九
(んー、ピーラって意外と速いな)
ハルは船から離れて一人運河内へ入ろうとするピーラを追っていた。
だが自分は精霊契約者とはいえ、融合も未だ出来てない単なる船乗りだ。いや、訓練校生だから船乗りですらない。
ピーラ一体なら倒せる自信があるものの、油断はしない。何しろ実戦など三年前の一回だけなのだ。
ハルは出来るだけ魔力消費を抑えるよう移動していく。水中呼吸の魔法など使わない。適宜水面へ浮かび空気を肺へ入れて、浅い位置をキープする。
移動は水中操作を使うが、軽く水中を蹴るように泳いでいく。
ギグズンもそうだが、殆どの船乗りは自身の後ろに向かって強烈な水流を噴出させ、その勢いで進んでいくのだが、これは魔力消費が激しい。常時魔力を消費しながら進むのだから当たり前なのだが。
しかしハルが行っているのは、足の位置にある水を堅く圧縮させ、それを蹴って移動する方法だ。体勢がまっすぐなのは変わりないが、水泳の選手がターンするときのように身体をくねらせながら器用に泳いでいく。
その速度はさすがに魔力を常時使って移動するのに比べると遅いが、遅すぎる訳ではなかった。
そしてその魔力消費量はごく僅かだ。何しろ足場となる場所の水を一瞬固定させるだけであり、大きさも足の裏サイズもあれば十分であり薄くても問題ない。
これはハルの祖父であるゼンから教えられたやり方だ。
水に慣れるために、自身の身体を効率よく活用しろと。水の加護を得て、融合してしまえば分からなくなる感覚だと。だから融合出来るまでの間に身体へ染みこませておけと。
融合していて、いざ精霊の魔力が切れた場合融合は解ける。浅い場所ならともかく、深海でそのような事が起こったらどうなるか?
肺の中の気圧が変化し、一瞬で周りの水に胸が押し潰される。
ゼンはあのローレライとの戦闘で魔力が切れ融合が解け水の加護が無くなり、押しつぶされた何名もの船乗りを見た。
精霊契約した人は、出来なかった船乗りを見下す。
中位精霊の契約者は下位精霊の契約者を見下す。
精霊の力は自分の力だと思っているものがいる。
それは人の驕りだ。
ローレライの悲劇はそんな船乗りの驕りと嫉妬から生まれたのだ。
常々ゼンは言葉にしてそう言っていた。
だからこそ、融合していたとしても必ず油断するなと。融合以前に自身を鍛えろと。
そして万が一融合が解けた場合でも即座に対応できるようにしろと、こうして叩き込まれた。
(ま、ギグズン先生も熟練の船乗りなんだけど、爺さんのほうがもっと熟練なんだよな)
ギグズンは途中で貿易船の副船長を経て船長となった。船長ともなれば船の指示系統のトップだ。直接戦闘などまず行わない。
翻ってゼンはずっと見張りだった。何しろ上位精霊と契約しているのだから、その強大な力を満遍なく発揮できるには指揮をするよりも最前線に出るのが一番だ。
そんなゼンから教えられたハルは、正直訓練校で学ぶ内容など甘いと感じている。
ただギグズンは船長経験があり、ゼンのように一部ではなく戦場全体の把握とその指揮については勉強になっている。
上が考えるべき内容を理解していると、次にどのような指示が飛ぶか予測が付きやすいからだ。
(っと、そろそろ追いつくな……って何だあれ?)
ピーラがまっすぐ向かっている先に、何か人型のようなものが横たわっているのに気がついた。
一瞬、人形か、とも思ったが足が無い。
いや、足ではなく魚の下半身だ。
(あれってマーメイド?!)
マーメイド、マーマンは海中に住む種族だ。いわゆる人魚である。
敵対的ではないが、友好的でもない。互いになるべく関わらないようにしている。
それに人とは住んでいる領域が異なるので、海中深く潜る事のある船乗り以外ではそうそう遭遇しない。
遭遇しない……はずなのだが、なぜマーメイドがこんな人の住む島の運河で横たわっているのか。
(まあいい、取りあえずスキュラの目的はあのマーメイドなんだろう。別に敵対している訳じゃないけど助ける義理もない……んだけど、やっぱり女の子が襲われるのを放置するなんてかっこうわるい事できねぇよな)
ちなみにマーマンが男でマーメイドが女である。
(だがこのままじゃ間に合わない)
あと十秒もすれば追いつけるのだが、それより前にピーラがマーメイドにつく。
そして気を失っているのか死んでいるのかは分からないが、無防備な状態ではピーラの牙は避けられない。喉元を食いちぎられればそれで終わりだ。
ここから水流操作で加速しても間に合わない。
<ツァイフ、例の必殺技だ! 俺の周囲数十メルの水を全て持ち上げろ!>
<は? 一体なんだよいきなり>
<いいから早く!>
<わからんがわかった>
その次の瞬間、爆発的にツァイフの魔力が高まった。
そしてハルの周囲の水が浮かび上がる。その範囲にピーラと、そしてマーメイドも含まれていた。
ツァイフとハルは以前、強い魔物と遭遇したときの対処を考えていた事がある。どうすれば勝てるか。そして悩んで悩んで悩み抜いて出した解答がこれだった。
水の中にいるから強いんであって、陸にあげれば勝てるんじゃない?
なら魔物の周囲の水を海底まで全部持ち上げれば、もはやそこは陸だ。
普通に考えればばかばかしい。
一立方メルの水の重さは一トンになる。ならば範囲数十メルの水の重さは一体どれくらいになるか。それを持ち上げるのだ。莫大な魔力が必要になる。普通の下位精霊や中位精霊では不可能だ。
だがしかしツァイフは上位精霊ハシュナッツの契約者だった。そしてそれが可能なほどハシュナッツの魔力は大きかった。
ここが深海であれば、いくらハシュナッツでも海底までの水を持ち上げることは不可能だっただろう。だが、ここは運河だった。深いところでも十メル程度しかない。
水流操作を応用して海底までの水を上にし、そしてその枠の水を固定させる。さらにあくまで操作するのは水だけであり、魔物や人などに影響をでなくした。
……その結果、ぴちぴちと土の上で跳ねてる情けない姿のピーラが転がっていた。ハルはそこへ歩いて行き、手に持った槍をピーラの腹へと突き刺した。
「やはり俺らの考え方に間違いはなかったな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
莫大な魔力、それもギグズンが逆立ちして捻り出しても出せないレベルの魔力を感じたギグズンはあろう事か敵から意識を放し、咄嗟に魔力を感じた方向へと向けた。戦闘中では決してやってはいけない。
だが幸いなにスキュラも同様、視線をギグズンから外していた。
そしてギグズンには一瞬何が起こっているのか理解が出来なかった。
(……水が浮かび上がっている?)
ギグズンは勘違いをしていた。
普通であれば上位精霊と契約したとはいえ、その力の扱い方を教えるものがいなければ上達はしない。そしてツァイフが融合に成功したのは一年前だが、師であるゼンは三年前に亡くなっている。つまり誰も教える者がいない。
こう考えてたのだが、事実は異なった。
ゼンは亡くなっているものの、彼の契約精霊であるキーティルはいるのだ。
ハルとツァイフは定期的にキーティルと模擬戦をしていたのだ。
人界で精霊が力を振るうことは基本的に神の摂理によって出来ないようになっている。
だが何事にも抜け穴はある。
一つは人という器の中に入り込む場合。こうすることにより、精霊が力を振るっているのではない、と世界に認識させる。これが現在船乗りたちが使っている融合となる。
一つは人界の住人が助けを呼んだ場合。つまり助けて、という契約を介すれば短時間だけ精霊は人界へ力を振るうことが出来る。これが精霊の召喚術、あるいは精霊魔法と言われている。
最後に神の代行者である精霊王が認めた場合。こちらも短時間だが力を振るう事が出来る。
そしてハルの契約精霊は精霊王である雅だ。
この一年間、キーティルの厳しい訓練によりツァイフはハシュナッツの力をかなり引き出せるようになっていた。
(何が起こったのか分からぬが、これはチャンスだ)
一瞬で我を取り戻したギグズンが、未だ驚いているスキュラへ向かって突撃を仕掛けた。中位精霊サリスの魔力の殆どを使い、足から爆発させるように水流操作で水を噴出させる。
そして一本の魚雷のようにスキュラ目指して突き進んだ。水精武装の蒼い光が尾のように流れていく。
渾身一気。
防御など端から捨て、己自身を武器となす。攻撃は最大の防御を文字通り体現したギグズンの十八番だ。これで倒した魔物は数知れず、時には格上の魔物すら葬り去った事も多々ある。
他の船乗りからみれば、無茶を通り越して無鉄砲な事を繰り返していたギグズンを、尊敬も含め≪暴走槍≫ギグズンと呼んだ。
スキュラも自分の元へまっすぐ猛スピードで突き進んでくるギグズンにようやく気がつき、慌てて高圧の水の槍を生み出し投げつけた。が、あっさりギグズンの槍先にぶつかると霧散した。
ミスリルは魔力を伝導しやすい。しかもギグズンは槍先と足下、この二つだけに魔力を集中していた。その高圧縮された魔力がスキュラの水の槍を上回ったのだ。
スキュラの近くに居たアーマーペイドが身を挺して守ろうと立ちふさがる。が、彼の持つ槍はミスリルだ。アーマーペイドの堅い甲羅よりも硬度がある。
一瞬だけアーマーペイドの甲羅とミスリルの矛先が拮抗したが、次にはあっさりと槍が深くアーマーペイドの甲羅を突き通した。更に勢いは止まらず、ギグズンの槍はそのままスキュラの胸へと吸い込まれるように突き刺さった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スキュラとアーマーペイドを倒した後、あの強大な魔力を恐れたのかフェーネと残ったピーラ一体は逃げていった。中位クラスの魔物一体と、下位クラスの魔物六体を相手取って追い返したのだ。それは誇るべき戦果である。
だがギグズンは起こったことに頭を抱えていた。
ツァイフが浮かび上がらせた水。当然それを元に戻さないといけない。だが数千トン、数万トンもの水を一度に狭い運河へ戻せばどうなるか?
すさまじい津波が運河へと流れ込み、近くに停泊していた船、訓練校の船も含め何隻も転覆していた。おそらく運河沿いにあった船着き場、資材置き場なども流されただろう。
その被害額は凄まじく大きいと思われる。
ギグズンにとってみれば、ピーラ一体程度ミミリの水の盾で運河内への侵入を防げばそれで良かったのだ。
わざわざハルが行く必要も、そしてツァイフが馬鹿げた事をやる必要も全くなかった。
だが、これはギグズンの責任でもある。ちゃんとハルの念話に対し命令をしておけばよかったのだ。
しかしギグズンのあの時の判断は最前線で戦う船乗りならば間違ってはいない。ただ結果として予想外の事をツァイフとそれを唆したハルがしでかしただけだ。
そしてもう一つはマーメイドだ。
幸いな事にマーメイドは死んではいなかった。
どうやって鉄柵のある運河内へ入り込めたのかは不明だが、彼女は単に魔力切れと体力の消耗で気絶していただけだった。
だが、他種族が人の住むエリアへ無許可で侵入したとなれば、大きな問題だ。少なくとも一介の教師でしかないギグズンの手には負えない。
もうすぐ来るだろう船団、引いてはその上である左卿(軍務大臣)や群主代理などに任せる必要がある。
そして今回の騒動の事情聴取がすぐ後で行われるだろう。船団に連行される形で。
今日は厄日だ。
転覆して水の中へと放り出された生徒たちが唖然と、そして真っ青になりながら必死で謝り続けているハルとツァイフを眺めながら、ギグズンはいつまでも頭を抱えていた。




