三
オック群の船乗り訓練校の一室。
その部屋には一人の男と、五十セン程度のサイズの少女が椅子に座って昼食を取っていた。
「なかなか重い一撃だったな」
未だ手に痺れを残したまま、フォークで魚の切り身を刺して豪快に食べている。対する少女は小さく切り刻まれた魚の切り身を細い針のようなもので突き刺して食べていた。
ギグズンとその契約精霊である中位精霊サリス。
中央群の平民出身の元腕利きの船乗りで、現在はオック群の船乗り訓練校の教師をしている。
彼は先ほどまでハルと特別模擬戦をしていた。すでにハルもギグズンの教えを受けて三年目になっている。入学当初は鋭利なものの軽い攻撃だったのが、今ではかなり重い。受け止めるのも力だけでなく、水流操作の魔法も必要になってきている。
大きく実力を伸ばしているハルの成長を、教師として嬉しくも思い、また嫉妬も混じる。
ハルのライバルであるツァイフも同様だ。互いが互いを意識して、相乗効果のように伸びている。
更に彼らは上位精霊の契約者だ。このまま成長していけば、おそらく強さだけなら国を代表する船乗りになるだろう。
それに加え、今後は船長、副船長といった上の立場の考え方や采配、事前の情報収集や航路の確認、また自国、あるいは他国との交渉術といった戦いと警戒だけでなく、それ以外の内容も教えるつもりである。
ここまでやれば、あとは彼らの努力次第では船乗りとして何でも出来るようになるだろう。
そして、はたと気がつく。
……自分が進んできた道とは違うな。
そう心の中で苦笑いをした。
このように詳しい事を教師や船乗りの先輩から教えて貰ったことなど殆どない。
彼は平民であり、金など持っていなかった。
だから貴族のように金を使って良い教師を得る手段は使えず、基本的に訓練校の教師から盗める技術は可能な限り盗み、時には自分の食費を全て使って現役の船乗りに教えを請うた。
食べ物に困った時は、海に潜って魚を捕って食った。
岸から釣りをするのではなく、訓練校生とはいえ船乗りが海へ潜って魚を捕るのは、国の許可が必要となる。もちろん一訓練校生がそのような許可を取れるわけもなく、密漁である。ただし、見つかっても個人で食べる程度の量であれば、目こぼしされるケースが多い。
そうして寝ている時と訓練校に通っている時、誰かに教えて貰っている時以外は、基本的に海へ潜り自主訓練をし続けた。
その結果、彼は訓練校を卒業して僅か一年で腕を認められ、その後一般の船乗りとして扱われた。
そして二十歳の時に群内船から群間船へ移籍。その後三年で腕を買われて国家貿易船へ副船長として移籍し、そして三十歳で船長にのし上がった。
平民出身の船乗りにとっては最大級の出世である。
何しろファーティスト全体で五隻しかない国家間で使われる貿易船の船長だ。副船長ならば平民が就任することはあるものの、船長になるケースは殆どない。
これは取引を行っている相手国がギグズンの腕を買って信頼し、ファーティスト側に要望を出したおかげである。
四十歳手前で引退した時、相手国から非常に残念がられたという。船長ならば六十歳くらいまで引退することはないからだ。
後進の育成、という名目で引退したが、実際は中央群から命令されていた。
それは三年前、オック公爵家次男であるツァイフと、イヴァナーグ男爵家の長男ハルがともに上位精霊と契約した、という情報が中央群に入ってきたからだ。
上位精霊と契約が出来た者は殆どいない。
今も三人しかいないにも関わらず、一気に二人も増えたのだ。彼ら二人を適正に育成する必要がある。
そのため、中央群にとって虎の子だったギグズンをオック群という田舎の訓練校へ行くよう命じたのだ。
ギグズンにとっても悪い話ではなかった。
そもそも彼が船乗りを目指したのは、英雄ゼンの影響が多大にあった。
彼が五歳のとき、ゼンがローレライを封印し英雄となった。ゼンに憧れを持って自分も英雄になりたいと思い、船乗りを目指し始めたのだ。
ギグズンが十三歳になり精霊神殿で精霊契約をしたとき、英雄を目指す道のりを半場諦めた。それは自分の望んだ上位精霊ではなく中位精霊との契約だったからだ。
精霊契約でどの精霊と契約できるかは不明だ。
精霊に尋ねた者もいるが「……なんとなく?」といったものすごく曖昧な返事だったらしい。
そして精霊の位の差は、そのまま力の強さに結びつく。力の強い精霊ほど水の加護の影響が大きいのだ。それは水中での持続性、耐久性、魔法の強さに結びつく。
英雄ゼンは、ローレライと戦ったとき深海で周囲数キロに及ぶ海水を圧縮させ操ったという。そんな強大な水流操作など、到底下位精霊や中位精霊では不可能だ。
また融合したときの水精武装にも差がある。下位精霊だとせいぜい胸当て、中位精霊でも上半身の鎧だが、上位精霊となると全身鎧となる。
そういった理由でギグズンは嘆いたものの、彼は諦めきれなかった。
何かしら偉業を為し得た者を英雄と呼ぶのだ。一番分かりやすい偉業が強大な魔物を倒す事であり、それ以外のものでも万人が認めれば問題は無いのだ。
中位精霊でも英雄となれる、それを励みに努力し続けた。
その甲斐あって、貿易船の船長という地位になれたものの、未だ彼の中では燻っていた。
確かに平民が貿易船の船長につくのは、一種の偉業ではある。船乗りの間ならばギグズンは確かに英雄と呼んでも差し支えない。
だが万人に対しそれが偉業かと言われれば、そうではない。
そこまで上り詰めたものの、もう四十歳手前であり、すでに自分が英雄となる夢は捨てた。
だがここにきて、あの英雄ゼンの孫であるハルの教師となる機会に恵まれた。しかもゼンと同じ上位精霊の契約者である。
自分が学んできたこと全て彼に教え、一流の船乗りに仕立て上げる。そしてあわよくばハルが将来英雄となれば、自分の名も世間に知られるだろう。
そういう野望をもってギグズンは教師役を引き受けた。
そしてハルの第一印象は平凡、であった。
ギグズンは二メルに達する大男であり、自分が十歳の頃ですらすでに体格は大の男とならんでも違和感がなかった。
だがハルは十歳の少年らしい身長で、線も細かった。頭は悪くなく、魔力も平均より大きかったものの、突出したものでもない。
目もやる気に満ちている、という訳ではなく至って普通の少年だった。
これが英雄の孫か、とがっかりしたのは最初だけだった。
いざ模擬戦をやらせてみると、水中での判断力と反応速度、驚異的な魔法の構築速度、そして魔力の節約、どれをとっても現役の船乗りに匹敵していた。
少なくともギグズンが十歳の頃より遙かに上回っている。
また槍の腕も精霊の力を使わず、素の状態ならギグズン相手に数分間も対等に戦えるのだ。
動き自体は少し大ぶりなところがあり、またいくら水の中では魔法主体とはいえ子供の体力では持続力がないのも仕方あるまい。
水の中は動きが阻害される。
そのため武器は基本的に槍などの突くタイプであり、それに加え水中操作の魔法で手や足、あるいは身体の後ろ、時には武器から水を噴射させて動くのが基本だ。
筋肉、いわゆる力強さも必要だが、それ以上にまず緻密な水中操作が必須となってくる。
攻撃するにも、力任せに槍を突き出すだけでなく、時にはミサイルのようにまっすぐな体勢にして足裏から水を噴射させたり、水中操作で敵の周りに高圧の水を作りあげ動きを阻害したりと、様々な戦法がある。
また相手の攻撃を避けるにも、的確に狙われている箇所を判断し、水中操作の魔法を構築して避ける必要がある。
これらはそうとう訓練し慣れないと、なかなか上手くできない。特に地上で戦い慣れていると、戦い方が全く異なる水中ではどうしてもワンテンポ遅れてしまう。
また水中では水の精霊と融合しない場合、まず水中呼吸の魔法が必須だ。
これを継続的にかけ続ける必要がある。その分魔力も必要だし、攻撃によって魔法が途切れる事のないよう集中も必要だ。
見張りになる上で、一番大きな壁がこれである。
この壁を訓練校入学時にすでに越えていたハル。これは仕込み甲斐がある、と思った。
そして数日ハルの様子を見続けていると、違和感を感じた。
動き自体は実戦を意識した形になっているのだが、どうにも身体の大きさと行動が合ってない事に気がついた。
攻撃を躱すにしても、あの身体のサイズならもっと動きを小さくすれば無駄がなくなるのに、なぜか必要以上に動いている。
あれだけ攻防一体の動きが出来ているのだから、無駄も減らせるはずなのに……。
そしてはっと気がつく。
彼はおそらくゼンの動きをパターン化しているのではないか、と。
こう攻撃されたらこう避ける、というのを全て見て覚え、そしてトレースしている。もちろんトレース元はゼンだ。
ゼンの体格は平均よりかなり大きい、と噂に聞いている。もしかするとギグズンと同じくらいの体格なのかもしれない。
だから全てにおいて大ぶりなのだ。
ゼンの体格であの動きなら無駄は全くないだろうが、ハルの体格では合わない。そしてハルが成長しても、そこまで大きな身体にならないだろう。
これを直すには、まず無意識的にトレースしていたものを一旦意識的に動かし、最適なものにしてからまた身体にたたき込む必要がある。
だがゼンのトレースとはいえ、一通りの基本的な技術は持っている。
おそらくゼンも、まずは基本的な動きを教え、その後訓練校の間で自分なりに改善していけ、という方針だったのだろう。
なるほど、道筋は見えた。
まずは何事も体力作りからだ。
群間船の船乗りならば深海まで潜り敵を殲滅させる場合もあるし、特別警戒で船の速度に合わせ周囲を守りながら半日以上泳ぐこともある。せめて一日中泳げ、更に一刻(二時間)は連続で戦える程度の体力は必要だ。
最初の一年は走り込みで良いだろう。
その後は適当な魔物相手に実戦。模擬戦では得られない命のやりとりを得られる経験は非常に役に立つ。
場合によっては、群内の中で一番深いところまで行って潜るのも良いだろう。
その後は集団戦だ。
一人で出来ることなどたかがしれている。ゼンですらローレライと戦った時、数十人ものメンバーと一緒だったのだ。チームプレイは必須である。
その頃には体格も良い感じになっているだろうし、更に体力をつける必要もあるだろう。
よし、これでいこう。
こうして例年とは大きく変わった訓練内容となったが、ギグズンが狙った通り、ハルの技術は格段に向上した。
しかし……もし、時を戻せるのなら、自分もそれに加わりたかった。ハルやツァイフといった強敵と共に戦いたかった。
そして、自分も上位精霊と契約できていれば……。
そこで、自分の服が引っ張られている事に気がつく。そちらを見ると、くいくいと小さな手でサリスが引っ張っていた。だが彼女の表情は悲しそうに目を伏せている。
思えばサリスとの付き合いは長い。十三歳から契約し、すでに三十年近い年月を一緒に過ごしている。
会話こそないものの、今では何を考えているのか互いにすぐに分かるようになった。
——上位精霊ではなく、中位精霊でごめんなさい。
こんな感情がサリスから伝わってくる。
慌てて頭を振り、自分に向け叱咤した。
いかん。嫉妬などとうの昔に捨てたではないか。船乗りを目指し、自分が歩んできた三十年。これは無駄ではない。
この経験を次世代へ継ぐ事が、自分の残された人生だ。
それにギグズンにとってサリスは戦友だ。ギグズンにひたすら、ただ一途についてきたサリスがいたからこそ、自分はここまでこれたのだ。身分不相応にも関わらず国の重要ポストにつき、多大な貢献が出来た。
そして英雄に関わるチャンスも生まれた。
これ以上の事はもうないだろう。
一度目を伏せ、そして優しくサリスをなでる。
——すまなかった。お前はこんな俺に三十年も付き合ってくれたのだ。今までありがとう。そして、これからもよろしく頼む。
ギグズンの思いが伝わったのか、サリスはぐっと拳を固めて親指を突き出してきた。
まかせて、と言っているらしい。
その可愛らしさに思わず頬が緩む。
自分のやるべき事は、訓練校の教師だ。
生徒たちを出来るだけ鍛え上げることだ。
これからももっと厳しいメニューにしなければならない。
そして、英雄となれば群主になり得る。
ファーティストの初代国王は五体もの上位精霊と契約し、同時に融合した英雄王だった。その力で敵対する魔物から中央群の土地を奪い取り、国の基礎を築いた。
その国柄か、中央群を除いた群のトップである群主は英雄がなると決まっている。そのため群主は常時いるものではない。むしろ居ない方が多い。だから群主代理と呼ばれるものが治政を行い、英雄が誕生したときだけ群主に就任するのだ。
また、トップが不在では困るので群主代理という実務を担当する地位があり、それは基本的に公爵家当主が就任する。
群主の仕事は民へのパフォーマンスだ。いわゆる群の顔になるのが仕事である。
だから覚えることは、威厳の持ちかただったり、国の重要人物の顔と地位と名前を覚えることだったり、社交だったりと群を治めるような実務内容ではない。
ゼンは英雄だったが群主にはならなかった。本人が辞退したそうだ。その代わり、男爵という地位を拝領した。
実質的にはオック公爵家の庇護下になり、公爵はゼンの名を使ってこの群を大きくしたのだからある意味では群主ともいえる。
だが、さすがにギグズンにもこれらを教えることはできない。せいぜい船長としての威厳の保ち方と、重要人物くらいだ。
それはどうサポートするべきか。
いや、ハルもツァイフもどちらも貴族であり、ある程度の社交は行っているはずだ。
ギグズンも貿易船長だったので多少のコネはある。それを使って彼らの顔を売り出し、もし群主となった場合の伝手にしても良いかもしれない。
……そしてギグズンは唐突に気がついた。
今までやってきた訓練内容、これって群内船から群間船へ移籍したときにやらされる一般的な船乗り相手の訓練内容じゃないか、少なくとも見習い未満の訓練校生徒に課す内容ではない、と。それ以前に群主云々など、普通は教えるようなものではない。
訓練校の教育内容には、もちろん国からの指標がある。
それを大幅に変更してしまっているのだ。国に見つかればどうなるか分からない。
……教師、首にならなきゃいいが。
つつーっと、背中に汗が流れるギグズンを見たサリスは、今更遅いよ、何とか上を説得しようね、とギグズンの頭をなでた。




