面接の始まり
15
初めての面接。模擬面接は何度もやって来たので準備は万端だが、いくら準備をしていても、緊張は訪れる。
控え室で待っている間、異様なまでに喉が渇き、何度もペットボトルの水を飲んだ。
一時面接は集団面接なので、受付を済ました学生はこの控え室に集められている。
「それでは時間になりましたので、面接の方を始めさせていただきます。これから名前を呼びますので、呼ばれた方は私のところまで来てください」
四人、社員の方が控え室に入ってきて、先頭にいた人が、学生の名前を呼び始めた。
名前を呼ばれた五人の学生は、社員の方に連れられ、控え室を出ていった。
出ていくと、先程と同じように、社員の方が学生の名前を呼び始めた。
四回目、最後の時に、大地の名前が呼ばれた。
社員の方に付いて控え室を出ると、隣の部屋に案内された。
そこは控え室の二倍ほどの広さがあり、中はパーティションでいくつかに区切られていて、その区間の中では、先に呼ばれた学生たちがすでに一次面接を受けていた。
面接官のいるところまで案内された大地たちは、用意された椅子の横に、指定された順番で立った。
「どうぞ、お座りください」
その言葉を合図に、全員が、失礼いたします、と言って椅子に座った。
座る位置は、背もたれにもたれかからない位置。手は軽く握り拳を作り、膝の上。そして背筋はピンと伸ばして、目線はしっかりと面接官に合わせた。
面接官は二人いた。一人はここまで案内してくれたポニーテールの女性、もう一人は彫の深い男性。
「それではまず、自己紹介をお願いします」
いよいよ面接が始まった。
「ありがとうございました」
面接官にしっかりと頭を下げてから部屋を出た。
面接では一挙一動が合否に関わってくるため、受け答えが終わったからといって気を抜いてはならない。
一緒に面接を受けた人達とエレベーターに乗り、ようやく解放された。
「緊張しましたね」
一番後ろにいた大地が、全員に問いかけるように言った。その言葉通り、大地は面接官に、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、と優しく言われた。
けれど、質問には詰まらずに答えられたから、まずまずの出だしだ。
「そうですね」
やや少し間が合って、隣にいた女子が返事を返した。
エレベーターの中で交わした言葉はこれだけだった。
面接会場となっていたビルから出ると、さっき会話? をした女子はイヤホンをして早足に駅へと向かっていった。
他の学生もスマホを取り出し、各々の歩幅で歩いていった。
「沼田さん」
名前を呼ばれたので振り返ると、面接で同じグループにいた男性がこちらに向かって歩いてきた。
「えーっと……」
名前が思い出せない。
他の人が話すことに対して、話を聞いているアピールとしてうなずきはしていたが、誰が何を言ったかまではっきりと覚えていない。
「染井です」
そんな大地の心中を察してか、相手は名前を名乗ってくれた。
「沼田さんもテニス好きなんですよね」
思い出した。確か、テニスサークルの部長を務めていて、そのことを自己PRで話していた。
「はい。染井さんは部長なんですよね。凄いですね。僕のところでは友達が部長やってるんですけど、何かと大変ですよね」
「あれ、嘘です」
「嘘?」
大地は目を丸くした。それに対して染井は笑っていた。笑っていたけど内容は、到底笑えるものではなかった。
「はい。でも、部長であることは嘘じゃないんです。俺のところのサークルはほとんど飲みサーで、あんまり練習しないんですよ。だから、部長をやっていたからって、リーダーシップなんか培っていません。培ったのは飲み会でのコールだけです」
何がそんなに面白いのか、染井の頬はずっと弛みっぱなしだ。
「面接で言ったことは違うテニスサークルの部長、沼田さんと同じで友達なんですけど、そいつが言ってたことを借りたんです。そいつとは受ける業種が全然違うんで、バレる心配ないんですよ」
「でも、それは染井さんが経験したことじゃないですよね」
軽蔑の意を込めて、大地は強く言った。
「そんな怖い顔しないでくださいよ。これも内定をもらうための、言わば戦術ですよ」
悪びれた様子もなく、染井はまだへらへらと笑っている。
「俺、ここが第一志望なんですよ。だから、絶対に内定もらいたいんです。沢田さんはどこが第一志望?」
大地は大手食品メーカーの名前を言った。
「食品ですか。じゃあここは練習みたいなものですか?」
今日受けた企業は大手の総合商社だった。
「いや、そういうわけじゃないですけど……。食品メーカーで働きたいけど、働きたいからって内定もらえるわけじゃないですから」
練習。遼の顔が浮かんだが、それを必死で振り払った。俺はそんなつもりで受けているわけじゃない。
「確かに。働くならやっぱり大手がいいですもんね。業種とか関係なく」
「まあ、そうですね」
大地も似たような思いを持っていたが、目の前の人に対して嫌悪感があるので、あしらうような返事を返すだけになった。
「それじゃあ俺はここで。お疲れ様」
「お疲れ様」
染井は改札を抜け、大地とは違う路線のホームへと消えていった。
まさかあんな就活生がいるとは思いもしなかった。
面接で堂々と嘘を吐くなんて、しかも第一志望の会社で……勇気があるというか、バカなのか。どっちにしても嘘はバレるってガイダンスやセミナーで何度も耳にしていた。
一人ライバルが減ったことで、ライバルというほどの人ではなかったが、自分が次に進める確率が数パーセントだが、上がったことを確信した。
16
初体験した面接の三日後。今日は第一志望の食品メーカーの一次面接。今回も面接官二人に対して、学生五人の集団面接だった。
二回目ということもあり、初めての時ほど緊張せずに受けることができた。
駅が一緒ということもあって、大地は一緒に面接を受けた二人と一緒に歩いていた。
他に女子が二人いたが、同じ性を持った者同士で、男三人の方など見向きもしないで駅へと歩いていった。
「面接どのぐらい受けました?」
短髪でエラが張っている……確か名前は黒崎。その黒崎が大地と、もう一人の男子に向けて言った。
「まだそんなに受けてないです。今日で三社目です」
中肉中背の、これといって特徴がないもう一人の男子の名前は山岸。
前回の反省を生かし、ちゃんと面接で同じだった人の名前は覚えていた。
「俺は二社目です」
「やっぱり面接はこれからが本番なんですね」
黒崎も二人と似たような数だったのか、自分の置かれている状況が間違っていないことに安堵したようだった。
「ほんとそうですよね。でも、これから先、面接や、説明会に参加するのが多くなってくるから、交通費凄くかかりますよね」
「特に東京に本社がある企業とかは、余計にお金がかかってしまいますよね」
「そうですよ。この前、東京で面接だったんですよ。行きも帰りも夜行バスで、何とか一万以内に収めれたけど、あれはきつかったな」
「それで、その面接はどうだったんですか?」
「まだわからないです」
会話が途絶えると、初対面独特の気まずい空気が流れた。
周りの喧騒が、一層騒がしく耳につく。
「二人は今もバイトしてます?」
すかさず大地は新しい話題を振った。
「一月に辞めました。さすがにこの時期にバイトしてるほど暇じゃないですからね」
「やっぱりそうですよね。俺は去年のうちに辞めたんです。店長にまだ大丈夫だろって言われたんですけど、ほんと、辞めててよかったです。就活の最中にバイトは無理」
「僕は、派遣をたまにやってます」
「そっか、派遣だったら週四とかで入らなくても怒られないから、続けられますね」
「それに好きな時に入れますからね」と山岸は補足した。
「それにしても二人とも凄いですね。黒崎さんはインターハイ出場、山岸さんはボランティア。俺なんて、何もしてなかったから自己PR考えるの苦労しましたよ」
会話が途切れるのが嫌で、大地は必死で話題を繋いだ。
「そんな凄いことじゃないですよ」
黒崎は謙遜しているが、口元は弛んでいる。
「その道に進もうとは思わなかったんですか?」
「出てみてわかったんですけど、俺より凄い奴が一杯いてるんですよ、全国には。それで、嫌というほど力の差を見せつけられてしまったんです」
そう言えば、面接では出場したとは言っていたが、結果までは言っていなかった。入賞もしていないということか。確か陸上競技だったと思うが、種目までは覚えていない。
「だから、諦めて就職しようと決めたんです」
「そうだったんですか」
大地はテニスで、インターハイといった大きな大会に出たことはないが、スポーツをしている身としては、黒崎の決断がいかに苦しかったがわかる。
「山岸さん?」
この話になってから、山岸は明らかに元気を失くし、何かに怯えているようにも見えた。心配になった大地は声をかけた。
「実は……面接では、今でもボランティアには毎週欠かさず行ってるって、言いましたけど、最近、というか去年の秋ぐらいから行ってないんです。すみません!」
本来なら謝るべき相手は面接官なのに、山岸はなぜか、二人に対して頭を下げた。
「そうなんですか。だったら正直に言えばよかったじゃないですか」
そんなつもりはなかったが、大地は相手を責めるような口調になっていた。嘘吐きに脳が反応して、自然と染井のことを思い出してしまったのかもしれない。
「そんなの言えるわけないじゃないですか。正直に言ったら、ああ、こいつは継続力がなくて、物事を投げ出しても何とも思わない人なんだって思われてしまうじゃないですか」
糾弾された山岸の剣幕は激しく、半ば逆ギレのように大地に食ってかかって来た。
「まあ、嘘も方便って言うじゃないですか。それにボランティアをしていたことは本当なんですよね?」
仲裁に入った黒崎は優しく尋ねた。
「はい。ただ就活のことを考えたら、そんなことしてる場合じゃないんじゃないかと思ってしまって……」
山岸は落ち着きを取り戻すと、ボソボソと呟くように、嘘を吐いてしまった理由を説明した。
「すみません、怒鳴ってしまって。僕も駄目だとはわかっていたんですが、……他にアピールできることがなかったんで、つい」
山岸は、嘘を吐くことをなんとも思っていない染井とは違う。嘘を吐いたことに、罪の意識を感じている。
そんな山岸を責めてしまい、悪いことをしたような気になりそうだったが、嘘を吐く方が悪いのだから、俺は何も悪いことは言っていない。むしろ正しいことを言った。
けれど、目の前で意気消沈している山岸を見ると、少しだけ心が痛んだ。
季節は少しだけ移り三月。冬の寒さと春の暖かさが鬩ぎ合う時季になった。
季節と同じように選考も進み、大地は明日、二次選考を控えていた。一次ではエントリーシートに書いてあったことを中心に訊かれたが、二次はどんな質問がされるのだろう。
自分がもし面接官だったら、どういった質問を学生にするか?
思い付く限りの質問と、それに対する答えを考え、紙に書き、明日に備えた。
二次面接当日、面接会場に着いた大地は、部屋で待つようにと言われ、入った部屋で染井の姿を見つけた。
どうしてここにいる!
面接の日時は一日だけじゃない。企業が提示した日時なら、どこでもいい。現に今回は、三日間の内から自分の都合のつく日を選べばよかった。それなのに、よりによって同じ日、同じ時間帯とは。
いや、そんなことはどうでもいい。そういうこともあってもおかしくない。けど、どうして嘘を吐いたお前が、二次選考の場にいるんだ!
大地の視線に気付いたのか、染井がこっちを向いた。
会釈をしてきたので、一応、大地も会釈を返した。
染井は焦りも、狼狽えもしなかった。嘘をバラされるかもしれないという不安など、微塵も感じさせない堂々とした態度だった。
嘘はバレないのか?
考えるまでもない。バレていないからあいつは今ここに座って、面接が始まるのを待っている。
染井の他にも学生は三人いた。それぞれ、用意された椅子に、思い思いに座っていたので、染井の隣は開いていたが、大地はそこを避けて座った。
席に着いた大地の胸には、ふつふつと怒りが込み上げてきていた。
もちろんそれは、染井に対しての怒りだが、どうして嘘を見抜けなかったんだという、面接官に対しての怒りも含んでいた。
時間になり、名前が呼ばれ始めた。
ここにいる学生は全員合わせて六人。三人ずつに別れて面接が行われた。
もう何でもありなんだ、就活って。
二次面接を受けるため、別室に移動するほんの数分の間に、大地のやる気はどんどんとなくなっていった。
嘘を見抜けないなら、入社意欲とか、学生時代の経験なんて、関係ない。どれだけ上手に嘘が吐けるかが選考を通過、ひいては内定獲得に繋がることになる。
就活は嘘吐き大会だ。
17
「嘘吐き大会か。面白いこと言うな、大地は」
「笑いごとじゃないって」
大地、遼、優、そして林の四人は、忙しい就活の合間を縫って居酒屋で飲んでいた。
「そうだよ、嘘はよくないよ」
紅をさしたようにほんのりと赤い顔になっている優が、こどもを叱りつけるように言った。
「そうだ、優の言う通り」
味方の出現で勢いづく大地。
「でもさ、そいつ、染井……だっけ? そいつは部長なんだろ、飲みサーだけど。だったらまだマシだろ。部長じゃないのに部長って言わないだけ」
「嘘にマシとか、マシじゃないとかない。嘘吐いていいんだったら、真面目にやってる人達は損だろ」
「大地とか特にな」
「ああ、そうだよ」
大地は、大きくうなずいた。
「嘘の一つや二つ大目に見ろよ。それで内定もらえるんだったらいいだろ、嘘吐いたって」
「そんなので内定もらっても嫌だ」
「ほんとにそうか? 俺だったら喜んでもらうけどな」
指を差すように、持っていたグラスを大地の方に傾けたかと思ったら、少しだけ残っていたビールを一気に飲み干した。
「遼って、染井に似てる」
「顔が?」
すみません、ビールお代わり。遼が遠くにいた店員に告げた。
「違う。考え方が」
大地はボケを流して、続けて言う。
「どんなことしても内定を取ろうとする姿勢だったり、替え玉をしたり、嘘吐いても罪悪感に囚われないところとか」
「酷い言われようだな。まあ、否定はしないけど」
悪口ともとれる言葉に対して遼は怒ることなく、悠然としていた。
「遼が替え玉? 頭いいのに?」
優が釈然としない様子で訊いてきた。
「違うって。悠真のやつを俺が代わりにやったの」
「そっか、悠真のか」
「いや、納得してるけど、論点はそこじゃない。俺が言いたいのは替え玉をしてるってこと」
「まあまあ、落ち着いて。怒っても仕方がないよ。大地の言い分もわかるよ。でも、それだけみんな必死だってことなんじゃない?」
三杯目のチューハイに手をつけ、目がとろんとしてきた優が、大地を宥める。
「怒ってないよ。ただ、……俺が思ってた就活とは違うことが当たり前のように起こってるから……」
「驚いてる?」
「驚いてるし、戸惑ってる」
「じゃあ大地はさ、就活ってどんなんだと思ってた?」
店員が持ってきたビールで、口を潤してから遼が訊いてきた。
「うーん。そう改めて訊かれると答えに困るけど……。学生の時にやってたこととか、この会社で働きたい、やりたいことがあるっていう意欲を、熱意を持って伝えればいいと思ってた。でも、いざ始まってみると平気で嘘を吐く人がおったりしてさ――」
大地はそこで喋るのをやめた。そして深いため息を吐いたあと、ビールを呷った。
「林はどう思う? 俺が間違ってるのかな?」
大地は一人素知らぬ顔で、ワインを飲んでいる林に話を振った。
「間違ってはないと思うけど、私は遼に賛成」
「嘘を吐いてもいいと?」
「いいんじゃない、嘘吐いても。遼の言う通り、嘘吐いてでも内定欲しいやつは一杯いるよ。新卒一括採用の日本じゃ、卒業するまでに内定をもらえるかもらえないかで、人生が大きく変わるからね」
言い終わると、グラスに残っていたワインを、ぐいと、ひと飲み。そして空になったグラスにトクトクトク、小気味いい音を立てながら、おかわりを注いだ。
「その通り。紗絵はわかってる。既卒三年以内は新卒として扱うなんて言われてるけど、新卒枠で、既卒募集してる企業はまだまだ少ないし、第二新卒として扱ってるところもあるから、新卒の内に決めないと駄目なんだ」
「新卒の何がいいんだろうねぇー」
目が据わっている林は、ワイングラスを手で弄ぶように揺らしている。そうすることで自問したことの答えが出てくるかのように。
「教育しやすいからだろ。入れ物がからっぽだから」
目の前の席に座っている遼が、自分が思っている答えを言った。
「そうかもね。社会に出たことがないから、そこに入れられるものが、良いものなのか悪いものなのかの判断基準を持ってないから、思い通りに企業の色に染めることができる」
「上司に逆らえばクビだからな」
「ああ、怖い怖い」
「就活もせずに、院に進む人は余裕ですね」
自分の身体を抱きしめ、わざと身震いをする林に言った。
「まあね」
皮肉を受け止める程の余裕を見せる林を見て、本気で院に進むことを考えたが、入ったところで就活をしなくて済むわけではないし、優に言われたことが頭に残っていたのですぐにその選択を頭から消えた。
「それに、内部進学だからね。みんなよりかは気楽だよ」
「林は院に進んだあとどうするの? 院に進んでも就活はしないといけないだろ」
「一応就活はするつもりだけど、教員になれたらいいなーとは思ってる。経営学を教えるだけでお金もらえるなんて最高じゃない」
林はフフッと笑いながら、ワインを口へと運んだ。
学ぶことを本当に楽しんでいる。こういう奴が院に進むべき人なんだな。逃げ道としてじゃなくて、進路として大学院を選び、やりたいことも見えている林を見て、自分を叱ってやりたくなった。
「ねえ、急になんだけど、ずーっと気になっていたこと訊いていい?」
優は大地の方に身を乗り出した。
「何?」
驚いた大地は、首だけを後ろに逃がした。
「何で大地は紗絵のことを名字で呼ぶの? 紗絵は名前で呼んでるのに何か不平等じゃない?」
「そう言われればそうだな」と遼。
「私はどっちでもいいよ。林でも紗絵でも、何ならさっちゃんでも」
酔っ払いは楽しそうに笑っている。
「不平等って、そんなつもりはないんだけど……」
「ねえ、どうして?」
質問の手を休めない優。
「どうしてって、言われても……」
理由はある。が恥ずかしくて言いたくない。しかし言わないといけない雰囲気になりつつある現状に観念して、甘酸っぱい過去を暴露することを決意した。
「フラれた元カノの名前だから」
真っ先に笑ったのは優だった。
「おい、笑うな。優が聞きたいって言ったから言ったのに……。普通笑うか」
「ごめん。意外すぎる理由だったから」
「じゃあ、昔の彼女のことを思い出すから、私のこと名前で呼んでたの?」
大地はゆっくりとうなずいた。
「何か、可愛いっていうか……、女々しい」
「うるさい、わかってるよ、そんなこと。……だから言いたくなかったのに」
「ねえ、元カノってどんな人。写真とかないの?」
すっかり元気を失くし、項垂れている大地に、追い打ちをかけてきた優の目はキラキラと輝き、好奇心で満ち溢れていた。
「私も気になる。同じ紗絵として」
「大学? それとも高校の時?」
遼も助ける気はないらしい。
ここは面接の場ではないから、適当に嘘を吐けばよかった。けれど、それすらもできない真面目な大地を待っていたのは、地獄のような時間が訪れたことは言うまでもない。
18
四月になり、コートを着ずに出掛けられるほど穏やかな気候になったが、出掛け先が面接会場だと、気分が滅入る。
大地は今、面接ラッシュを乗りこなそうと必死だった。
今日は家具専門店の二次面接。明日は飲料メーカー。明後日は休み? で明明後日は食品メーカーの三次面接。
さらに、この三社以外にも、二次面接以降に進めた十二の会社が控えている。
このラッシュでどこかから内定をもらえることができれば、大地の就活は成功と言える。その中での一番の成功は、もちろん第一志望の企業からの内定だ。
その第一志望の最終面接が来週に控えている。三次選考の結果が届いた時、あと一つで、辛かった就活から解放される喜びで一杯になった。
最終面接では入社意志の確認だけのところも多いと、噂では聞いているため、淡い期待を抱かずにはいられない。
しかし、ここまで来るのに嫌なものを見てきた。
大地が、就活を嘘吐き大会だと感じた日から、毎回、面接で一緒になった学生に、それとなく探りを入れていた。すると、ほとんどの学生が、大小様々な嘘を吐いていることがわかった。
内定をもらっているのに、もらっていない。御社が第一志望。この二つは、もはや常套句で、それ以外には、御社の経営理念、企業風土に共感。昔から御社の商品を愛用。バイト先ではチーフを任されている、週に一度の学外活動などなど。就活生の数だけ、嘘があるんじゃないかと思えるぐらいに、嘘のボキャブラリーは豊富だ。
嘘を吐いた人に共通しているのは、罪の意識が全くないことだ。それどころか、え! 嘘吐いてないの? と逆に驚かれることも少なくなかった。
山岸のように、自責の念を抱いていても許されることではないのに、堂々と、さも当たり前の言われると、ただ、そうなんですか、と意味もなく笑顔を取り繕うことしかできなかった。
誤解がないように言っておくが、みんながみんな嘘を吐いているわけではない。大地と同じように、嘘を告白された時に驚いている人もいたので、そういう人を見ると、安心することもできたが、そういった人達は、ほんの一握りなので、就活において嘘を吐くことはもはや、常識として根づいているようだった。
染井のように、嘘を吐いてもバレずに次の選考に進むことができるのだから、それも仕方のないことなのかもしれない。
その染井も受けていた企業からお祈りメールが届いた時は、落胆するよりも、どうかあいつも落ちていろと、呪いに似た感情を抱いていたことは事実だ。
そうじゃないと、落とされた身としては納得がいかない。
こうして思い返してみると、肉体的な疲れよりも、精神的な疲れの方が大きかった気がする。
その疲れも内定がもらえれば一気に吹っ飛ぶだろう。
魔法の言葉、内定。
それをもらうため、もうひと踏ん張り。
エレベーターから降りる前に、中にあった鏡でネクタイと襟を正した。
「沼田大地です。本日はよろしくお願いします」
大地は、元気よく、うるさくない程度のボリュームで受付にいた企業の人に頭を下げた。
19
冬休みが終わったので、今日から大学に行くのだが、四年生の大地にとって、大学に行くと言うよりも、卒論を書きに行くと言った方が適切だろう。
なぜなら、卒業するのに必要な単位は、ゼミの単位が取れれば足りるので、週に一回しか大学に行かなくていいからだ。
冬休みに入ってからは、サークルにもほとんど顔を出さずに就活に勤しんでいたので、この道を通るのもひどく懐かしい。
「だいちー」
振り返る前から誰だかわかっていた。
「おはよう、優……と、豊嶋」
予想していなかった人物がいたので、大地は慌ててその名前を付け加えた。
「おっはよー」
「おはよう」
相変わらず元気すぎる優に対して、豊嶋は物憂げな表情だった。
二人が一緒に通学しているのを初めて見た。
豊嶋は電車ではなく原付で通っていたはずだから、二人が出会う確率は限りなく零に近いが、今日の豊嶋は、原付を手で押しているわけでもなく、ましてや乗ってもいないので、偶然ということはあり得る。
「今日は原付じゃないんだ」
「優の家からだと遠いから」
「泊まってたんだ」
なるほど。そういうわけか。けど、そんなに仲良かった?
「泊まっていたというか、居候というか……」
頭に浮かんだ疑問を考えていると、奥歯に物が挟まったように豊嶋が言った。
「居候?」
「うん。二日前から」
それには優が答えた。
「何で?」
「親とケンカしたから」
「何で?」
「何でって?」
触れてはいけないもの触れてしまった。大地が気付いた時には豊嶋の怒りは爆発していた。
「あいつらが私に変な名前を付けたからに決まってるでしょ。この名前のせいで私が今までどのぐらい苦労したか……。それを言ったらお母さん泣き出して、涙ながらにこう言ったの、『あなたのためを思って付けたのに』。私のためを思ってるなら、もっとちゃんとした名前を付けてよって言い返したら、今度はお父さんがキレちゃって、『親に向かって何だその言い草は! お前みたいな親不孝者、出て行け!』って」
一人三役の臨場感溢れる再現ドラマを見せてもらった。
事情を知っている優は平然としていたが、いつもは大人しい豊嶋が、こんなにも感情を爆発させているのを見て、大地は呆気に取られた。再現でこれなら、実際はもっと激しかったに違いない。
「で、今に至ってます」
爆発が終わると、沈静化した。
「家出した理由はよくわかった。でも、何で今更ケンカになったの?」
その名前になったのは昨日今日じゃないはず。ずっとその名を背負ってきて、どうして今になって揉めたのか。自分だったら思春期の時ぐらいにケンカしていそうなものだが。
「いや、今更ってわけじゃないの。何回か名前を巡っては親とケンカしたことはあるんだけど、今回は私の人生がかかってるから、いつも以上に興奮したの」
「名前に……人生?」
「そう。私、今日までエントリーシートを軽く百社には提出したんだけど、通過したのがたったの八社。十分の一にも満たなかった。だいぶ落ち込んだけど、この八社にかけようと思ったの。でも初めての面接の時に……」
この先を言いたくないのか、豊嶋は口を閉じた。そして軽く唇を噛むと、意を決したように言った。
「本名ですか? って訊かれたの、面接官に」
「酷いよね」
優が視線を落としながら、相槌を打つかのように言った。
「もちろん、本名ですって答えた。最悪なのは、その質問をされた時、一緒に受けていた人が噴き出したの。そっからあとは何を言ったか覚えてない。どうしてだろうね、自己紹介の時に笑われたり、変な空気になったりするのは、何度か経験していたのに……。それ以来、また笑われるって思えば思うほど、面接に行くのが凄く怖くなったの。でも、行かなきゃ内定もらえないから、頑張って残りの企業は受けたけど、全滅」
思い出すのも辛いことだというのが、その憂いを帯びた表情でこちらにも伝わってきた。その話を黙って聞いていた大地は、思い付いたことを言ってみた。
「セミナー行ったら? それか、大学でエントリーシートを添削してくれるから一回持っていったら」
「そんなの行ったに決まってるじゃない! 大学でやっていたやつも、就職サイトのセミナーも行った。キャリアセンターの人にはエントリーシートに問題はないって言われた。言われたのにあんなにも落ちるなんて、名前のせいとしか考えられない」
「それでみどりは名前を変えるんだって」
「えっ! マジで」
「うん。それしか私が内定をもらう方法はないから」
他にもあると思うけど……。しかし大地は口には出さなかった。今の豊嶋に何を言っても聞かないだろうし、余計なことを言って怒られるのも嫌だった。
「それでどんな名前にするの?」
大地は当たり障りのないことで穏やかにやり過ごそうとした。
「みどりにしようと思ってる。翡翠の翠でみどり。それだったら今のあだ名が本名になるから、みんなも受け入れやすいでしょ」
「名前ってそんな簡単に変えれるもんなの?」
「調べたら、必要な書類を持って、家庭裁判所に申し立てをしたらできるらしいから、この前してきた」
「……本気なんだ」
豊嶋の覚悟の強さを、行動の速さから感じとることができた。
「当たり前じゃない、人生かかってるんだから」
「それで、いつ変わるの?」
「正確にはわからないけど……、一ヶ月以内には変わると思う」
「それって親に内緒……だよな」
わかりきったことを訊くな。そう豊嶋の目が言った。
「もうすぐ名前が変わる。これで私の人生は大きく変わる」
豊嶋はうっとりとした目で遙か先を見ている。そこに新しい人生が見えているようだった。
「優、もうしばらくだけ我慢してね。名前が変わったらすぐに出ていくから」
「うん、私はいいけど……ほんとにいいの?」
「いいに決まってる。社会人になる前に変えれて、いい機会だったの」
「名前のこともそうだけど、親に連絡しなくていいの? きっと心配してるよ」
「あの人達が心配してるのは薄荷であって、翠じゃない」
一瞬、表情が曇ったが、それを振り払うように強い口調で優に言った。けれど大地には、自分に言い聞かせているようにしか聞こえなかった。
大学に着くと、道という道が新入生を勧誘するために集まったサークルの人達によって、埋め尽くされていた。
「軽音部でーす」
「一緒に山に登りませんかー」
「君、一年生?」
「うちのサークルは楽しいよ。一度見学だけでもいいから来て」
そこかしこから勧誘の言葉が飛び交っている。サークル勧誘は春の季語として相応しいじゃないかな。そう思うぐらい、春の風物詩となっている気がする。
そんな光景を見るのも今年が最後か。
「来週、ここで新歓やるから来て」
少しだけ感概深いものがあったが、四年だろうが、他のサークルに入っていようと、無差別にビラを渡そうとしてくる人のせいで、台無しになった。
「大地さん。おはようございます」
その群れの中にいた後輩が、挨拶をしてきた。
「おはよう。頑張って部員集めろよ」
「そう思うんなら手伝ってくださいよ」
嘆く後輩の手にはビラの束。
「一番暇な二年生がやる決まりになってるんだからしょうがないだろ。俺だって二年の時に嫌というほど配ったからな」
「俺、今日は三限からなのに……。どうぞー。テニスサークルでーす」
後輩は愚痴を零しつつも、目の前を通り過ぎようとした学生にビラを配り出した。
「じゃあな」
「頑張れー」
「はい!」
後輩は、知り合いでも何でもない優に励まされ、妙に張り切って返事をした。
美人は得だな。
一方、豊嶋は、下を向き、パーカーのポケットに手をつっこんでいた。その見た目から、絶対にビラは受け取らない、強い意志を感じた。
三人は花道のようになっていたサークル勧誘を抜け、ゼミの部屋へ向かった。
「今度は優の家? 早く住むところ探すか、仲直りしたら?」
大地たち三人がゼミの部屋に入ると、林が呆れながら豊嶋に言った。
「紗絵と優の家にまで泊まらしてもらってるの?」
「私達だけじゃないんだ」
豊嶋と仲がよく、いつも窓際の席で三人固まって座っている、中村すみれと前田梨乃も呆れたていた。
「仲直りなんか絶対にしない。名前が変わったらすぐに出ていくから、ね」
豊嶋は申し訳なさそうに、優の方を向いて頭を下げていた。
「優の家は実家なんだから、あんまり迷惑かけたら駄目でしょ」
「わかってるよ」
母親のように語りかける林に向かって、豊嶋は子どものように拗ねた様子で返した。
「私の家だったらいつまでも居ていいのに。何だったら一緒に住む?」
「いや、彼氏に迷惑かかるからやめとく」
「あんな奴のことなんか気にしなくていいのに」
「紗絵がよくても私が気になるの」
「ま、いいや。行くところなくなったらおいで」
「うん、ありがと」
さらっと同棲していることを告げた林に、誰も驚かなかった。
みんな知っていたのか?
一人だけ騒ぐのが恥ずかしかった大地は、平静を装うことにした。
「豊嶋、名前変えるんだ」
大地の隣に座っていた悠真が、大して驚いた様子もなく言った。
「就活に不利だからだって」
悠真は林が言ったことについて触れなかったので、大地もあれこれ考えるのはやめて、ついさっき聞いたことを話した。
「今まで溜め込んでいたものが爆発したのか……。実際問題、あんなキラキラネームじゃ企業も採用するのを躊躇うだろうからな」
豊嶋には聞こえない様に二人とも自然と小声で話していた。
「やっぱり名前って関係あるの?」
「少しはあるんじゃない。まあ、変えたところで内定もらえるかは別の話だけど」
悠真は冷たく言い放った。
「内定もらえなかったら、名前の変え損だよな」
確かに。悠真の言う通りだ。豊嶋は、名前を変えれば内定をもらえるようなことを言っているが、名前を変えただけで選考を通過するとは思えない。確かに豊嶋の名前は世間からしたら、キラキラネームと呼ばれているが、そのことだけで落とされるとは考えにくい。エントリーシートに不備はないって言われたけど、キャリアセンターの人は企業の人じゃないのだから、その言葉を鵜呑みにするのはどうかと思う。
名前を変えても内定をもらえなかったら、どうするつもりなんだろう。
「けど名前って変えるんだ。そんなこと一度も考えたことなかったから知らなかったなあ」
「そうだよな。俺も今日初めて知った」
「ま、知ったところで名前なんか変えようと思わないけど」
「おはよう」
遼が部屋に入ってきて、大地の左隣に座った。
「おはよう」
「よお」
「面接あるの?」
大地がそう訊いたのは、遼が私服ではなくスーツを着ていたからだ。この時期にスーツを着る理由は一つしかない。
「ああ。二時から」
「どこの?」
悠真の問いに、遼が大手の企業名を言った。
「マジで! 俺そこ三次で落ちたんだよなー。ってことは最終?」
「そう」
「お前どうせ内定もらってもいかないんだろ。だったら俺にくれ」
「いくらで買う?」
「十万」
「よし、売った」
一通り遊んだあと、悠真は背もたれにもたれ、手を頭の後ろで組んで、天井を見上げた。
「はぁ……。本当に買えたらいいのになあ」
「悠真、全滅?」
遼はその様子から、悠真の現在の状況を推測した。
「いや、最終二つと、結果待ちが一つ」
「そんなけあったら大丈夫じゃない?」
「そうだといいんだけどな。大地は?」
悠真はもたれながら、首だけを動かして大地の方を向いた。
「俺は最終が二つ」
「まだ誰も内定もらえてないのか」
「俺、もらったよ。断ったけど」
そう言ったのは遼だ。
「うそ」
「マジで」
二人の口から揃って驚きの声があがった。悠真は机の上に身を乗り出している。
「そんな驚くことじゃないだろ。もう四月なんだし」
「そうだけど……。ってかなんで内定もらったのに就活続けてるの?」
「本命がまだ選考中だから」
「この成金野郎。内定成金」
自ら造った言葉で罵倒する悠真。造語の罵倒にどれほどの効力があるのかわからないが、遼は乾き切った笑いを漏らしていた。
「あっ、教授。俺に就職先を紹介してください」
悠真が部屋に入ってきた教授に、いきなり懇願した。
「武田、挨拶は?」
教授は虚を衝かれても眉一つ動かさなかった。そして、冷静な態度を保ったまま、悠真に挨拶をするよう促した。
「おはようございます。で、いいところないですか?」
お世辞にも心が籠っているとは言い難い挨拶を済ますと、改めて教授に訊いた。
「おはよう。私のコネを頼るのはまだ早い、もう少し自分の力で頑張りなさい」
教授は優しく、諭すように言った。
「まだ、ってことは、どうしようもなくなったら頼っていいんですか?」
悠真は目聡く見つけた“まだ”という言葉に食い付いた。
「そうですね、どうしようもなくなったら力になってあげることはできます」
やっぱり教授ともなると、コネの一つや二つは持っているんだ。教授と悠真の会話を聞いていた大地は感心した。
「約束ですよ」
「コネ入社」
笑顔の悠真に、大地は横槍を入れた。
「大地も今のうちに頼んどけ」
悠真は揶揄されても気にも留めないどころか、コネを使うことを誘ってきた。
「俺はいい」
コネで入れたとしても、入ったあとで後ろ指をさされそうで嫌だし、ズルをしているようで気が引ける。
「教授、私もいいですか?」
豊嶋が椅子から立ち上がり手をあげた。演習室は講義室と違い、入口近くで話していても、反対側の窓側に座っている豊嶋にも、二人の会話は聞こえていた。
「君たちには自分で頑張ろうという意志はないのか」
教授はコネを求める教え子に、嘆き、呆れている。
「頑張ってますけど……、こんな名前じゃどこも取ってくれないんです!」
悲鳴のような訴えだった。
「親御さんが付けてくれた名前を、そんなふうに言っては駄目です」
「でも……、教授だって変だと思ってますよね」
教授に咎められ、豊嶋は一瞬たじろいだが、すぐに立て直し、まっすぐ目を見て訊いた。
「そんなことはない。個性的で、いい名前だと思っていますよ」
「個性的ってことは、裏を返せば周りから浮いてるってことですよね」
「だからいいんじゃないですか。その名前を聞くだけで誰だかすぐにわかる、豊嶋だけの名前」
「私はもっとありきたりな名前がよかったです」
周りから浮いていることを否定しないどころか、それがいいとまで言われ、豊嶋も毒気を抜かれたのか、おとなしくなり、消え入りそうな声で言うと、それ以上反論せず、ゆっくりと腰を下ろした。
「じゃあ、始めましょうか」
何事もなかったかのように、教授は静かになった部屋を見渡し、朗らかな口調で言った。
20
「ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫だって。成績表見ただろ、ちゃんと単位は取れてるから心配しなくても、大丈夫」
テーブルの向こうで母さんが不安そうに訊いてきたので、大地はカップ麺をすする手をとめた。
父さんの弁当の残りものと、みそ汁、それだけじゃ足りないのでカップ麺。これが大地の昼ご飯だった。
リビングの壁にかかっている時計は昼の一時を指している。
ついさっきまで大学でゼミを受けていた大地だったが、その四十五分後には、家で昼ご飯を食べていた。大学滞在時間は二時間にも満たない。
三年の秋学期のテストの結果がわかった時に、四年になったら大学に行く回数はだいぶ減るけど、ちゃんと卒業できるから大丈夫。
そう言って、両親に成績表を見せたので、一応、息子の状況は把握しているはずだが、大学に行ったと思ったら、自分と一緒に昼ご飯を食べていたら、親なら心配になるのも無理はない。
「それならいいけど……。大学ある日も家でお昼食べるんだったら、これから毎日、昼ご飯作らなきゃいけないの?」
母さんは不満そうだった。
「毎日ってわけじゃない。面接ある日とかは外で食べてくるから」
「でも、昼からだったら食べてから行くでしょ」
「そりゃあ、そうだけど……」
そんなに昼ご飯を作るのが嫌なのか、と大地は心の中で思ったが、文句を言えば、今度から何も作ってくれなさそうだったので、愚痴はラーメンのスープと一緒に胃に流し込んだ。
「もっと大学で勉強して来たら? そしたら昼ご飯一人分で済むし」
そうしなさいと言われているような、圧力を感じる言い方だった。
「就活に集中できるように、計画的に単位取ってきた息子にそんなこと言う?」
真面目に三年間、毎日大学に行って、(当たり前)単位を取ったのに、さらに単位を取れと言われても、単位を取りたいから勉強するのであって、単位はいらないのに講義を履修するのはよっぽどの物好きか、学びたくて仕方がない林のような学生だけだろう。
「だって週に一回しか行かないんじゃ、ねえ……」
母さんはどうも納得がいかないらしい。せっかく頑張って単位取ったのに、酷い言われようだ。
「卒論書くために大学行くこともあるから、絶対週に一回しか行かないってわけじゃないよ」
「まぁ、大地がそれでいいならいいけど。それでどうなの、就活は? 順調?」
渋々といった感じだった。
「明日と月曜に、最終面接がある」
「二つだけ?」
もっとあると思っていたのか、母さんの声が不意に大きくなり、大地の身体が一瞬震えた。
「うん」
「そんなに少なくて大丈夫なの?」
打って変わって、声のトーンは落ち、不安をまとっていた。
「大丈夫だと思う。二つだけって言うけど、ここまで来るの大変だったんだから。友達の中には最終面接にすらいけない奴もいるんだから」
「そうなの? じゃあ安心していいのね」
「うん。ちゃんと内定もらってくる」
とは言ったものの、本当に大丈夫かな。
部屋に戻った大地は、どうしてあんな自信に溢れた発言をしたのか不思議だった。
腱鞘炎になりそうなほど書いていたエントリーシートは、もう書いていないし、説明会の予定もない。落ちれば、終わりだ。
背水の陣で臨む最終面接ではどんな質問をされるのだろう?
ネットで調べれば去年のことは出てくるかもしれないが、今年のことはいくら情報化社会になったからといって、探しても出てくるわけがない。わかっていても、探さずにいられないのは、ネットが生活の一部となった現代人の性みたいなものだ。
大地は、就活 最終面接 で検索し始めた。