一
水の王国ファーティスト、人口おおよそ六百万人。
国土の九割が海であり、数百の小さな島々と、九つの大きな島で成り立っている海洋国家だ。
二千年前に、一人の英雄が五体の水の精霊と共に打ち立てた国である。
この国は他の国にはない、珍しい統治を行っている。
まず国土として九つの大きな島があるがそれぞれかなり距離が離れている。そのため、大きな島周辺の浅瀬と呼ばれる範囲内にある小島を群という単位でまとめた。つまりファーティストには九つの群があり、その群の長を群主と呼ぶ。そしてその群を取り纏めているのが、中央と呼ばれる群だ。その中央群の長を国王と呼ぶ。
国王はこの国を打ち立てた英雄の血が流れているもの、と定められている。
さて珍しい統治の件だが、この国自体が英雄によって建国された。そのため、英雄が長となる。
しかし英雄など滅多に現れないし、そもそも英雄が必要となるほどの国難がしょっちゅう襲ってきたらそれは呪われているだろう。
そして英雄は統治能力が高い、とは限らない。
そのため、群主代理という地位が作られた。
いざ英雄が現れ群主となった場合も、実際の統治は群主代理が行う。つまり群主はカリスマを持って人心を掴むのが仕事で、それ以外については群主代理、そしてその配下の文官が行う。
これは中央群の群主、いわゆる国王であっても同じだ。
国王だけは英雄でなくとも、初代国王の血を引く一族であればなれるものの、実際の統治は宰相が行う。
そのため群主、そして国王には権力が殆ど無い。
人事、予算、軍事、全て無い。
いや、軍事については国王直属の親衛隊百名と船一隻があるが、これは主に国民に魅せるためのパレード用であり、実戦経験を持っているものは居ない。よしんば経験があったとしてもたった一隻、百名では何もできない。
これでは最悪配下のものによって国王が良いように操られる事になる可能性がある。
が、ここで精霊という存在が生きてくる。
この国は海洋国家であり、船が重要なライフラインとなる。しかし海には数多の魔物が生息しており、危険に満ちあふれている。
そのため船を操り、そして海の魔物から船を守るもの、船乗りがいるのだ。
ただし、人は陸上に住む生き物だ。水の中に生息する魔物相手だと勝てない。
まず呼吸が出来ない。
達人であればただ潜るだけなら数分は潜れるだろうが、戦闘しながらだと一分持つか持たないかだろう。
水中呼吸できるような魔法もあるが、魔力を消費しながら酸素を肺へ送り込むため、長時間持たない。並の人であればせいぜいもって三十分である。
それ以外にも水の中なので動きが緩慢、長時間水中で過ごしていると体温が奪われる、夜の海や深海まで潜れば光が届かず周囲が全く見えない。
また魔力量もだ。人の持つ魔力量では到底深海に住む魔物とは戦えない。魔物の水流操作であっという間に周囲の水圧を上げられてぺしゃんこになる。
これを全てクリアできる方法がある。
それは水の加護だ。
水の加護は水の精霊と融合することにより得られる。そして水の精霊と融合するには契約が必要だ。
ファーティストは初代国王が水の上位精霊と自身の家名で契約し、船乗りに水の精霊と契約できるよう施した。また初代国王と契約した上位精霊は中央群の神殿に住み、以降船乗りと水の精霊との架け橋となった。
そして代々国王は神殿に住む上位精霊と契約の調整ができる。つまり国王の権力はただ一つ、国の根底となる水の精霊との契約だ。この権力により、操り人形とならないですんでいる。
まあ、国王自体に権力が殆どないため、操ったとしてもメリットがないのが事実だが。
だが、水の精霊との契約、これにより船乗りは水の中に潜む魔物と戦う術を得た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「では水の精霊とは何だ、ハル=イヴァナーグ」
「…………」
こじんまりとした教室に十数名の十代前半と思われる子供たちと、壮年の男性がいた。
男性は背丈が高く非常に頑強な体つきをしており、並々ならぬ眼光を一人の男子生徒へ向けながら質問を投げかけている。
しかしその男性の背後には、小柄……というより体長五十セン(センチ)と大きめの人形サイズの青い髪の少女がじっと男性が指名した少年、ハルを見つめていた。
だが指された生徒はぼーっと窓の外を眺めたまま何かに思いふけっており、気が付いていなかった。
「ハル……ハルッ!」
「んあ? どうしたナリア?」
後ろの席に座っていた女生徒がハルと呼んだ男子生徒の背中を指先でつつくと、思考に没頭していたハルが面倒そうに後ろを振り返る。
ナリアと呼ばれた女生徒は黙って正面に立つ男性を指差した。
嫌な予感がしたハルは、おそるおそる教壇へと視線を移すと……。
「ハル、俺の授業中によそ見で考え事とは大層なご身分だな」
「ギ……ギグズン……先生」
ひくり、とハルの頬が引きつる。
額に青筋がたったままのギグズンが、体格に似合った強固な拳を振り上げるのがハルの視界に入った。その拳の甲には、水が跳ねた形の紋章が浮かんでいる。背後の人形サイズの少女は、ご愁傷様です、と言わんばかりに目を伏せた。
ゴンッ、と鈍い音と共にハルの意識が薄れていく。
「そのまま授業が終わるまで寝ておけ、起きたら職員室へ来い」
そんな言葉が消えゆく意識の片隅に残った。
「さて馬鹿は寝かせたので、続きいくぞ」
何事もなかったかのようにギグズンは教壇に戻ると授業を再開した。ギロリと生徒たちを睨めつけた後、口元が微かに歪んだ。
「水の精霊とは、一般的には水を司る存在だ。他国では精霊を召喚し、使役する精霊術士というのがいるそうだが、ここファーティストにおいては別だ」
そして自分の後ろに控えている少女のほうを振り向く。少女はにこりと笑うと、宙に浮かび上がった。
その姿を見た生徒たちは、期待に満ちたまなざしを送る。これから何が起こるか知っている様子だ。
少女はギグズンの頭上へと移動すると、瞬間青い光を発し、そのままギグズンの中へ吸い込まれるように消えた。
次にはギグズンの服の上から青い上半身の鎧が浮かび上がる。
ざわっ、と室内にざわめきが走る。
「このように精霊と融合することで水の加護が得られ、人がまるで魚のように水中でも活動することができる。もちろん訓練は必要だがな。ちなみにこの姿をとることを水精武装と言う」
そんなギグズンの姿に憧れを見ているかのような視線を送る生徒たち。
ここファーティストでは船が重要なライフラインとなっており、その船を操作する船乗りが一番人気の職業である。
精霊と契約できるものは比較的多く、十人のうち七人は契約できる。
それは初代国王が上位の精霊と契約を交わした際、この国の住人に出来うる限り精霊と契約できるように定められたからだ。
しかしその大半は下位精霊ウンディーネとの契約であり、ギグズンの後ろにいた少女、中位精霊アクアと契約できるような船乗りは滅多にいない。
また船乗りという職種における一番の花形は、群間船の見張りだ。
見張りはその名の通り船の周囲を警戒し、あらゆる脅威に対して対処する職業である。もちろん水の中から襲ってくる魔物の迎撃も仕事の一つである。
その中において、中位精霊と契約している見張りは貴重な存在だ。
ギグズンは三年前まで群間船の見張りをしていたベテランであり、四十歳になる直前に引退、そして後進を育成するため教壇にあがった。
ついこの前まで現役の船乗りだった中位精霊の契約者ギグズンは生徒たちから見れば一種の英雄だろう。生徒たちが熱い視線を送るのも仕方がない。
見せつけるようにしていた水精武装が再び光に包まれ消える。代わりに人形サイズの少女、中位精霊の姿がギグズンの頭上へと現れた。
「サリス、ご苦労だった」
ギグズンが礼を言うと、いえいえ、といった仕草で彼の背後へと回る。
下位精霊、中位精霊は知能は高いものの言葉は発せず、こうして仕草で感情を表す。元々精霊は言葉ではなく精神感応で互いのコミュニケーションを取っていたからだ。
人の言葉は理解できるので、話そうと思えば話せるのだろうが。
「さて君たちは雪解けの季節、二ヶ月後にいよいよ精霊契約を行う予定だが」
そこで一旦言葉を区切るギグズン。
彼の言葉に喜びの顔を上げる生徒たち。
ファーティストで船乗り訓練校に通う生徒たちは三年目、十三歳の時に精霊契約を実施する決まりになっている。
ただし精霊契約を行う場合、ファーティスト最大の群である中央群の神殿へ赴く必要がある。
何故ならその神殿にファーティスト建国当時からいる上位精霊二体がいるからだ。
彼ら(彼女ら)がこちらの世界である人界と、精霊たちがいる精霊界との契約を介す事により、初めて契約を交わせるようになる。
しかしこの訓練校があるオック群はファーティストの最北にあり、年の半分は雪で覆われており、移動もままならない。
特に二月から四月にかけてが一番寒い時期で海すら凍る事があり、冬季は船を出すことができない。
現在は四月であるが、雪解けになる六月、つまり二ヶ月後にようやく出航となるのだ。
「契約は中央群にある精霊神殿へと行く必要があるが、片道おおよそ二週間の行程だ。運賃と宿泊費については群主代理から支給されるが、旅程の間の費用……主に食費だが、これは各自必要となる。一月ほどの食費について親と相談してくれ。もし払えないものが居る場合、後日相談に乗ろう」
このファーティストは貴族と平民で成り立つ封建社会である。
平民は貧しい者が多く金を持っていない事も多い。往復で一月の食費をひねり出す事が出来ない家庭もある。
そういった者には金を貸すか、道中の船の中で船員のアルバイトをやらせて自分で食費を賄わせる必要がある。
「では本日の授業はこれで終わりとする。あとナリア委員長、面倒事で悪いんだがそこで寝ている馬鹿が起きたら俺のところへ来いと伝えておけ。ああ、もちろんツァイフも一緒でかまわない」
「……はい」
「はい!」
先ほどハルの後ろから彼の背中をつついたナリアと呼ばれた少女は非常に不満げな顔をした。が、ギグズンに逆らえる訳もなく不承不承といった形で返事をする。また馬鹿のせいで面倒事を押しつけられた、といったところだろう。
逆にツァイフと呼ばれた少年は、なぜか嬉しそうな表情をした。彼の背後に控える大柄の女性は興味深そうに二人を見ている。
そしてギグズンは二人にそう言い残した後、部屋から出て行った。もちろん彼の背後にいたサリスと呼ばれた中位精霊も彼のあとをついていく。
彼らの足音と気配が(サリスは浮いているが)室内から消えたとき、ようやく生徒たちは思い思いに立ち上がった。
これはギグズンが常に規律を意識するよう伝えているからだ。上官の見送りは、完全に気配が消えるまでその場で待機が基本である。
群内船であれば通常船の操縦士と見張りの二名だが、群間船だと数十名で行動を行う。その場合船長の命の元、規律と団体行動が必須となる。もちろん国に仕える軍も同様、いやそれ以上に厳しい。
このため今のうちから規律を教え込むのにこうして色々と実践している。
「さて、この馬鹿を起こすか」
「ツァイフ様、水魔法でも使って馬鹿顔にぶっかけますか?」
見事な黄金色をした髪を持つ少年、ツァイフがハルの側に寄りにやりと笑うと、呆れた顔でナリアが応えた。ツァイフの背後に立っていた海のように深い蒼い髪の二十歳くらいの部分鎧を装備した女性は、面白そうにそれを眺めている。
ナリアがツァイフに対して様付けを行うのは、ツァイフがここオック群を統括している群主代理であるオック公爵家の次男だからだ。更にナリアは父がオック群の軍属である船団副団長であり、有力貴族の一員だ。女性でまだ一三歳だからか背丈は小柄だが、槍の腕はかなりのものであり、大の大人でも対等に戦える。
その腕を買われてツァイフの護衛騎士を命じられたのだ。
ナリアの言葉を聞いたツァイフの背後にいた女性が、勝ち気な青い瞳を光らせてヒュウ、と口笛を吹いてからツァイフに進言した。
「あたしにやらせてよ」
「ハシュナッツ、お前が魔法使ったらこの部屋全体が水で埋もれてしまうよ。手加減ってもの知らん精霊だしな」
——精霊。
ギグズンの背後にいた五十セン程度の精霊ではなく、ハシュナッツは普通の人と変わらない身長だ。
精霊は下位精霊ウンディーネ、中位精霊アクア、上位精霊セイレーンが存在する。
下位精霊の姿は手の平に乗るくらいのサイズであり、中位精霊になってようやく少し大きい人形サイズとなる。
しかし上位精霊は別格だ。人と変わらぬ姿を保ち会話も可能であり、その力も凄まじく大きい。
ぱっと見ただけでは精霊とわからないだろう。
ただしサリスもハシュナッツも共通して海の様に深い蒼色の髪と目をしており、それで精霊と判断できる。
精霊と契約するためには中央群にある精霊神殿へと赴く必要がある、と先ほどギグズンは言ったがそれは正確には正しくない。
上位精霊が側にいれば契約を行うことができる。
彼は昔、上位精霊を介して精霊契約を行い、ハシュナッツという上位精霊と契約を交わしたのだ。
なお、上位精霊と契約できる人は滅多に居ない。
現在ファーティスト国内で上位精霊と契約しているものは、ツァイフ含め三名しかいない。
ファーティストの人口は六百万人、そのうちの約五パーセント、実に三〇万人が船乗りだが上位精霊と契約しているものはたった三人しかいないのだ。
しかしいくら強力な精霊と契約できたとしても、契約者の実力もまた必要である。
実際、ツァイフはギグズンと何度か模擬戦を行ったことがあるが、一度も勝ったことはない。
二十年以上船乗りを務めたベテランのギグズンと、まだ一三歳で実戦経験のないツァイフでは話にならないほど差がある。
だからこそ、ツァイフもギグズンを英雄のように見て、いつか超える存在だと思っている。
「失礼だなご主人、手加減しているから部屋全体で済むのさ」
ハシュナッツは「手加減しなきゃ建物まるごと水で洗い流せる」といたずらっ娘のようにキシシと笑った。
「ナリア、やれ」
「はい、ツァイフ様」
そんなハシュナッツを無視してツァイフはナリアに頼んだ。
礼儀正しく返事をしたナリアが呪を口ずさむ。
水の精霊の加護があるファーティストの国民は、簡易な水の魔法が使える者が多い。それは自分の先祖が水の精霊と契約した影響だと推測されている。
「ぶわっ?! なんだ?!」
バシャ、という音と共にコップ数杯分の水がハルの頭からかぶせられると、すわ何事か、とハルが飛び起きた。
そして周りを見て、気絶する直前の記憶が蘇った。
「……ツァイフとナリア、俺に何か恨みでもあるのか?」
「ありまくりよ馬鹿ハル」
「馬鹿とはなんだ、馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ!」
「ハルのその言い分はまるで子供ね」
「ツァイフ、護衛騎士様の躾けを何とかしろよ。性格がひねて可愛くない」
「面白いからこのままで良いんだよ」
ハルは先代に貴族となった新興男爵家の長男だ。
一応貴族階級であるものの、王族、大公家を除く全ての貴族の中で最上の公爵家の次男であるツァイフとは身分に差がある。
本来であればこのような口の利き方はできないが、ハルの住む家は公爵家の敷地内にあり、そして同じ年のツァイフとは幼なじみだ。更にツァイフはハルの祖父であるゼン=イヴァナーグの愛弟子で、互いに競い合っていた仲でもある。
公的な場所ならばともかく、訓練校内(基本的に生徒は全て同じ身分)や自宅などの私的な場所では特に堅い口調はしない、と互いに了承を得ている。
「それより早くギグズン先生のところへ行って怒られてこい」
「うっ……」
嫌なことを思い出したようにハルの顔が歪む。そんなハルの姿を笑いながら「帰ってくるまでここで待っててやるよ」と手を振るツァイス。
「ツァイフ様の本音は午後の講義を少しでも遅らせサボりたいからでしょう?」
冷静に突っ込みを入れるナリアに、ぎくっと顔がこわばるツァイフ。
学校は基本的に午前中で終わる。
これは生活のため子供ですら仕事や親の手伝いをしなければならない平民を考慮した形となっている。
逆に貴族の子供は帰宅後、午後から家庭教師と勉強をする者が多い。
「な、何を言うかナリア、我が親友であり良きライバルの無事な姿を確認したら帰るのだ」
「ギグズン先生に呼び出されて無事な姿で帰れる訳ないだろ」
「それはハルの自業自得でしょ。しっかり怒られてきなさい。ツァイフ様も早く帰宅しないと昼食を作ってくださる方々にご迷惑がかかりますし、何よりわたくしの槍の実習が遅れるではありませんか」
ナリアは戦闘狂の一面を持っている。そんな彼女が毎日の槍の訓練を一番楽しみにしているのは周知の事実となっている。
「……ハルの言うとおり、躾けが必要かもな。お前の無事を祈っている」
「ああ、ツァイフもしっかり勉強してこいよ」
諦めたように男二人がため息をつく。
ハシュナッツが「これだからご主人の周りは面白い。契約した甲斐があったよ」と他人事のように楽しそうにキシシと笑う声が室内に木霊した。




