旅の始まり
「さてと、ニア」
「なあに?セオおじさん」
ずこっ
「おじさん、ってなあ。俺はまだそんな歳じゃない。セオお兄さんだ」
「なあに?おにいちゃん?」
「いや、それもなんか違うだろう」
「もう、難しいのね。じゃあ、セオって呼び捨てでいい?」
「もうそれでいいよ……。で、これからのことなんだが、州都アウナーラに向かうのはいいな?」
「ええ、お母さまに会いに行くんでしょう。楽しみだわ」
「そんな旅行気分では済まないと思うんだが。とりあえず一目で金持ちだってわかるその恰好はまずい。君を狙う敵だけじゃなく、身代金目当ての悪いヤツらに絡まれかねないからな」
「そうなの?でも私、着替えとか持ってきていないわ」
「まあ、世間知らずの貴族の嬢ちゃんなら仕方ないよな」
「また嬢ちゃんって言った!子供扱いしないで、お・じ・さ・ん」
「わかったよ、悪かったって、ニア。それよりこいつに着替えてくれないか」
郡都で仕入れた古着だ。村娘用の晴れ着だが、貴族の令嬢には少しみすぼらしかったか。
「わあ、素朴な感じでいいわね。わたし、こういう服に憧れてたんだ。ありがとう、セオ」
見慣れない物にも忌避感を持たない性格は大助かりだ。それだけでも凡百の貴族の子供とは一線を画す美徳だな。
荷馬車の中で着替えを終えたニアがくるくるとその場で回ってポーズをとる。
「どう?」
「似合ってるよ」
「うふふ、ありがと」
大貴族のご令嬢から大店の箱入り娘くらいには格を下げられたが、にじみ出る上流階級の品の良さは隠しきれないか。仕方ない。
「このまま山に向かってに進んで峠越えの道を探す。途中、野宿することになるが我慢してくれ」
「野宿!本当の冒険みたいで楽しみだわあ」
そんなことを言っていられるのも最初のうちだけだと思うけどな。
「とりあえず出発するぞ。今日のところは日の入り前に行けるところまで行って、農村に宿を借りよう」
荷馬車の奥に毛布を敷いて座席を作ってやる。
「ちょっと狭いが馬車からはあまり顔を出すなよ。人に見られたらややこしいことになるからな」
「わかったわ。グラニ、これからよろしくね」
そういってタンポポの花を差し出す。灰色の騙馬は胡散臭そうに匂いを嗅いでからもぐもぐと口に運んだ。
へえ、気難しい相棒が他人を受け入れるなんて珍しい。性根のいい子なんだな。
「さあ、乗った乗った。出発だ」
合図代わりに手綱で軽く鞭を入れる。灰色の騙馬は待ちくたびれていたのか、元気よく進み始めた。
午後のぽかぽかとした日差しの中、延々と続く麦畑の中を山に向かって進む。
途中途中にエノキやケヤキといった広葉樹が植えられた広場があって、ここが古くから人々に使われている道であることが分かる。
通り過ぎるそよ風が大きな葉を揺らして木漏れ日を荷馬車の幌に投げかける。
長閑な田園風景に気が緩みそうになるが、襲撃者への警戒は怠らない。敵は暗殺者だけとは限らない。行商人を狙った野盗のたぐいはどこにでもいるものだ。
(それと官憲の目もな)
「それじゃあ犯罪者みたいじゃないか」
(事実だ)
「ぐうの音もでないね」
「誰と話してるの?」
ニアが荷台の垂れ幕から顔を出す。
「ん?あー、いや、独り言だよ。一人旅が多い行商人にはよくあることさ」
「なんだ。グラニと話しているのかと思ったわ」
「まあ、それも間違いじゃないかな。こいつは我慢強い質だからなあ。俺の愚痴を文句も言わずに聞いてくれるんだ」
ヒヒーン、ブフゥ
「あら、グラニの意見は違うみたいね」
ニアがくすくすと笑う。
ずっと荷台に居るも飽きてしまったようだ。垂れ幕を上げて御者台に滑り込む。
「落っこちないようにおとなしく座っているんだぞ?」
「わかったわ。ふぅ、風が気持ちいい」
「中は暑かったか?」
「それほどでもないけれど、香辛料の匂いがきつくて、ね」
「そりゃあ、すまなかったな」
「いいのよ。早く慣れないとね。先は長いんだから」
十一歳だというのにしっかりとしたものだ。俺がこの子の年頃には、幼馴染連中と野山を駆けまわっていたなあ。冒険者修行と称して孤児院の仕事をサボって、よく叱られたっけ。
金持ちや貴族の子はわがまま放題に育つと思っていた。この歳で親元を離れて暮らすことを余儀なくされ命まで狙われるなんて、貴族の子も大変なんだな。
ゴトゴトと荷馬車が進む。
「あの遠くに見える山まで行くの?」
「あれを越えて、その先の平原を越えて、そのまた向こうの山を越えた先だな、州都は」
「そんなに遠く?」
ニアが目を丸くする。
「ああ、そうだ。どうする?戻りたいか?」
「いいえ。いっぱいいろんなことに出会えそうでワクワクするわ」
「そうだな。城の中じゃ経験できないことだらけだな。まあ心配するな。遠くに見えるが馬車なら十日ほどの旅だ」
(何事も起きなければな)
そういう不吉なことは言うんじゃないよ。縁起でもない。
「ねえ、あれは何?」
少し先の丘に土で出来た塔が立っているのが見えてきた。何基かつながって建っているため、隙間のある壁のようにも見える。
「あれは風車だな。風の力で麦を挽いて粉にするんだ」
「すごい、大きいのね。それにいくつもあるわ」
「どうやら大きな村があるようだな。日没も近いし、今夜はあそこに宿をとることにしょう」
「野宿はしないの?」
「心配しなくてもそのうち嫌というほどすることになるさ。さ、念のため、中に引っ込んでいてくれ」
俺は笑いながらニアを促した。




