表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/63

雷雲

「こっちだ、こちらに逃げたぞ!」

「左から回り込め。この先は崖になっている!」

 複数の騎兵が林を取り囲むように展開して走っている。

 木々のまばらな林の中を白い影が疾走する。

「姫様、しっかりつかまっていてください」

 いつ木の根に脚を取られて転倒してもおかしくない速度で林を駆け抜ける。

 クリステルの技量差で何とか追いつかれずにいるが、時間の問題だった。

 あと少し。あの山を越えればマロウト公爵領なのだが……。

 ヒヒィィン

 クリステルがいななきを一つ上げて速度を落とす。

「どうした、クリステル?」

 クリステルがぐっと進路を左にとって曲がっていく。

 見るとその先の林が切れたところが崖になっていて、数メートル下に河原が広がっていた。

 どのくらいの水深があるかわからないが、川幅から見ても馬で越えられるものではなさそうだ。

「追い詰めたぞ。川下と川上から回り込め」

「くっ」

 追手の気配が前方からも伝わってくる。

 わずかに崖の傾斜が緩くなっている個所を見つけて、クリステルを促す。

 愛馬は迷うことなく崖の切れ目を駆けおりていく。

「!」

 かなりの急勾配だったが、ニアは涙目になりながらも声を上げずにルーナにしがみ付いていた。

「逃がすかっ」

 川上から追い込んできた騎兵がルーナたちのあとを追って駆け下りる。

「ぬおぉぉ」

 そのあとも数騎が無事に崖を駆け下りたが、続く馬が脚を取られて転落する。

「うわぁぁぁ」

 ヒヒィィーン

 横倒しになった馬と乗り手が絡むようにして崖を滑り落ちていく。

「うわっ、ダメだ。無理をするな。川下に戻って河原に下りる道を探せ!」

 ルーナたちの追手が三騎に減る。

 だが河原は大きな丸石が敷き詰められており、クリステルでも駆け抜けることはできなかった。

「姫様。ここで迎え撃ちます。鞘を押さえておいていただけますか?」

 左に佩いたタルワールの鞘を背後に回すようにしてずり上げる。

 ニアは鞘の先を脇に抱える形で固定した。

「こう?」

「ありがとうございます。抜刀したらあとは離していただいて構いません」

「わかったわ」

 ルーナは少しでも有利になるように、水際の締まった砂利のある場所にクリステルを回す。

 崖を下りた三騎が横に散開してこちらに向かってくる。

 ルーナが迎え撃つ姿勢で待ち構えているのを見て取ると、相手も抜刀した。

 川を後ろに背負っているとはいえ、三方から攻撃を受ければ無事では済まない。

「ハイッ!」

 クリステルが川砂を蹴立てて一番右の敵に向かって疾走する。

「むぅッ」

 クリステルと違って丸石の河原に立つ騎馬は動きが鈍い。

 騎士は左側を走り抜けようとする白馬を迎え撃とうと右手の剣を頭上に掲げる。

「姫様、抜きます!」

 掛け声とともに左手でタルワールを抜き放つ。

 逆手に持った湾曲する刀身がまるで水飛沫を上げるように日光に輝く。

「うぐぅっ」

 体を捻りながら振りおろす剣よりも速く、斜め上に振り抜かれた曲刀が騎兵の胸部を切り裂く。

 返り血を浴びてクリステルの純白の馬体に朱色の花が咲く。

「きゃっ」

「姫様!お怪我を?」

「大丈夫、ちょっと顔に血がかかっただけ。自分の血じゃないわ」

 クリステルの馬首を巡らせて残りの二騎に向き直る。タルワールは右手に持ち替えた。

「相手は手練れだ。近づくな。援軍が来るまで逃げないように頭を押さえるんだ」

 敵の数を減らすことはできたが包囲からは抜け出せていない。このままではまた敵が増えてしまう。

 ルーナだけならば装甲に物を言わせて強行突破も考えられるが、背後に庇うニアは防具を身に着けていない。乱戦の中で刃を受ければかすり傷では済むまい。敵もそれをわかっている。殺し合いにならないのはありがたいが、こちらとしては打つ手がない。

 どうするか……。

 私がひとりに飛びかかった隙に姫様だけを乗せてクリステルを走らせるか。

 いや、もう一騎が私を無視して姫様を追えば、遠からず捕まってしまう。

 だが二人同時に無力化する方法など思いつかぬ。

 こんなとき、セオ殿ならどうするか……。

 敵と距離を置いて睨みあう間に、ふいに置き去りにした相手の顔が頭によぎる。

 不思議な男だ。

 武器が役に立たないというハンデを負いながらもどこか余裕があった。

 それとも、あれは抜けているだけだったのか。

 運が悪いといいながら、結局何とかなってしまうのだから不思議なものだ。

「ふふ」

 窮地だというのに思わず笑みがこぼれてしまう。

「何だあれは?」

 睨みあっていた騎兵の一人が上空を見上げて驚いた表情になる。

 が、すぐに恐怖を顔に張り付かせて剣を取り落とした。

「ヒィィアァァァ」

 カッと目を見開き大きく口を開け、絶望に魂を喰われたような悲鳴を上げながら顔面を搔きむしる。

 そのまま棒のように全身を硬直させて馬から落下した。

 しばらくぴくぴくと痙攣していた体もすぐに動かなくなった。

 一体何があったのか?

 背後から感じる邪悪な気配にルーナは思わず振り向きたくなったが、目の前の敵兵から目を離すわけにはいかない。

 ルーナたちの周囲を黒い影が円を描く。

『ギャアァァ』

 影の持ち主が魂を引っ掻くような絶叫を上げた。

 ガラスを引っ掻く音を千倍も強力にしたような不快な音が全身の血流を逆流させる。

「うがっ」

 たちまちルーナは意識が遠のいてクリステルから滑り落ちる。

「ルーナ!きゃっ」

 耳を押さえ苦痛に表情を歪めたニアがルーナの鎧の上に羽織ったローブを引っ張る。

 そのおかげでルーナは柔らかく着地したが、同時にニアも滑り落ちてしまう。


『死の声を聴いてなお動けるか』

「なに?」

 ニアが直接頭の中に響く不快な声に驚いてきょろきょろと周囲を見る。

『なるほど。女神の恩寵を受けておるか。だが死の呪いを遮ることは出来ぬ』

 すぐ近くの立ち枯れた灌木の枝に黒い鳥が止まっていた。

『我を見よ』

 死の鳥が虚ろな眼窩をカッと見開く。

「あっ」

 だがそのとき、汗に滲んだ返り血がニアの目に入った。

 思わず目を閉じてうつむく。

『小癪な』

 ギャアァァ

 死の鳥の心の声にかぶせるように絶叫が響き渡る。

「おぇっ」

 悪寒が全身を襲い、手足が痺れてくる。

『なまじ耐性があるばかりに苦しみが長引くとは、女神も酷なことをするものよな。カッカッカッ』

「たすけ…て……」

 霞んだ目でニアが空に手を伸ばす。

『無駄だ。おまえはここで死ぬ定めなのだ。死の呪いからは何人なんぴとたりとも逃れられぬ』


 ニアの伸ばした指の先に積乱雲があった。

 白く掴めそうなほど濃密な雲がどんどんと膨らみ灰色に染まる。

 日光に照らされて純白に輝く頭頂部が盛り上がっていくにつれて金床かなとこ型に歪んでいく。

 底部は灰色を通り越して薄暗くなっている。

 そこに何本もの雷光が走る。

『ぬ?』

 立て続けに弾ける雷光が激しくうねり、暗雲の底部に形成された渦状の穴を縁取る。

 冷たい風が渦に向かって吸い込まれていく。

 ゴロゴロゴロゴロ

 雷鳴が絶え間なく響き、どんどんと近づいてくる。

 ゴゴッゴゴッゴゴッゴゴッ

 それは雷鳴ではなかった。

 八脚のひづめが空を踏みしめ、蹴上げる音だ。

 灰色の馬体が汗に濡れて鋼のように輝く。

 たてがみと尾毛は炉で溶かされた鉄のように赫赫かくかくと燃えている。

 ひづめは雷雲に包まれ、空を刻むたびに雷光を散らせる。

 その雷光を映したかのごとく金色に輝く双眸が、死の鳥を睨みつける。

 その姿はまさに神話の中から抜け出した神獣の神々しさをたたえていた。

「間に合ったみたいだな」

 神獣の背中から場違いなほど緊張感の欠けた声がした。

「セオ、セオなの?」

 震える指で必死に目をこするニアに神獣から降り立ったセオが話しかける。

「いいからそのまま目をつぶって伏せていてくれ」

「わかったわ、セオ」

 ニアが目をつぶったまま微笑む。

「いい子だ。あとは任せてくれ」

「うん」

 ニアはそう答えると、すぐそばで気を失って倒れているルーナの頭を守るようにいだいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ