第四章:桃色髪の管理者
「きゃーーーっ!! なにこの子、めっちゃかわいい!!」
地上二十八エム。古代遺跡の最上階である『展望台』に満ちていた、肌を刺すような凍てつく殺気は、チヅルが放ったあまりに場違いで純粋な絶叫によって、一瞬にして宇宙の彼方へと霧散した。
吸い込まれるような満天の星空を背負い、冷徹な「管理者」として侵入者を容赦なく断罪しようとしていた少女は、自身の存在を根底から肯定するような熱烈な叫びを真正面から浴び、ホログラムの操作卓にかざしていた指先を不自然に震わせた。
「……えっ? な、な……何? 今の……特殊な精神攻撃?」
少女――リリアナは、透き通るような青白色の瞳を限界まで見開いた。三〇〇環もの間、たった一人で維持してきた「冷酷無慈悲なシステム管理者」としての強固な仮面がボロボロと剥がれ落ちるのも厭わず、彼女はぽかーんと口を開けて呆然とチヅルを見つめた。
彼女のデータ領域に記録されている「略奪者」たちのアクションパターンは、この場所に辿り着くなり欲望に目を血走らせて武器を抜くか、あるいは自身の圧倒的な力の前にひれ伏して命乞いをするかの二択しかなかった。
だが、目の前にいる猫耳の少女はどうだ。自分の命が絶たれるかもしれない危険など微塵も感じていない様子で、頬を桜色に染め、両手で顔を覆って身悶えしながらこちらを熱烈に凝視している。
「見てよ、ユイちゃん、ラズベルちゃん! この桃色のフワフワした髪! それにこの、お人形さんみたいな精緻な服! ああっ、触りたい……頭をなでなでしたいっ!」
「……落ち着け、チヅル。興奮しすぎて、自慢の猫耳が千切れんばかりに高速回転してるぞ。相手はこれまでのえげつない『防衛の仕組み』を操ってた親玉……かもしれないんだからな。もう少し警戒心ってものを持て」
ユイが酷い頭痛を堪えるように片手で額を強く押さえながら、リリアナの背後に浮かぶ円盤型の操作卓へと視線を向けた。
そこには、この古代遺跡の粗削りな石造りの壁面とは明らかに異質な、幾何学的で抽象的な光の記号がいくつも明滅し、空中に浮かんでいる。それはユイの記憶にある「二〇三〇年の最新技術」ですら到底到達していない、未知の……あるいは遥か未来の超科学の結晶のように見えた。
「あはは……。チヅルちゃん、ほら、女の子がすっかり怖がっちゃってるよ。まずは落ち着いて、ちゃんとご挨拶をしなきゃ」
ラズベルが苦笑しながら、身を乗り出しすぎて今にもリリアナに飛びかかりそうなチヅルの襟首を軽く引いて引き戻した。
彼女もまた、少女のあまりの愛くるしさに驚きはしたものの、パーティの「お母さん枠」である彼女特有の冷静な観察眼で、この石造りの展望台に「後付け」されたような異質な機械装置の違和感と、少女から放たれる魔力とは違う不思議な波動を敏感に察知していた。
「……あなたたちは、何なの? なぜ、奪おうとしないの? なぜ、そんな風に笑っているの……?」
リリアナが、消え入るような、ひどく混乱した声で問いかけた。その声音からは、先ほどの侵入者を拒絶する鋭い刃のような響きがすっかり消え失せ、代わりに隠しきれない困惑と、ほんのわずかな「未知への好奇心」が漏れ出していた。
「あ、ごめんね、びっくりさせちゃって! あたしはチヅル。こっちはユイちゃんで、そっちはラズベルちゃん。あたしたちはね、この古代遺跡で最近起きてる『青い閃光』の異変の調査に来たの。誰かを傷つけたり、何かを盗みに来たわけじゃないんだよ」
チヅルが、意識的に戦意がないことを示すように両手を大きく広げ、太陽のような柔らかな笑みを浮かべた。
その真っ直ぐな言葉を聞いたリリアナの瞳が、一瞬だけ優しく、どこか遠い過去を懐かしむように揺らめいた。
「……調査。……そう。あなたたちは、この場所を『古代遺跡』と呼んでいるのね。地表に露出している、この古びた石の塔のことを……」
「え? ここ、古代遺跡じゃないの?」
チヅルが不思議そうに小首を傾げた。リリアナは自嘲気味に薄く微笑むと、背後の操作卓――ホログラムの光が軽やかに踊るコンソールにそっと手を触れた。
「ええ、この建物自体は、この世界の古い遺構で間違いないわ。でも……私が本当に守らなければならないのは、この石積みなんかじゃない。……この塔の、さらに地下深くに沈んだ、かつての私の……職場。二十四時間絶え間なく稼働していた『第三動力棟』なの」
リリアナが静かに口にした「職場」という言葉。そこには、機械的な義務感や冷たいプログラムの響きよりも、どこか誇らしげで、血の通った温かな記憶が宿っているような響きがあった。
「そこはね、とても賑やかで、明るい場所だったの。……私はリリアナ。意思を持つ『自律型管理ユニット』である私を、あの場所では誰も偏見の目で見なかった。……同僚たちは皆、私を対等な大切な仲間として扱ってくれたわ。私のお誕生日にこの美しい衣装をプレゼントしてくれたり、休憩時間にはくだらない冗談を言い合って笑い転げたり……。私にとっては、世界で一番心地よい場所だったのよ」
リリアナの淡々とした、けれど愛おしげな独白を聞いて、ユイは思わず小さく噴き出した。
(……職場ねぇ。まさか異世界に来てまで、しかもオーバーテクノロジーの塊みたいなアンドロイドの口から『職場』なんて世知辛い単語を聞く羽目になるとはな。しかも、そんなに楽しそうに。……あんた、なかなかの『社畜』体質じゃないか。それも、最高に幸せな方のさ)
ユイは『白綱』の柄から完全に手を離すと、すっかり緊張の解けた顔で肩をすくめた。
二〇三〇年の日本で彼女が嫌というほど見てきた、死んだ魚のような目をして満員電車に揺られる「社畜」と呼ばれる大人たち。それと同じ単語を使いながら、職場を「かけがえのない心地よい場所」と語るリリアナの姿。それはユイにとって、どこか滑稽で面白く、そして同時に、少しだけ羨ましくも感じられる皮肉だった。
一方、チヅルはリリアナの語る「温かな記憶」にすっかり心を動かされたようで、警戒を解いた足取りで、リリアナの孤独を包み込むようにさらに一歩踏み出した。
「リリアナちゃん……。あたしたちに、もっと教えてくれる? ここで、本当は何が起きてるのか。あなたが、どうしてそんなに悲しい顔をして……その大好きな職場の話を、そんなに寂しそうにするのか」
チヅルの「交渉術」は、今、ギルドの報酬や損得勘定を完全に抜きにして、ただ純粋に、一人の少女が抱える途方もない孤独へと、優しく手を伸ばしていた。
「……はぁ、はぁ。ねえ、本当にかわいすぎない? この服の精緻なデザインとか、布地の滑らかさとか、マーレン、いや王都の専属職人さんでさえ、絶対に思いつかないよね」
チヅルがリリアナの周囲を、まるで歴史的な大発見の国宝でも検分するかのようにぐるぐると回りながら、うっとりと熱い溜息をつく。リリアナは、これまで経験したことのない、向けられるあまりに無垢で強烈な好意の視線に耐えかねたのか、桃色の長い髪を細い指先でくるくるといじりながら、明らかに困惑した様子で視線を泳がせた。
「……もう、いいかしら。その……『かわいい』という非論理的な評価は、私の内部ログには分類不能な情報よ。それに、私はあなたたちのようなヒューマン種でもエルフ種でもないわ。私の正体は『自律型管理ユニット・モデルLIR1-ANA』。……人間によって造られた、意思を持つ人形なのだから」
その冷たく無機質な響きを持つ言葉に、チヅルの動きがピタリと止まった。ユイとラズベルも、リリアナの横顔に刻まれた、この世界の理から完全に外れた静謐さと、その陶器のような肌が持つ無機質な完璧さを改めて見つめ直す。
「ヒト種じゃ、ない……?」
「ええ。私は、この地下深くに沈んだ『第三動力棟』と共に、全く別の世界からここへ辿り着いたの。……かつてそこは、百名近いスタッフが活気に満ちて働いていた、私の大切な『職場』だったわ」
リリアナは、システム領域の奥深くに保存された遠い記憶を紐解くように、静かに、しかし鮮明に語り始めた。
かつて彼女がいた世界――そこは、空を突くような摩天楼が地平の彼方まで埋め尽くす、高度な科学文明社会。リリアナはその巨大都市の心臓部の一角である『第三動力棟』のシステム管理ユニットとして、人間たちと共に昼夜を問わず日々を過ごしていた。
施設の責任者であったディラック所長は、非常に優秀で、かつ公平な人物だった。彼はアンドロイドであるリリアナに対しても、決して単なる機械としてではなく、一人の有能な部下として、あるいは一人の少女として温かく接し、スタッフ全員から絶大な信頼と尊敬を寄せられていた。
「そして、専属のメンテナンス技師だったロロア。彼女は私と並ぶと姉妹のようだと、よく周囲から冷やかされていたわ。仕事が終われば、彼女は私をプライベートなショッピングに連れ出してくれたり、お互いの衣装を選び合ったりして……。私にとっては、プログラムされた主従関係を超えた、かけがえのない親友だったの」
だが、その愛おしい平穏はある日、何の前触れもなく理不尽に断ち切られた。
突如として施設全体が原因不明の空間の歪みに飲み込まれ、次元を超えて転移。外へ出たリリアナたちが見たのは、見知らぬ荒野と、その地上に佇む古い石造りの塔――つまり、この古代遺跡だった。
「私たちは絶望しなかったわ。ディラック所長を中心に、総力を挙げて状況の把握と原因追及が始まった。施設の地下深くに隠れるようにして、元の世界へ帰還するための研究が夜を徹して続けられたの。……そしてこの王国暦でいうところの星巡り二十三巡目に入ったころ、ようやく帰還の理論が完成し、その糸口が見つかった矢先のことだったわ」
リリアナの青白色の瞳が、システム上の痛みに耐えるように細められた。
「……重大な事故が起きたの。動力炉から暴走したエネルギーが区画を焼き切り、ディラック所長を含むスタッフ九十一名が、一瞬にして命を落としたわ。生き残ったのは、高熱に耐えうる頑強な機体を持っていた私と、たまたま別区画にいたロロアを含む、わずか五人のスタッフだけ。帰還への希望は、文字通り灰になってしまったのよ」
ユイは、リリアナの背後に浮かぶホログラムのコンソールを無言で眺めていた。九十一人。その重すぎる犠牲の数字を聞いた瞬間、彼女の胸の奥に、言葉にできない鋭い痛みが走った。
「……九十一人。そんな、一瞬で……。ごめん、リリアナ。さっきは『社畜』だなんて茶化して……。あんたがその場所を、ただの組織じゃなくて『温かな場所』として覚えてる理由が、分かった気がするよ。私のいた世界にも、そんな風に誰かを想い合える本当の意味での『アットホーム』な場所があったら、もう少しマシだったのかもな……」
ユイは『白綱』の柄に添えていた指を完全に緩め、リリアナの小さな肩を痛ましげに見つめた。彼女の知る現代社会の冷酷な労働環境とは違う、数字や効率では測れない真実の絆がそこにはあったのだ。
「残された私たちは、それでも施設の維持と研究を諦めなかったわ。でも……生身の肉体を持つ彼らは、残酷なまでの時間の流れには勝てなかった。一人、また一人と、病や寿命で散っていき……最後に残ったのは、私とロロアの二人だけ。そして王国暦第三三二環の冬、私の腕の中で……ロロアもまた、静かに眠りについたわ」
リリアナは自嘲気味に微笑むと、空中の操作卓に指を走らせた。展望台の床の一部が透過し、足元に広がる動力棟の階層が、青白い光の立体図として浮かび上がる。
「それから三〇〇環、私は一人でこの動力棟を守り続けてきた。かつての仲間の面影を胸に、いつか来るかもしれない『帰還』の奇跡を信じて。……けれど最近、地下の動力炉に致命的な異常が発生したの。制御不能なほどエネルギーが加速し、不安定な余剰電力が外部へと漏れ出している。それが麓の村を脅かした『青い閃光』の正体よ」
「じゃあ、ここの下層にいた統制された魔物たちは……?」
ラズベルの問いに、リリアナは重く頷いた。
「異常を解決するには、地上にあるこの遺跡の最上階から、全体のエネルギー循環を遠隔で監視し、調整し続ける必要があったの。だから私は遺跡を改造し、この辺りに住み着いていた魔物たちに首輪を填めて強制的に防衛にあたらせた。不安定な動力炉の近くに、無知な侵入者を近づけないため……そして、私が監視に集中する時間を稼ぐためにね」
「だったら、あたしたちが一緒に地下に行って、その動力炉を直すのを手伝うよ!」
チヅルが身を乗り出して力強く提案したが、リリアナは絶望的な表情で力なく首を振った。
「ダメなの。一度、動力炉のある中枢区画を離れて地上のこの監視室に出てしまった私には……もう、一人では内部に戻る権限がないのよ。内部へと続く扉を開くには、管理者の認証キーだけじゃ足りない。私以外の、独立した意思を持つ『生きた人間による同時認証手順』が必要なの」
地上二十八エムの夜風が、透明な障壁の向こうで唸る。
三〇〇環という、想像を絶する永い孤独。大好きな職場に、かつての仲間たちの温もりが残る「家」に帰りたいのに帰れないという、果てしない絶望。
「……三〇〇環も一人で頑張ってきたんだね。大好きな場所に帰りたいのに帰れないなんて、そんなの悲しすぎるよ」
チヅルは、ホログラムパネルに触れていたリリアナの小さな手に、そっと自分の手を重ねた。温かな体温を持つチヅルの手に、リリアナの指先がビクリと反応した。
「だったら、あたしたちがリリアナちゃんのいう『認証手順』ってやつを手伝うわ! 四人いれば、その面倒くさい仕掛けも、きっとなんとか突破できるんじゃないかな! いや、絶対なんとかなるよ、あたしのちょーカワイイ猫耳にかけて!」
チヅルの魂の奥にある「幸運の羅針盤」が、今、冷たい石の床を通り抜け、地の底へと続く未知の扉を真っ直ぐに指し示した。
「……信じられない。私を、助けると言うの? 数か月の間、この場所に近づく者を拒絶し、容赦なく傷つけてきた、この忌まわしい塔の主を」
リリアナの青白色の瞳が、理解不能なバグに直面したかのように激しく揺らめいた。
そんな異界からきた私は、外部の人間にとってはただの「悪意ある暴力」でしかなかったはずだ。だからこそ、彼女は自分が討伐される運命にあるのだと、半分は諦めと共に受け入れていた。
だが、今目の前にいる三人の少女たちは、自分たちが命懸けで登ってきたこの死の塔を「ただの石積み」と断じた管理者に対し、剣を抜くどころか、ただ真っ直ぐな好意と、心からの共感を向けている。
「リリアナちゃん。あたしたちは『調査』に来たんだよ? 調査っていうのは、何が起きてるかをちゃんと調べて、見極めること。そして……誰かが何かで困って泣きそうになってるなら、それを解決して助けるのが、本物の冒険者なの!」
チヅルが屈託のない、太陽のような笑顔で言い切ると、ユイもふっと肩の力を抜き、魔刀『白綱』を鞘の奥へと完全に収めてカチリと音を立てた。
「それにさ、あんたは三〇〇環も、たった一人で残業し続けてきたんだろ? そんなふざけた労働環境、私のいた世界じゃとうに労働基準法違反で摘発されてるぜ。あんたをちゃんと『定時』に帰してやるのが、今の私たちのクエストだ」
「ユイちゃん、相変わらず表現が独特だけど……その通りだね。さあ、リリアナさん。その『認証手順』っていうのは、どうすればいいの? 私たちにできることなら、何だって協力するわ」
ラズベルが包み込むような優しい声で促すと、リリアナは戸惑いながらも、ふと背後の操作卓の傍らに置かれていた、精緻な装飾の施された不思議なランタン――『魔道提灯』を手に取った。
リリアナが提灯の側面にある小さな物理スイッチをカチリと押し込むと、内部に充填されていた未知のエネルギーが活性化し、提灯が星明かりのような淡い純白の輝きを放ち始めた。
「……わかったわ。あなたたちの『生体反応』を、一時的なゲスト権限としてシステムに登録する。……地下の中枢区画へと続くハッチを開くには、管理者である私以外の、独立した意思を持つ『生きた人間』による同時認証が必要なの」
リリアナがホログラムのコンソールに流れるように指を走らせると、空中に四つの手形のような光の紋章が浮かび上がった。
「ここに、手を合わせて。……いい? 一度登録すれば、システムはあなたたちを『排除対象』ではなく『保護対象』として認識する。防衛機能があなたたちを攻撃することは二度となくなるわ」
チヅルが真っ先に「えいっ!」と右手を重ね、続いてユイとラズベルも迷いなく手を置いた。最後にリリアナが、少しだけ震える小さな手を重ねると、空間に無機質な、けれどどこか祝福めいた合成音声が響いた。
『――個体識別:管理者リリアナ、および外部生命体三名を検知。バイオ・シンクロニシティを開始します。……細胞波長、脳波パターン、魔力紋の照合完了。ゲスト権限を承認しました』
「よし、これで登録完了だね! さあ、リリアナちゃんの本当の職場に案内して!」
チヅルの元気な号令と共に、一行は星空が広がる展望台を後にし、まずは一階の出口を目指して螺旋階段を下り始めた。
***
四階『儀式場』まで降りてくると、そこにはチヅルたちが先ほど知恵と連携の限りを尽くして破壊した、『鋼の守護者』の無残な残骸が転がっていた。高熱と水蒸気爆発によって内側から弾け飛んだその鉄屑を、リリアナは冷ややかな、しかしどこか感慨深げな眼差しで見つめた。
「……三組目のパーティは、この階に到達したものの、この鉄壁の防衛線の前に戦意を喪失して撤退していったわ。でも、四組目の『ガラム』という男の部隊は、配備していたオークたちを力ずくで突破して、この階まで登ってきたの」
リリアナが階段を下りながら、システム管理者としての冷徹なトーンで語り始めた。
「だから私は、次に備えてより強固な防衛ユニット……あの『鋼の守護者』をここに配置したの。まさか、魔法という非合理な力と物理法則を掛け合わせて、あんな鮮やかな方法で破壊してしまうなんて、完全に計算外だったけれど」
そこまで言うと、リリアナは少しだけ悲しげに目を伏せた。
「ガラムたちは五階の展望台まで辿り着いたわ。でも、彼らは抜身の剣を構え、剥き出しの強烈な殺気を放ったまま、私の前に現れたの。……システムの防衛プロトコルは、彼らを問答無用で『施設に対する明確な脅威』と判定し、『排除対象』として再登録したわ」
リリアナの言葉に、チヅルたちは息を呑んだ。
彼らは仲間を傷つけられ、未知の脅威を前に極限の緊張状態にあった。だからこそ武器を構え、殺気を放ったのだ。しかし、感情を持たないシステムにとっては、それが悲劇の引き金となってしまった。
「私は彼らを、見えない力場で階段の下へと弾き飛ばしたわ。……私の拒絶にパニックを起こして逃げ出した彼らを、下層の魔物たちが、システムの命令に従って一斉に牙を剥いて襲いかかったのよ。……ボロボロになって一階まで辿り着いた彼らに、最後にとどめを刺したのが、あの入り口の守備隊……」
リリアナの淡々とした、けれど痛みを伴う告白に、三人は顔を見合わせた。
ガラムたちの無念。そして、システムとして彼らを排除せざるを得なかったリリアナの孤独な立場。自分たちが平和的に迎えられたのは、ひとえにチヅルの「かわいい!」という、殺気とは対極にある第一声が、防衛プロトコルの作動を土壇場でキャンセルさせたという、奇跡的な『幸運』ゆえだったのだ。
さらに階段を下り、三階『書庫』へと至る。
そこでは、首輪を填められたコボルトたちが、以前と同じように規則正しく巡回していた。だが、ゲスト登録を済ませたチヅルたちの横を通り過ぎても、彼らは一瞥だにしない。ただ黙々と、プログラムされた辺りの警戒という「業務」を続けていた。
「この子たちは、施設の防衛を補完するための『生体ユニット』よ。彼らの意思を上書きして利用するのは、私の目的を達成するために最も合理的で、必要な措置だったわ」
リリアナが通り過ぎるコボルトを、一切の感情を交えない冷徹な眼差しで見つめて淡々と呟く。 その小さな背中に宿る、管理者としての非情さと、そうまでしてこの場所を守り抜こうとする「使命」の重さを、チヅルは改めて噛み締めていた。
三階『書庫』を抜け、一行は二階『居住区』へと降り立った。
ここは、かつて二組目のパーティが、リリアナが遠隔操作した変幻自在の迷路に翻弄され、出口を見つけられずに探索を断念した場所だ。今では、石造りの回廊のあちこちで魔物たちが整然と清掃や荷運びといった雑務をこなしている。
だが、リリアナによれば、「排除対象」と見做されたガラムたちの退路においては、この平穏に作業をしていた魔物たちさえもが、システムからの命令一つで一斉に凶悪な伏兵へと変貌したのだという。生体ユニットとして完全に意思を上書きされた彼らには、日常と殺戮の境界線など存在しない。ただ、管理者からの「信号」だけが絶対なのだ。
そして、最後の一階『大ホール』。
天井高十二エムという圧倒的な大空間。ここは、一組目の新人パーティが巡回に見つかり、軍隊のように統制されたコボルトの群れに追われて泣きながら逃げ帰った場所。そして、五階から命からがら逃げ延びようとしたガラムたちが、入り口を固めるオークの重装歩兵部隊に包囲され、絶望の中で完全に粉砕された終焉の地でもある。
そこには今も、鉄錆色の分厚い皮膚を持つ屈強なオークたちが、一糸乱れぬ隊列を組んで正面の巨大な扉を警護していた。
だが、リリアナを先頭にした現在の一行が歩み寄ると、オークたちは機械的な正確さで左右に分かれ、まるで主を迎えるかのように、音もなく道を開けた。そのどす黒い赤い瞳は、すぐ横を通り過ぎるチヅルたちを完全に「風景の一部」として無視している。
「……背筋が寒くなるな。あれだけ狂暴な連中が、ただの『歯車』みたいに動いてやがる」
ユイが『白綱』の柄に手を添えたまま、警戒を解かずに呟いた。
「ええ。彼らは極めて優秀な防衛リソースよ。感情という不確定要素を排除したことで、施設の生存確率は劇的に向上したわ」
リリアナは振り向くことなく、ただ事実だけを淡々と述べた。その小さな背中に、三人は改めて彼女が三〇〇環もの間背負い続けてきた「冷徹な合理性」の重みを感じ取っていた。
***
遺跡の大扉を抜け、外へと出た。
夜の荒野には冷たい風が吹き抜け、背の高い芒が銀色の波となってざわめいている。
リリアナは石造りの巨塔のすぐ傍らに立ち、月明かりに照らされた地面を静かに見つめた。
「……転移が起きたあの日、私たちが最初に目にしたのは、深い、深い闇だったわ」
リリアナが語る回想は、三人の想像を遥かに絶するものだった。
突如として元の世界から切り離された『第三動力棟』――十六階建ての四角い巨大なビルそのものと、その周囲の空間がまるごと、この世界の地中深くに「出現」したのだという。
「建物の外に出ると、そこには空も星もなく、ただ冷たい岩盤に囲まれた暗い空間が広がっていたの。精密な環境調査の結果、私たちがいたのは地表からマイナス一二八メートルの地点だと判明したわ。……でも、一つだけ奇跡があった。この世界の分子構造や大気成分は、偶然にも私たちのいた世界とほぼ同じだったのよ。だから私たちは、岩盤の中で窒息することなく、地上へ出るための時間を稼ぐことができた」
ユイが、ハッとしてリリアナの横顔を見つめた。
「……一二八、メートル。……ん? ああ、いや。……そこからどうやって、この地上まで?」
一瞬、このファンタジー世界では絶対に耳にすることのない「メートル」という現代の単位に、ユイの脳裏を元の世界(二〇三〇年の日本)の記憶が強烈に掠めた。リリアナたちのいた世界は、彼女の故郷と極めて近いか、あるいは同じ系統の文明を持っていたのではないか。しかし、ユイはすぐにその推測を心の奥底にしまい込み、意識を切り替えて問いを続けた。
「私たちには、高度なオートメーション連携が可能な建設用の重機があったの。ディラック所長が設計図を引き、重機たちが自動で岩盤を掘り進め、地上へと続く垂直通路と、この『入口棟』を建設したわ。……でも、ようやく岩盤を抜けて地上へ出た私たちが目にしたのは、見える星も、文化も全く異なる……絶望的なまでに未知の、別世界だった」
リリアナは、手にした魔道提灯を夜の荒野に向かって静かに掲げた。
側面の物理スイッチを入れると、提灯の芯から純白の光が力強く放たれる。その光が空間を照らした瞬間、何もないはずの虚空が陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。
「……うわっ! なにこれ、景色がめくれていく……!」
チヅルが驚きの声を上げる。
光の照射に合わせて、周囲の空間に施されていた高度な『位相遮蔽』が波打つように解除されていく。そして、荒れ果てた芒野原のど真ん中、石造りの古代遺跡のすぐ隣に、極めて場違いな「白銀の金属で造られた小さな建造物」が、その無機質で滑らかな姿を現した。
これが、リリアナたちが決死の思いで地中から掘り進め、建設した『入口棟』であり、第三動力棟へと繋がる唯一の正規ルートだったのだ。
プシュゥ……ッ。
リリアナが近づくと、入口棟の白銀の扉が、機械的な摩擦音を一切立てずに左右へとスライドした。中には、超高速昇降機の無機質な空間が待ち受けている。
三三〇環もの途方もない孤独を経て、リリアナは今、自分以外の「生きた認証」を連れて、地の底に眠る愛しき職場へと帰還しようとしていた。
「……さあ、行きましょう。私の、本当の『家』へ」
リリアナの静かな、けれど確かな熱を帯びた声に促され、チヅルたちは息を呑み、未知なる深淵へと続くその白銀の箱へと足を踏み入れた。
――第四章:完。




