り返したが、問題を無かったことにするまでは至らなかったらしい。
出来たとすれば、日時を先延ばしにすること。
本来なら、夏休みの前には見合いの場を設けておく予定だったのを、母さんが言葉巧みに親父を操ったことで、今日まで遅らせることが出来た。
ただ、母さん自身が見合いを否定的で、今でも相手方に断りたいと考えていることから、俺への連絡をためらっていた矢先に雫からの連絡が入ったことで、話は思いのほか早く進んだそうだ。
見合いは事実である、そして親父よりも相手のほうが前向きに考えている。
近いうちに夏期休暇で日本に戻るはずの真良夫婦は、湊を連れて見合いに場に行かなくてはならない。
その事実は告げると、雫は一つの考えを思いついた。
それが、自ら見合い相手に立候補して対立する関係になること。
それが外向けだけの、形だけのものだとしても、見合い相手が複数人発生していれば、相手はそれだけで一考の余地が生まれる。
母さんも親父を説得する時間を作ることが出来て、あわよくば相手から話は無かったことになる可能性もあると……
あまりに可能性に頼る策で、強引な策過ぎる。
嘘も方便だなんて言葉もあるが、ごく普通の家庭に生まれた何の変わり映えのない少年には無理がある話だ。
母さんも、雫も馬鹿ではない。
頭の良い雫なら言わずとも承知のはずだ。
だからこその綺羅坂に協力を頼んだ。
是が非でも、今回の見合いを無しにしたい雫は犬猿の仲の綺羅坂に話をした。
彼女の協力なくしては、難しいから。
すると、すんなりと協力に承諾した綺羅坂は専属のカメラマンとスタイリストを用意して、即日に見合いの偽造写真の制作を開始した。
そして、現在、こうして我が家には本物と同等以上の写真が存在しているわけだ。
かいつまんでの説明だが、概ねの状況を理解するくらいは把握ができた。
だが、説明に納得ができたわけではない。
今日ばかりは溜息しか出ない。
むしろ、毎日溜息しているまであるが、それでも呆れてものが言えないとはこのことだ。
隣の楓もポカンと口を開け、雫の説明を聞いていると綺羅坂がここで口を開く。
「私が神崎さんから話を聞いた時……どんな気分だったか真良君に分かるかしら?」
冷めた声音で、冷たい視線を向けたまま綺羅坂は質問を投げかけた。
脳裏で場面を想像しても、気持ちを理解することはできない。
ただ、彼女の反応から良い気分ではないと感じたのは確かだろう。
無言を回答を捉えた綺羅坂は言い放つ。
「一生懸命に世話をして愛でていた子犬が、他人に尻尾を振っていたのを見た気分よ!」
「まあ、俺は綺羅坂に世話されてないけどね?」
俺は子犬じゃないからね。
そんな可愛い生き物だったら、桜ノ丘学園可愛い男子ランキング一位に君臨しているに間違いないから。
そんなカテゴリのランキングなど存在していないが……。
改めて二人に視線を向けて、強引なやり方だと嘆息を漏らす。
それを見た雫は苦笑を浮かべて言った。
「湊君が思う程、私達はお淑やかな女の子ではありませんよ?」
新学期が始まった頃までの雫からは想像も出来ない発言だった。
僅かばかりか言葉の節々に怒気が含まれている気がするのは気のせいではあるまい。
たぶん、漫画なら彼女の額に怒りマークが付いているはずだ。
数日前に雫のことを強い女の子だと述べた言葉は、少々意味を変えなくてはならない。
そう思っていると、雫と綺羅坂は俺と楓の隣を通り過ぎて玄関から家の中に入っていく。
完全に修羅場になる……逃げ出したい衝動を消し去るように二人の手が肩に置かれる。
そして、綺羅坂が轟くように一つの事実を述べた。
「真良君のお母様を通じて、相手にも写真は送ってあるわ……逃げられないわよ」
……終わりました。
心と体が同時に凍り付く様な一言を発した綺羅坂は、隣の雫と珍しく息の合ったニヤリと口元を歪ませた表情を浮かべ、そのまま俺を引きずるように真良家へと訪れたのだった。