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浄化

「大丈夫か、ニア」

「セオ?終わったの?」

「ああ。君を狙っていた悪いヤツは倒せたみたいだ」

 ゆっくりと目を開けたニアは多少はやつれた表情を残していたが、安心したようににっこりと笑った。

「ルーナのほうは大丈夫か?」

「ええ。気を失っているだけみたい」

 ニアがルーナの胸に手を当てて息づかいに異常がないことを確認する。そのまま小さく誓句を唱えて治癒魔法を解き放つ。ルーナの顔色に赤みが差し、形の良い眉根を少し寄せてからゆっくりと瞼を開いた。

「姫様……」

「ルーナ。痛いところはない?」

「ええ……ええ、私は大丈夫です。それよりも姫様は……はっ、敵は?」

「大丈夫よ。セオがやっつけてくれたわ」

「セオ殿が?一体どうやって……」

 最後の台詞はニアのそばに立つ俺の姿に向けられていた。

 安堵と驚きの表情を同時に浮かべるという器用さを披露した後、その表情が後悔の念に曇っていく。

「そう……ですか。また助けられましたね。ありがとうございます」

 ルーナの表情を曇らせているのは俺と別行動をとる判断をしたことに対するものだろう。

「そう思い詰めることはないさ。結果オーライってやつだ」

 そう、何がどう転ぶかわからない。運なんてそんなものだ。いまの失敗が次の成功につながるかもしれないし、成功が思わぬ落とし穴を用意していることもある。

「ところで、ニア。手伝ってほしいことがある。疲れているところすまないが、いっしょに来てくれないか」

「ええ、いいわ。ルーナもいいわよね?」

「はい、姫様。姫様のご判断に従います」

 ルーナはすっかり気落ちしている。

 まあ仕方がない。こういうことは周りがやいやい言ったところでどうなるものでもない。本人が乗り越えていくしかないし、そうすべき事柄だ。

「でも、その前にちょっといいかしら、セオ」

「構わないが、何をする気だ?」

 セオが見ているとニアが少し離れたところに血を流して倒れている騎兵のもとへ歩み寄った。

「良かったわ、まだ息がある」

 ニアが騎兵の瞼と胸の傷口に手を当てて誓句を口ずさむ。

 淡い緑の光が二人を包み、騎兵の顔色が回復していく。

 ニアが手をどけると、騎兵が薄く目を開いた。

「大丈夫。まだ痛みはあると思うけれど、命に別状はないわ」

「……姫神様」

 ニアを見上げる騎兵がかすれる目でニアの姿を追う。逆光の中、優しく安心させるように微笑む少女が、傷ついた兵士には慈愛に満ちた女神の姿に重なって見えた。

「治癒魔法で傷口はふさがったが、失血で体力が落ちているようだな。彼も連れて行こう」

「どこへ?」

「これからカーヴィ元将軍のところへ戻る。負傷兵は俺が連れていくから、あんたたちは後から本体に合流してくれ」

 セオはニアだけでなく周囲で力なく座り込んでいる騎兵達に告げるように声を張った。

 それからルーナを振り向いて続けた。

「ルーナはニアといっしょにグラニのあとをついてきてくれ。ちょっとした魔術を使うが慌てないで信じてほしい」

「わかりました」

 ルーナとニアがクリステルにまたがる。

 俺は負傷兵をグラニの後ろに乗せて、じっと掴まっているように言った。

「よし、グラニ、行ってくれ。今度は急がなくていいからな」

 ブフンと一言、返事をしてグラニが歩き始める。

 グラニの足下からパリパリと放電の音が響き、小さな雷光が弾ける。

 進行方向に雷雲の渦が現れ、中心部が広がって見ていると目がチカチカするような不思議なトンネルが現れた。

「なっ?!」

「うわぁ、素敵!」

 異なる反応を示しながらもクリステルの手綱を引かずに歩むに任せる。

 クリステルは眼前の光景を気にしていないのか、素直にグラニの後ろに続いてトンネルに入っていく。

 空間が引き延ばされると同時に縮むような不思議な感触が一瞬よぎったかと思うと、次の瞬間には河原から平原へと移動していた。

 軍隊の中央に開けられていた広場に出る。

 カーヴィ元将軍が軍勢の中から厳粛な表情で進み出てきた。

「おぬしは一体……。いや、それよりも何があったか教えてもらえぬか。あの禍々しい鳥はどうなった?」

「なんとか倒したよ。あれはこの子を狙った死の呪いだった。呪いは消し去ったからもう襲ってこないだろう」

「呪詛返しか。なるほどな。呪いをかけた元凶は報いを受けたか」

「止むを得ず将軍の兵を一人傷つけてしまった。この子が治癒を施したので命に別状はないと思うが、どこかで休ませてやってくれ」

「うむ。不幸な行き違いがあったことはのちほど正式に謝罪させてもらおう。衛生兵、彼を引き取って手当をしてやれ」

 数名の兵士がグラニに駆け寄り、傷ついた騎兵を連れていく。

「ところでなぜここに戻った?」

「将軍はもう俺達の敵じゃないだろう?それよりも動く死体(ゾンビ)の件を何とかしないとと思ってな。黒幕は倒したけど奴らは健在なんじゃないのか?」

「ああ、その通りだ。ドラゴンゾンビを倒せば消滅するかと期待したのだが……」

「もともとこの地にあった瘴気溜まりから力を得ているはずだからな。魔物に変容させたおおもとがいなくなっても、魔物自体は動き続けるってこった」

「伝染性も失われていないのだろう。この辺り一帯を封鎖することはできるが、今後何年もそれを維持し続けるのは無理がある。それにまだ発症していない兵士たちもできれば救ってやりたい」

「試したいことがあるんだ。ニアは、この子は呪いに傷ついた精霊の傷を治癒したことがある。もしかしたら彼女の力がゾンビ化の呪いにも通用するかもしれん」

「おお、それが本当ならおおいに助かるが……」

「ニア、やってくれるか?」

「私にできるかしら?あのときは聖獣シルヴァルフ様自身の力もあったから……」

 不安そうに手を組み合わせるニアの足下にリーが体を擦りつけて安心させるように見上げてくる。

「大丈夫さ、リーもいる。いまのニアは『死の鳥の絶叫』を受け付けないほど強い。ニアの植物を育む力と治癒の力を合わせれば、きっとこの呪いも浄化できるさ」

「わかりました。やってみます」


 最初に野戦病院を訪れた。

 隔離されたテントに十数名の兵士が寝かされている。

 いずれも怪我自体は大したことがないが、一様に皮膚が土気色に変色して頬がこけ、顔に死相が浮かんでいた。全員目を閉じてうなされている。

「何度も治癒魔法や聖職者による解呪を試したのですが回復しないのです」

 担当の衛生兵が悔しそうに報告する。

「試してみましょう。リー、こっちに来て」

 ニアが患者の一人に近づいて手を取る。リーがニアにそっと寄り添う。

「傷ついた命に姫神様の癒しを、呪いを受けし魂に姫神様の救済を……」

 目を閉じ祈るニアの指先から光が広がり、ニアとリーの全身を包む。やがて光は患者の体を包み込み、周囲に広がり、テントの中全体を包み込んだ。

「おお……」

 神々しい光景が収まると、息を止めて見守っていた人々が大きくため息を吐いた。

「上手くいったようだ」

 患者の顔に生気が戻り、肌の色も明るさが増して健康な色合いを取り戻している。

「良かった……」

 ニアも安堵の吐息をつく。

「疲れはないか?ニア」

「ええ、大丈夫」

「よし、大変だがもう一つ、試してもらえるか?」

「もちろんよ」

 セオに先導されて周囲を見晴らせる丘の上まで来た。

 眼下には臨時で作った防壁にただただ無思慮に攻撃を加えしがみ付いて乗り越えようとする動く死体(ゾンビ)の群れが見える。

「なんて酷い……。あの方たちはもう救えないの?」

「あれに魂は残っていない。呪いの力で動き続けるだけの存在なんだ」

「それでもあんなふうに虐げられていいものじゃないわ。私、やってみる」

「姫様……」

「あの人たちは全員、カナヴァール州の市民よ。お父様の民であるあの人たちを苦しみから開放してあげる義務が私にはあるわ」

「御意にございます」

「ルーナも手伝って」

「はい、姫様の助けになれるかわかりませんが、いっしょに祈りましょう」

「大丈夫よ、ルーナ。あなたが一緒にいてくれるだけで力が湧いてくるの」

 ニアがルーナににっこりと微笑む。

 ずっと暗い表情をしていたルーナがハッと息を飲む。

 そして気合を入れ直すように両手で自分の頬を叩いた。

「はい、姫様。どのような場所にもどのようなときにも、私、アルーナ・アルベダールは姫様をお護りし、付き従います」

 ニアが笑顔でうなずく。

「ええ。さあ始めましょう」

 ニアがルーナとしっかりと手をつなぐ。

 すっと左手を眼窩の死人の群れに差し伸べる。

 足元にはリーが付き従う。

「姫神様に請願いたします。死してなお冒涜を受けし人々に慈悲を賜らんことを。忌むべき呪いを遠ざけ、命を育みし大地に浄化の恵みを賜らんことを……」

 二人と一匹を囲む空気が光で満たされ、やがてそれが大きく広がり丘を下り、草木を超え、平原を覆うように広がっていく。

 光に触れた動く死体(ゾンビ)は糸の切れた人形のように次々と倒れて動かなくなる。

 やがて光は遠く地平線の遥か彼方に消えていった。

「姫様」

「大丈夫、ちょっとめまいがしただけ」

「ニア、カーヴィ将軍の天幕で休ませてもらうといい。ルーナも一緒に。こっちだよ」

「ありがとうセオ。お言葉に甘えさせていただきます、将軍」

「いえ、感謝すべきはこちらのほうでございます。ゆっくりと体を休めてください、アフソニアー様」

 二人が下がったあと、カーヴィ元将軍が眼下の平原に目を向けたままセオに語り掛けた。

「君たちを、あの方を疑って申し訳なかった」

「いえ、あなたの立場なら仕方ないことだったとニアも理解していますよ」

「だが、亡き主君が仕えた公爵様のご令嬢に弓を引いたことは事実だ。私は、何度も過ちを繰り返してしまった」

「そう深刻に捉えることはないと思いますよ。結果的にあなたはニアを保護してくださっているわけだし、このあと無事に州都まで届けてくれれば結果オーライです」

「ふっ、君は後悔とは無縁の性格のようだ」

「生まれつきこうだったわけじゃないですよ。いろいろあって、まあこういう心境に至ったというか」

「……あれは奇跡の顕現だった。あの方は姫神様の恩寵を受けた御子なのか?」

「そうですね。将軍にそう見えたのならそうでしょう。でもあまり口外されないことをお勧めします。姫神様の御子という噂があの子の将来にもたらすのは必ずしもいい影響だけとはいえませんから」

「……そうだな。部下たちにも今日のことは君の魔術だと伝えよう」

「うえっ?何で俺が?」

「当然ではないか。君が八脚の神馬にまたがって戦場の空に消えていく姿は何千人もの兵士に目撃されている。いまさら口止めしても噂が漏れるのは防げまい。ならばそれに便乗して公女様の奇跡を隠すのが手っ取り早いだろう」

「勘弁してくださいよ」

「戦場では手近に使えるものは何でも利用するものだよ」

「まったく、これだから軍師っていう生き物は……」

 でもまあ、ニアを守るにはそれくらいのものが必要か。

 自分のことはなんとかなるだろう。

 セオはとりあえず成り行きに任せることにした。

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