二
六刻(十四時)を過ぎた訓練校からの帰り道、ハルは一人で叩かれた頭をさすりながら帰宅していた。
今日は雪が降ってなく、視界がクリアでとても歩きやすい。特に年で一番寒い二月から四月にかけては、五日に一日程度しか晴れている日はないのだ。
ただ大通りは定期的にオック群の船団(群に仕える騎士団のうちの一つ)が魔法で生み出した水を散布しており、雪で歩けなくなることはない。また冬場はスパイク靴を履くのが普通であり、滑って転ぶ事も少ない。
しかしそれは大通りだけであり、細い路地については冬の間は数十センの雪で埋もれており通るにも一苦労である。
ただし一メル(メートル)以上積もることはほぼ無い。これは水の精霊の加護が国自体にかけられており、雪より水の属性が強いためである。そのため、雪かきもそれほど頻繁にする必要はない。
ただし逆に夏場は湿気が多くなり蒸し暑くなるから一長一短だ。まだ最北のオック群はましだが、最南のイーサルト群は毎年熱中症で倒れる人がいるほど夏場は地獄だ。
閑話休題。
ざくっ、ざくっ、とスパイク靴が氷を削る音を響かせながら、ハルはぶつぶつと文句を呟いていた。
「ほんっとにギグズン先生は手加減ってモン知らねーんだから、いてて……」
四刻(十時)から五刻(十二時)なら買い出しに追われる主婦や帰宅する学生で、七刻(十六時)から八刻(十八時)になれば仕事帰りの大人で賑わうが、この時間に大通りを歩いている人はまばらだ。
たまにすれ違う人は、訓練校帰りの子供に向かって笑いを堪えるように過ぎ去っていく。
この時間に学生が外にいるということは、補習を受けたとみなされるからだ。小一時間ほどギグズンと槍の訓練をしていたので、あながち外れではないが。
だが、ハルの槍の腕前は悪くない。それどころか水の精霊と融合せず、素ならばギグズン相手と対等に戦える。
これは幼少の頃、祖父に仕込まれていた影響だろう。
ハルの祖父ゼン=イヴァナーグは三十七年前、ローレライと呼ばれる非常に強力な魔物を封印した英雄だ。
当初はどこかの群主になる予定だったがゼンは断り、その代わりとして男爵の地位を得た。しかしゼンは元々ランティス群の平凡な家庭の平民出身であり、貴族というには洗練されていなかった。
そんな彼を呼んだのがオック群の群主代理であるオック公爵家だ。
当時のオック公爵家当主は自分の屋敷の敷地内に家を建て、ゼンを呼び寄せたのだ。
オックは一番新しい群であり人口も他の群に比べ圧倒的に少なかったため、英雄を呼び水にして群の人口を増やす狙いもあったが、ただで家をくれるという事もありゼンはその餌に釣られてここへやってきた。
ゼンはその後エリスという赤子を養女にし、ゼンの契約精霊である上位精霊キーティルと慣れぬ子育てをした。その後エリスは、レベール子爵家の三男ファフマンと結婚しハルを生んだ。
ハルは同じ敷地内に居る同じ年のオック公爵家三男ツァイフ、そしてアリメイアというツァイフの妹と仲良くなり、そして彼らと共にゼンの元で船乗りの修行をしながら育った。
ハルは男爵家とはいえゼンの時に男爵家となった新興貴族であり貧乏貴族だ。そのため、ハルの両親は共に文官として夜遅くまで働いている。
ハルはゼンとキーティルによって育てられたと言っても過言ではない。
「別にぼんやりしていた訳じゃなく、今朝方の夢を思い出していただけなんだがな」
ハルは小さい頃からよく夢を見る。
しかもハルの身近なものではなく、自身が全く知らない世界で様々な事をしている夢だ。
羽の生えた鉄の塊の中に入って空を飛んで旅行したり、天を貫くような高い建物がいくつも並んでいる街を歩いていたり、全く見たことも聞いたこともない言語で全く意味不明な数値の勉強をしていたり、しかもなぜかその言語を理解していたり、黒くて丸いものが四本ついている鉄の乗り物を操縦していたりと、枚挙に暇がない。
今朝も今朝とて、大切な食料である美しい小魚をあろう事か凄まじく透明な板のケースに閉じ込めて鑑賞しているのに憤慨していただけなのだ。
備蓄食料代わりなら、せめてあんな小さなケースじゃなくもっとでかい場所にしろよ、あんな波もなく狭いところじゃ運動不足になって味が落ちるだろ、と突っ込みを入れていたのだ。
再びふつふつと怒りがこみ上げてくるのを必死で我慢するハルだった。
授業を聞かずぼんやりしていたのは事実だか。
さて、オックの街は中心部に貴族街があり、それを囲うようにして平民街が存在する。そして各訓練校は貴族街に近い場所の平民街にあり、ハルの家からだと徒歩三十分程度だ。
普通の貴族は移動するのに馬車や移動用の魔道具を使うが、ハルたちのように船乗りなど騎士系の訓練校に通うものは基本徒歩移動となる。
そして今の季節は冬、道路は凍結していてスパイク靴があるとはいえ、歩きにくい。実質一時間弱もの時間をかけて思いだし怒りを抑えながらようやく家にたどり着いた。
「ただいま」
「お帰りなさいませハル様、ギグズン先生にたくさん絞られたらしいですね」
くすくすっと笑いながら彼の帰宅を出迎えたのはこの家に仕える使用人の一人、ミックという女性だ。年の頃は十代後半で、この世界では見習い期間である。
一般的に訓練校を卒業した十六歳から見習いとなり、二十歳になると一人前として給与と待遇が上がる仕組みとなっている。
ただし、使用人など住み込みで働く者はずっと給与は安いままだ。その代わり、衣食住は主が用意するので使える金額は一般の仕事と実質的に変わらない。
ハルの家には彼女以外にも使用人が三人、料理人が一人、それを取り纏める執事の計六人が働いている。
先代であるゼンの頃は使用人が一人しかいなかったが、現男爵家当主であるファフマンは元子爵家の三男とはいえ根っからの貴族であり、体面から最低限の使用人を雇っている。ファフマンやエリスは文官の仕事が忙しく、屋敷の手入れまで出来ないという理由もあるが。
何しろゼンの時は屋敷の掃除から洗濯、料理までゼンと上位精霊キーティル自らやっていたのだ。エリスと婚約し初めてこの屋敷を訪れたファフマンは、当主自ら盥で衣類を洗濯しているゼンの姿を見て、まず己の目を疑い、その後それが事実だと判断したとき思わず立ちくらみがしたと今でも語っている。
「なぜそれをミックが知ってるの?」
「少し前にツァイフ様がいらっしゃって、お教えされました」
「あの野郎……」
「せっかくご用意した昼食が冷めてしまってはもったいないと、わざわざツァイフ様自らご連絡して頂けたのですよ? あとでお礼をしたほうがよろしいかと思います」
昼食云々は建前で、本音は面白がって話を広めただけに違いない、とハルは心の中で思ったが口には出さず頷いた。
「えっと、じゃあ昼食の用意は出来てる?」
「間もなく出来るとホールアスさんから伺っています」
ホールアスは男爵家専属の料理人だ。四十歳近い男性だが、料理一筋で結婚もせず貴族の料理人として働いている。
何しろ貴族専属の料理人だと扱える食材の種類が平民の食堂に比べ遙かに多い。様々な料理を研究し、作るなら最高の環境と言えよう。
「着替えてから食堂に行くよ」
「承りました、そのように伝えておきます」
一礼をしたミックが食堂のほうへ歩いて行くのを見てから、ハルは自室へと行く。二階建ての館で、二階の奥から三番目がハルの部屋である。
ドアを開けると、そこは三十畳程度の広さがある大きめの部屋だった。さすが公爵家が用意した館だけの事はあり、どの部屋もそれなりの広さを持っている。
そして中には、二人の女性が椅子に座ってお茶を飲んでいた。どちらの女性も深い海のように蒼い髪と目をしていて、見た目十五歳〜十六歳の女性は日本の振り袖を着ており、二十歳くらいの女性は使用人のメイド服を着ていた。
ただしメイド服の色が一般的な紺色や黒色ではなく、青色だ。そのためコスプレのように感じられる。
振り袖姿の女性が雅、メイド服の女性がキ−ティルという。どちらも水の精霊だ。
「お帰りなさい、ハル」
「ハル、遅いぞ」
キーティルが軽く目を伏せて挨拶を返すのに対し、雅は頬を膨らませた。なぜか非常に文句があるようだ。
「キーティル、ただいま。雅、仕方ないだろ、先生の呼び出し喰らったんだから」
「ミックたちが噂しておったからの。元々はハルの責任じゃ。それより妾との融合訓練の時間が削られるのが不満なのじゃ」
「はいはい、俺が悪かったよ。それより二人は昼飯食ったのか?」
「妾たちは特別食事を必要とせぬ。まあ食事は一つの愉しみじゃがな」
「……じゃあ食わないのか?」
「食うに決まっておるじゃろ。何を言っておるのだハルは」
「雅様はハルの帰宅を待っていたのですよ」
「これっ! キーティル!!」
慌てたようにキーティルを睨みつける雅だが、肝心のキーティルはどこ吹く風とさらりと流した。
キーティルは上位精霊セイレーンの一体であり、ハルの祖父ゼンの契約精霊だった。だがゼンはすでに三年前に死亡している。そして精霊は精霊界の住人であり、人の住む人界には人界の住人と契約を交わさない限り存在する事ができない。精霊魔法や召喚術といった大陸の魔法でも、呪文の詠唱という短期契約を交わして人界へ呼んでいるのだ。
本来であれば、契約主であるゼンが死亡するとキーティルは精霊界へと戻る。
だが雅はそれを良しとしなかった。
雅はハルの契約精霊だ。しかも驚くべきことに水の精霊王だった。
まだゼンが生きていた頃、三年前にキーティルを介して契約を行ったハル。
一般的に精霊契約を行うには中央にある神殿へ赴く必要があるが、本当のところは上位精霊がいれば契約できる。
中央の神殿には上位精霊が住んでおり、伝のないものは彼女を介して契約を行う。上位精霊の伝など普通はないので、一般的に神殿へいかなければ契約できないというのはある意味正解である。
だが、幸か不幸かキーティルは上位精霊だった。
ゼンの命でキーティルを介して契約をしようとした途端、力強い意志と共に雅が現れた。
「お主がトシキと同郷の者か、妾は水の精霊王シーガイアじゃ。雅と呼ぶがよい。妾を目一杯楽しませるのじゃぞ?」
トシキ、という人も知らないし、そもそも精霊王という存在がいることすら知らなかったハルは呆然となった。そして有無を言わさず契約を強制的に結ばされた。
精霊契約は互いに納得した後に結ばれるものだが、一方的に契約されるという自体にハルも、そしてゼンも混乱した。
その後、ゼンは色々と考えて公開しないことを選択する。
すなわち雅は精霊王ではなく普通の上位精霊として。
何しろ精霊王という存在自体が国の歴史を紐解いても、どこにも記載がないのだ。初代国王でさえ、上位精霊五体と同時契約した、としか書かれていない。
余計な混乱を世間にもたらす必要はないのだ。
話は戻るがキーティルが人界に存在できる理由は、ここにいる水の精霊王である雅が許可したからだ。正確にはハルの家名、イヴァナーグとキーティルが契約したのだ。これはイヴァナーグという家名が続く限り契約は行使される。
ただし、精霊王である雅がいればその契約もいつでも破棄できる。
なぜキーティルを残したか、という理由だが、それは雅が自分の周りの世話をさせるためだった。
さすが王である。
その王がふくれっ面のまま、ハルに文句を言った。
「ハル、早よう着替えぬか。さっさと食事を終わらせて融合訓練じゃ」
ハルは未だに雅と融合できない。
精霊との融合とは、人という器の中に精霊が入り込み、そして精霊の力を人の器を通して使うものだ。精霊の力が強大であればあるほど必要な器も大きくなる。
そして元来、人の器は小さく下位精霊一体が限度となっている。下位精霊を越える中位精霊や上位精霊と融合するには、器を大きくする必要がある。
器を大きくさせる方法は繰り返し精霊と融合を行い、徐々に大きくしていくのが一般的なやり方だ。もちろん器が大きくなる上限があり、それがいわゆる才能となる。最も契約時に器の才能を見て精霊は契約するので、時間はかかれど最終的に融合は出来るようになる。
また、融合できるようになる期間は下位精霊であれば即日、中位精霊で一ヶ月程度、上位精霊は例が少ないものの長くて五年が訓練時間と言われている。
ちなみにツァイフもゼンの元で契約した結果、上位精霊ハシュナッツと契約することに成功している。
ただ、ハルと違いツァイフは僅か二年で融合できている。当時、ツァイフは融合出来た事をハルに自慢しまくって何度も殴り合った過去があったりする。
「ここで着替えろなんて……雅のえっち」
「訳の分からぬ事を言うな」
「私から見れば今更という感じですよ」
キーティルは仕事に明け暮れる両親に代わってゼンと一緒にハルを育ててきた、いわば母親代わりだ。おしめの交換から風呂まで担当したのがキーティルである。
確かに今更なのだろうが、それでも十三歳という男にとっては問題がある。
何しろキーティルの見た目は美しい女性なのだ。しかも人形のように精巧な顔の作りで、とてつもなく美人なのだ。更にハルの幼少の頃から姿形は一切変化がない。
実のところハルの初恋の相手がキーティルである。実はキーティルが精霊と知ったとき、ハルは世界に絶望したほどだ。
そしてそういう環境で育ったせいか、大人の女性が好みとなったのは秘密である。
雅も同じように美少女なのだが、見た目は十五歳〜十六歳でありハルの守備範囲から外れているのは伏せておこう。
ハルは雅の興味津々といった視線を感じながら素早く着替え、二人を伴って食堂へ赴いた。
中に入るとすると何やら嬉しそうに給仕をしているメイド服の使用人が二人、皿を並べている。
ハルが帰宅したとき出迎えた使用人見習いのミックではなく、サレスとエイラルだ。どちらもミックと同じ十代後半の見習いである。
なぜ二人が嬉しそうにしているのか不思議に思いながらテーブルを見ると珍しいことに焼いた肉が並んでいた。
「あれ、肉があるなんて珍しいね」
「はい、公爵様からの差し入れがあったそうです。ホールアスさんが嬉々として調理していましたよ」
「ハル様、早く席についてお食べくださいませ」
ハルが食べ終われば、使用人たちも食べることが出来る。もちろん食材は同じであり、滅多に食べられない肉を目にして嬉しそうにしていたのだ。
オック群は年の半分が冬であり、食料事情はあまりよろしくない。それでも生産数に対し人口が十万人と少ないため、何とかなっている。
そして穀物と魚介類が主な食事であり、肉はあまり食べる機会がない。
それは家畜を育てるにしても冬が長いため燃料費が嵩張り、到底一般に販売出来るような値段にはならないからだ。
このため肉類は他群からの輸入に頼っているが、もちろん輸送費が高いし、高いから売れないので鵜入量も少なく、貴族ですらお祭りの時以外そうそう口にはできない。
なお、祭りは年に二回ある。春の祈願祭とファーティスト国の建国祭である。特に春の祈願祭はオック群の住民にとって長い冬が明けたお祭りであり、冬を越すために貯めていたものを全て吐き出して三日三晩楽しむものである。
「そうか。あとでツァイフに礼を言わなくちゃ。それと別に俺が食べ終わるまで待ってなくてもいいのに」
「そういうわけにはいきません。ハル様は将来男爵家の当主となるのですから、しっかり貴族の意識を持ってください」
エイラルにそう言われると、うっ、と言い淀んだ。
何せハルは平民出身のゼンと、精霊であるキーティルに育てられたのだ。当然貴族という意識は非常に薄い。
このように使用人が数人もいる生活になったのもファフマンが当主になってからであり、それまではゼンとキーティル、そして一人だけいた使用人で一緒に昼食を取っていたのだ。
本来なら貴族の子供には教育担当の側仕えがつくものだが、ファフマンに当主を譲り引退していたとはいえ前当主であり、英雄のゼン自ら、ハルを育てる、と宣言していたのだ。それにファフマンが逆らえる訳もなく、結果ハルはこのようになってしまっている。
「肉か!」
ハルに続いて入ってきた雅は滅多に食べられない肉を見て、ジャンプして椅子に座った。苦笑いをしながら優雅に椅子へ座るキーティル。
何が、妾たちは特別食事を必要とせぬ、だ。思いっきり嬉しそうじゃねぇか、と言いながらハルも椅子に座った。
「もう少し落ち着け雅。キーティルを見習え」
「よし、どちらが早く食べられるか競争じゃ!」
「聞いちゃいねぇし、そんな競争したくねぇよ! 食事は食材を生産してくれた者、調理してくれた者に感謝を捧げ味わって食べるものだ!」
「もぐもぐ、美味いぞこれ! ハルも早く食べてみるのじゃ!」
「……本当に聞いちゃいねぇ。しかも肉汁が跳ねて袖についてるし」
雅はナイフを無視し、フォークをそのまま肉に突き刺して、かぶりついている。更に着ているのは振り袖であり、袖が異様に長い。綺麗に彩られた袖が肉の油でみるみると汚れていく。人と契約したのはハルで二回目、しかも前回の契約は数千年前という雅にマナーという文字は存在しないらしい。
見た目は十五歳前後で、ハルより若干年上に見えるのだが、行動はどうみても子供でハルの妹といった雰囲気である。
翻ってキーティルはさすがにゼンと共に数十年過ごしたためか、一通りのマナーは出来ている。貴族のご令嬢、と言っても通じるくらいだ。最もメイド服でなければ、の話だが。
「いくら何でも汚しすぎだ、早く綺麗にしろよ」
「食べ終わってからでよいではないか」
精霊は元々実体がなく、水の塊である。
そのため、自由自在に身体を作ることが出来るし、着ている物も自分で作っている。いくら汚れてもすぐ元に戻せるのだ。
ただ服を戻すにも力は必要だ。
それが面倒なのだろう。食べている途中で戻してもどうせすぐ汚れるのなら、と雅が思っても不思議ではない。
「お前は貴族の晩餐会や舞踏会には連れて行けないな」
ハルだってまだまだ社交は出来ていないものの、さすがに雅に比べればかなりマシである。
それにハルは男性だ。女性ほど社交能力が低くてもそれほど問題はない。
本当にあの社交というのには苦労したわ、とハルの母親であるエリスがうんざりとした口調で何度もこぼしていたりする。
エリスもゼンとキーティルによって育てられたのだから、意識は平民だったのだ。そこから貴族社会の礼儀などを家庭教師から叩き込まれたときの苦労は凄まじかったそうだ。
「問題ないぞ。精霊は偉そうにふんぞり返っておればよい、と前の契約主に教わっておる」
貴族にとって契約精霊は一種のステータスであり、連れている者が多い。精霊との契約は船乗り以外禁止、と法律で定められているので、貴族の中でも船乗りの訓練校出身のものは実はかなり多い。
また精霊は当然この国の住人ではない。だから国の枠である貴族云々という括りにも当てはまらないし、目上、という存在もない。だから精霊は頭を下げたり跪いたりする必要もない。もちろんふんぞり返る必要もないが。
ただ、いくらなんでも食べ方が汚すぎなのも事実だ。汚れても構わない服とはいえ、平民が食事をするよりも食べ方が汚い。
「ふんぞり返っていればいい、ってのは間違いじゃないけど、せめて服くらい汚さないように食べてくれよ。それかいっそ別の服にすればいい」
「嫌じゃ。この服は大切な思い出なのじゃ」
雅は頑なに振り袖を別の服に着替えない。
キーティルは普段メイド服だが、調理するときやどこかのパーティに呼ばれたときなどその場に応じて臨機応変に交換する。
またツァイフの契約精霊ハシュナッツも普段は肌着に部分鎧を装備した戦士風だが、家の中ではジャージのようなラフな格好である。
しかし雅はたまに意匠を代える程度で、一貫して振り袖のみだ。余程思い入れがあるのだろう。
「ほらほら、口の周りも油だらけじゃねぇか」
「おお、悪いの」
自分のナプキンで雅の口を拭いてあげるハル。その姿はどう見てもだらしない姉に困っている弟という雰囲気で、ふふっとキーティルが口元を緩めた。
——シキト、我が王は今とても楽しんでいらっしゃいますよ。
と口に出さず微笑むキーティルだった。




