六
朝の二刻半(七時)、今日もオック群は吹雪いていた。
ハルは二刻(六時)には起きて朝食を食べ、そして自室で着替えをしていた。
ちなみに貴族の朝食は自室内で食べるのが基本である。
「うー、さむいさむい」
ハルは自室で制服の上に分厚いコートを羽織る。そして足には何重も布を巻いて、皮のブーツを履く。
——普通の貴族ならこうして自分で服を着るなんてことはしないだろうが、でもこれが手っ取り早い。いちいち使用人に着替えを頼むなんて面倒くせぇ。
そんなことを考えつつハルは自室から出て館の玄関へと歩いて行く。そして玄関の脇に備え付けられている棚から、スパイクを取り出してブーツの下に装着した。
館は殆どが木造で、一部石を利用している。室内でスパイク付きの靴を履いていると当然床が酷い状態になる。そして靴は頑丈で長持ちする代わりに非常に高価だ。
スパイク付きの靴と通常の靴を二足ずつ揃えるのは金銭面で負担が大きいし、訓練校内も普通の靴を履く必要があり、別々に持つ必要がある。荷物も増えるので、こうしてスパイク部分だけ装着できるようになっている。
準備が出来たハルが館の外へ出ると、ハルとほぼ同じ年齢の活発そうな少女が数人のお供を引き連れて待機していた。
彼女の名はアリメイア=オック=サンドルマン。ハルより一つ年下で、ツァイフの異母妹である。
兄であるツァイフと同様見事な金色の髪をしており、容姿も非常に整っている。未だ十二歳ながらオック群の美姫と巷では噂だ。
外は吹雪だが、彼女の周囲には見えない何かで雪が遮られている。
これは高位の魔導師が作った魔道具だ。
非常に高価でありハルも欲しいとは思っているものの、到底一介の下級貴族が買える値段ではない。それどころか上級貴族だってそう持ってるものはいない。ツァイフでも持っていないのだ。
それだけ公爵家当主がアリメイアを大切にしているのがわかる。
「おはようございます、ハル兄様」
「おはよう、アリメイア」
オック公爵家には長男のアルベルト、次男のツァイフ、そして長女のアリメイアと三人子供がいる。アルベルトとツァイフは第一夫人の子だが、アリメイアだけ第二夫人だ。
ツァイフとアリメイア、そしてハルは殆ど同じ年齢であるためか、幼少からずっと一緒に育っていた。そのためか本当の兄妹ではないのに、ハルを兄と呼んで慕っている。
ハルとツァイフは船乗り訓練校だが、アリメイアは文官訓練校に通っている。
本当はアリメイアもハルたちと同じ船乗り訓練校へ行きたかったのだが、第二夫人の子とはいえ公爵家の娘なのだ。そんな娘に船乗りという荒事をさせる訳にはいかない。
また、将来はどこかの上級貴族、下手をすれば他群のところへ嫁ぐ事が決まっている。事実、その美しい容貌から群内は当然、他群からも色々と申し込みが殺到しているのだ。
文官は基本的に貴族しかなれないので船乗り訓練校とは異なり文官訓練校は貴族街内にあり、一緒に通うと言っても貴族街を出るところまでだが、それでも幼い頃から一緒に育ったハルとツァイフに少しでも長く居たいためか、こうして毎朝三人で途中まで一緒に登校している。
ハルは昨日の肉と砂糖の礼を言おうとツァイフの姿を探した。が、いつもならアリメイアの供の後ろでナリアやハシュナッツと雑談しているはずなのだが、今日は居なかった。
「ツァイフは?」
「ツァイフ兄様は朝早くに訓練校へ向かいました」
「あれ? 珍しい……って、そうか、今日は実施訓練の日だから浮かれてるのか」
訓練校には当然実施訓練がある。
文官であれば実際の数年前の群資料を元に計算したり、纏めたりする。そして船乗りの実施訓練は、実際に海へ出るのだ。
といっても今は四月であり、今も吹雪いている。海も凍っており船は出せない。
しかしオック群の本島、すなわち今現在ハルたちのいる島だが、南側にあるオックの街とちょうどその反対側、北側にあるメルテの街に分かれている。
そしてその二つの街を結んでいる人工の運河があるのだ。
この運河は島内の物流を担っており、真冬でも凍らないよう魔道具がつけられている。
もちろん運河の終点には柵が設けられており、海へは群の許可証が無い限り出られない。そのため魔物は存在しないし海と異なり潮の流れもないが、船の練習には使えるのだ。そしてハルたちは毎年一定期間、この運河を使って訓練をしている。
「ええ、二刻(六時)にはもう出かけました」
「はやっ?!」
訓練校は三刻(八時)から開始だ。学校まで行くのにゆっくり歩いて半刻弱かかる事を考えても、二刻は早い。
「くすくす、ツァイフ兄様は昨夜から楽しみにしていました。夕食時も騒がしく、お父様から注意を受けたほどですわよ」
「へぇ……、あ、そうだ。肉と砂糖、ありがとうな。うちの親や使用人、雅とキーティルも喜んでいたよ」
「あら、ハル兄様は?」
「もちろん俺もだ、すっごく美味かった。ありがとう。それとこれ」
ハルが差し出したのは、小さな袋だ。中身は昨日のお菓子の残りである。
「貰った砂糖を使って、ホールアスさんが作ったお菓子なんだ。何とか雅の猛攻を防ぎきった残りだけど、良かったらどうぞ」
「ハル兄様からの差し入れですもの、ありがたく頂きますわ」
そうアリメイアが言うと、後ろに控えていたお供の一人がハルから袋を受け取った。そして中身を見て問題が無いことを確認すると、更に別の供に渡す。
彼が一枚、クッキーを中から取りだして匂いを嗅いだ後、ほんの少しだけ割って口の中へと入れる。
味にも問題はなく、そして毒もないと判断した彼は、恭しく袋を荷物を持っている供へと渡した。
それを見ていたハルは、貴族ってのは面倒だ、と思った。
小さい頃は、ハル兄、ハル兄、と一人で後ろをついてきていたのだが、訓練校に通い始めた頃からこのような供を連れるようになったのだ。
アリメイア自身も、ハルが毒を混ぜるとは思っていないが、こうした手順は貴族にとっては必須である。特にアリメイアは下手をすれば他群へ行く身だ。こうした自己防衛は将来絶対必要となる。
「昼食後に頂きますわ」
「ああ、甘さがあるから渋めのお茶が良いと思う」
「わかりました、楽しみにしますね。ではそろそろ行きましょう」
アリメイアが手をハルに向けて差し出してきた。その意味が分からないハルは、眉をしかめる。
「……えっと?」
「エスコート、お願いできます?」
「ええっ?!」
「ツァイフ兄様がいらっしゃらないですし、こういう機会でないと……」
顔を少し赤らめて、可愛らしく微笑むアリメイア。
幼なじみで幼少の頃から知っているハルは、普段と違った雰囲気に戸惑い、そして後ろにいたお供の人たちを見る。
彼らも少々困った顔をしていたものの、特段否定はしない様子だ。まだ嫁ぎ先が決まっている訳でもないから、異性と手を繋いでも問題はない。無いが……噂が流れる可能性は高い。
確かにハルはかの英雄ゼンの孫で、更に一人っ子で次の男爵家当主は確定しているのだが、それでも公爵家と男爵家とでは身分に差がありすぎる。
いくらゼンに多大な借りをしていたとしても、公爵家当主としてそれは認めないだろう。
事実、彼らは知っている。ことある毎にアリメイアがハルと結婚したいと当主に願い出ているのを。
しかし当主は首を縦に振らない。
貴族の結婚は政略的な意味合いが大きい。特にオック群は国内で一番小さい群だ。より大きな群へと嫁いで縁を繋いで欲しいと思っているからだ。
彼らはアリメイアの供だ。主人の意向に可能な限り沿うのが仕事である。だが公爵家の使用人でもあり、当主の意向も無視できない。
つまり、否定はしないが肯定もしない、判断はハルに任せる、と無言で語っていた。
「えーっと……」
「ああもう、じれったい!」
何かぷちんと切れたのか、アリメイアはそのままハルの手を取って歩き出した。
「いいハル兄、女性に恥をかかせちゃダメ!」
「お、おう」
「そもそもハル兄とは昔からこうして手を繋いでいたよね?! 今更だよ? それともハル兄様はあたしの事が嫌いになったの? 手すら繋ぎたくないと言うの?」
「アリメイア……言葉」
お嬢様然としていた態度が一瞬で吹き飛んだ。供の人は苦笑いをして、アリメイアとハルの後ろをついていく。
ここ最近公爵家令嬢として立ち振る舞いはそれなりにはなったが、一度感情を出すとこのようになる事を彼らは知っていた。
「そんな細かい事はどうだっていいの! どっち?」
「嫌いになる訳がないよ」
「言い回し禁止! はっきり言って!」
「……もちろんアリメイアのことは大好きだ」
「うん、それでよし」
満足したのかぐいぐいと引っ張っていたのをやめ、ハルの少し斜め後ろに移動した。
ここからはエスコートしろ、と言うことらしい。
「ハル兄様、エスコートですわ」
「はいはい、わかりましたお嬢様。精一杯エスコートさせて頂きます」
アリメイアの手を恭しく取るハル。
昨日は降っていなかったが今朝方にまた吹雪いてきたので、若干雪が積もった状態だ。こういった道は滑りやすいので、優しく先導しながらすこしゆっくり目に歩き出した。
そして少し歩いたあと、ハルはついてきているアリメイアだけに聞こえるようにささやいた。
「それとさ」
「どうかしましたか?」
「やっぱりアリメイアは素の言葉のほうが可愛いな」
「……っ?!」
一瞬でゆでだこのような顔になるアリメイア。
「も、もうっ!」と文句を言うが、ハルはしてやったりという顔でまた前を向いた。
そんな彼の横顔を見つめるアリメイア。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アリメイアは小さい頃は孤独だった。公爵家令嬢として相応しくなるための勉強ばかりだった。
そして夕食時にだけ会う家族。
自分の父、母、そして兄たちとその母。
家族らしい会話は無く、父親が何か難しい事を言って、それを父親の近くにいた使用人と二人の母が頷くだけ。
たまに、今日勉強でこんな事を覚えた、と言おうとしても、ここはそういう場ではない、と黙らせられた。
悲しかった。
寂しかった。
いつも側にいた使用人に伝えても、それは出来て当たり前です、公爵家ご令嬢としてもっと頑張りましょう、としか言ってくれなかった。
まれに褒めて貰っても、それは上辺だけと分かった。子供だけに他人の感情が伝わりやすいのだろう。
こんな状態がずっと続くのか、と思ってた日常の最中。ふと窓の外を眺めると、次男であるツァイフが一人で屋敷から出ているのを見つけた。
なんだろう?
公爵家のものには必ず使用人が最低一名付く。一人で出歩くことはない。
何か気になって近くにいた使用人に聞いてみたところ、船乗りの訓練をしにいっている、と答えられた。
船乗りの訓練。
聞いたことがある。
海にはとても強い魔物がいる。船で遠くまでいくとき、その魔物に襲われる。それを退治するのが船乗りだと。
兄であるツァイフは船乗りになるのか。
そして気になった。
魔物を退治できるほど強い船乗りの訓練とはどういったものか。
だけど、どうせ親や使用人に言っても無理と言うことは分かっていた。
ならばどうするか。
「……我が妹がこんなに強引だったとは知らなかった」
「えへへ」
翌日ツァイフの部屋を訪れたアリメイアは泣き叫んで、強引についていく事になった。ただしアリメイアの使用人を一人付けて。
親や使用人は籠絡できない。そして長男のアルベルトは自分より5つも上。となると、他に頼れるものは、一つだけ上のツァイフ。
自分の部屋で泣き喚き、そして暴れる妹をツァイフは手に負えず、結局半刻だけと時間を区切って許可した。
アリメイアは強引に押せば何とかなることを学んだ。
「訓練中は大人しくしていること。師匠は訓練中の話しには厳しい。それと、もう一人訓練している者がいるが、適当に受け答えだけすること」
「ツァイフ兄様のおともだち?」
「友達ではない。ライバルだ」
「ふーん」
そしてアリメイアは、見てしまった。
既におじいさん、と言ってもいい年齢だがすごく身体の大きな男と、もう一人の少年を。
「へぇ、ツァイフの妹? お前に似なくてよかったな」
「なにおう?! てめー、今日こそ負かしてやる!」
「返り討ちにしてやろう」
初めて会う家族と使用人以外の人。そして自分と殆ど同じ年齢の少年。しかも使用人たちや親とは異なり、ものすごく気さくだった。
そして普段夕食時には非常に真面目にしていたツァイフも、ここでは違っていた。
「おまえら、さっさと用意しろ!」
「「はいっ!」」
二人が言い合っていると、おじいさんが一喝した。
その声の大きさに思わず涙目になりながら身体をびくりと震わせる。
するとおじいさんが近づいてきて、その大きな手を自分の頭の上へと持ってきたのだ。
思わず頭を叩かれるのかと思って、咄嗟に目を塞いだ。しかし実際は頭を撫でられた。
「おう、わしの声に泣かなかったのは偉いぞ」
乱暴だが優しさを感じるような撫で方。上辺だけの褒め言葉じゃない。それはアリメイアの心に響いた。
塞いでいた両目を開けておじいさんを見上げる。身長差がありすぎて首が痛かった。
「名は?」
そう言いながらしゃがむおじいさん。
それでも目線はおじいさんの方が高かったが、ずいぶんと楽にはなった。
「ア、アリメイア……です」
「よく出来た、わしはゼンだ。よろしくの」
「ゼン……おじいちゃん?」
「ゼンでもゼンおじいちゃんでも、ゼン爺でも構わんよ、アリメイア」
「じゃあゼン爺」
「うむ」
ゼンは破顔すると、アリメイアの身体を抱きかかえて、肩の上にのせた。
「ひゃっ?!」
「こうするとよく見えるじゃろ?」
いきなりのことで驚いたが、確かによく見えた。
プールでは既にツァイフと、もう一人の少年が槍を持って泳いでいるのが見える。
「う、うん。でもちょっと高い」
「高いところから見下ろすと気分が良いじゃろう?」
まるで二階から見ているようだったが、そう言われるとそんな気がしてくる。
そしてゼン爺の号令で、ツァイフと少年の訓練が始まった。
彼ら二人の動きは魚のようだった。
公爵家の館には生け簀があり、そこに魚が何匹も泳いでいるが、それと同じだった。
まっすぐ泳いでいたと思ったらいきなり横に行ったり、更に深く潜ったり時には水上に出て水の上を走ったりしている。
そしてゼン爺から細かい指示が飛んでいく。正直すぐ側で大声を出されるのはうるさかったけど、それ以上に彼ら二人の動きに見惚れた。
凄かった。
ツァイフも凄かったが、それ以上にあの少年は自由自在に泳いでいる。しかも自身と同じくらいの大きさである槍を持って。
優雅に音も立てず静かに泳ぎ、それでいて時には派手に水柱が上がるほど勢いよく。
彼女はあの少年が気になった。何よりツァイフ以外初めて会う同世代なのだ。
「ゼン爺、あの子の名前って?」
「あれは儂の孫でハルというのじゃ。ツァイフと同じ年だから、アリメイアより一つ上じゃな」
そうか、ツァイフと同じ年なのか。
ゼンがゼンおじいちゃんではなく、ゼン爺なのだから、ハルはハル兄だ。
「ハル兄」
「ははは、そう呼んでやってくれ」
ゼン爺から許可を貰えた。ならあの少年はハル兄で決定だ。
そしてハル兄の泳ぐ姿を熱い眼差しで見つめた。それは彼女がハルの泳ぎに魅了された瞬間でもあった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうしたアリメイア?」
「……いえ、何でもありませんわ」
ふとハルと出会ったときを思い出したアリメイア。
今思えばハルが泳いでいる姿に惹かれたのだった。それ以来ずっとハルについて回った。
半刻という短い時間だったけど、それは至福の時だった。
繋いだ手をぎゅっと握りしめる。
それに反応するようにハルもまた握り返してきた。
互いに皮の手袋をつけているが、なぜか体温が手から伝わってくる。
寒いオック群の冬だが、繋いだ手だけはまるで春に感じられたアリメイアだった。




