ポリシー(改)
クリーム色の壁に目を向けつつ、私は定型文をさらりと口に出した。
「……うちではちょっと判断がつかないので、紹介状を書いておきます。申し訳ありませんが、次回からはそちらに」
私の声は少し狭い診察室によく響いた。
50過ぎの看護師が生ゴミを見るような目で私を見据えているのが分かるが、華麗に無視。いい給料払ってるんだから、どうせコイツには何も言えまい。
「は、はい」
「では、これをもってこの病院に」
殴り書きの紹介状を茶封筒に入れ、おどおどとした男性患者に手渡した。
「は、はい」
「お大事に」
最後の言葉だけは患者の目を見てやる。……そう、私はこうした優しさも持ち合わせているよい精神科医だ。
しかしながら、ここは男性患者の来るところではない。私のクリニックで診るのは、美しい女性だけと決めている。これは譲れないポリシーだ。だがまあ半年前に建てたばかりの綺麗な建物に「男性おことわり」と張り紙するのも気が進まないので、男性患者には理由をつけて帰ってもらう。
さて、次は女性の患者だ。若い方の看護師にそう聞いている。「ほんとにぃ、美人さんなんでぇ、先生も気に入ると思いますよぉ」といやに甘ったるい口調で言われた。期待。
私はひとつ咳払いをしてから、
「次の方どうぞ」
と呼んだ。
「はい」
子猫のようなかわいい声とともに、えらい美人が扉の向こうから現れた。
セミロングの黒髪、ぱちりと開いた大きな瞳、すうっと通った小さな唇…
ふむ。
ど真ん中直球、ストライクである。球速106マイル。
…………。
私はしまむらで買った伊達眼鏡をかけ、無意味にノートパソコンのキーをカタカタしてから、眼鏡をクイっと上げ、彼女――いや、子猫ちゃんに向き合った。
「今日は、どうされましたか?」
そして爽やかな微笑…キマった…よし、ここまでは我ながら100点。
「はい、あの、実は、その…」
「落ち着いて、ゆっくり話してくれればいいですよ(ニコッ)」
「あ、ありがとうございます。じ、実は、わたし、ある男性のことが頭から離れなくて」
私はこの時点で精神科医としても男としてもかなりやる気をなくしたが、優男な私は「どんな人ですか?」と言った。私は、いい男だ。
「あの、すごくかっこよくて、背が高くて、優しくて、わたしのことを好きでいてくれて、……」
それは私のことだと思ったが、黙って頷く。
「でも、わたし、その人に夢の中でしか会ったことがないんです。それで、友達にこの話をしたら、この病院を紹介されたんです」
俄然、精神科医としてのやる気が湧いてきた。いくつか質問をすることにしよう。
「それは、最初に夢に見たのはいつですか?」
「どうだったでしょう……すみません、覚えていません」
「謝ることはありませんよ。では、あなたは夢のなかでその人とどういう会話をしていますか?また、どんなことをしていますか?」
「どうだったでしょう…ただ、その人が優しく微笑んでいることしか……」
「そうですか」
…………。
私は脳細胞をほぼ使わず、紹介状を書く事を決めた。
よくわからん。やめた。
ぶっちゃけ俺、医師免許なんて持ってねーし。
眼鏡を外し、私はサラサラとペンを走らせる。……できた。
「うちではちょっと判断がつかないので、紹介状を書いておきます。申し訳ありませんが――!?」
私は言葉を切らざるを得なかった。
彼女が、子猫ちゃんが、泣いていたのである。
「あなたが……」
「え」
彼女は震え声で、しかしはっきりと言った。
「あなたが、わたしの夢になんども出てきたひとです…間違いありません」
……眼鏡をとって、そして医者になって正解だった。
私は眼鏡をデスクの引き出しに乱暴に押し込んでから、言った。
「実は、話を聞いているときにも「僕じゃないか?」と思っていました。僕の人生は、きっとこの瞬間のためにあったのだと思います」
彼女の目がぱあっと明るくなったのを見て、私は彼女をチェックメイトする。
「これからもずっと、よろしくお願いします」
彼女はまだ泣いていた。いや、私の言葉でより感涙にむせび泣いているのだろう。
「あなたは本当に、わたしでいいんですか……?」
「もちろんですとも!」
私の声が診察室に力強く響く。彼女はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。
その笑顔にハートを打ち抜かれた私は、思わず彼女を抱き締めた。
「あっ……」
彼女が小さく声を漏らす。彼女の体は思ったよりもがっしりとしていて、胸板が厚く、さらに肩の筋肉はとても男らしく、って……あれ?
少し怒ったような上目遣いでこちらを見る彼女の鼻の下に、うっすら髭が見えた。
「先生、こんなところで、やめてくださいよ」
彼女の少し掠れたアルトが、狭い部屋によく響いた。