死の呪い
「ええい、カーヴィめ。何を敵と和気あいあいとやっておる。くそっ、これではあやつの軍を当てにすることはできぬ」
カーヴィ元将軍を特殊な薬草を使って少しずつ洗脳していたのだが、その効果が薄れてしまっている。イマーン卿のクーデターの際の戦力として用意していたが、いつ正気に戻って敵に回るやもしれぬ軍隊を自陣に引き入れるわけにはいかない。
ここにきて自分の準備した策が次々と破綻してきている。
最初は他愛のない偶然から始まったほころびが、堤防に空いたアリの巣穴から崩れるようにどんどん大きくなっていく。ムタクシは長年をかけて積み上げた謀が無残に崩壊する様を瞼の裏に描いた。
だが、彼は凡庸ではなかった。
たとえ崩壊した謀であっても、未練を残して破滅するのではなく残骸から得られる取り分を確保して次に備える根気強さがあった。
脳裏の計画を修正し、まずは自身の身の安全と、次に残された資産から最大限の回収を計算する。
「まずはあの愚物から貸しを取り立てるとしよう」
その表情には謀の失敗を嘆く後悔の感情も、失敗を招いた要因に対する恨みの感情もなく、ただ次の謀を巡らす思慮深さだけが現れていた。
ムタクシはそのままイマーン卿の部屋に向かい、静かにノックをする。手には先ほど自室の隠し棚から取り出した小箱があった。
「誰だ?」
「ムタクシでございます。イマーン様」
「何の用だ?制服の件が片付くまで顔を出すなと申したはずだ」
「その件で業者から付け届けをいただきました。この度はイマーン様にご迷惑をおかけしたお詫びにと」
「なんだと?ふむ。殊勝な態度ではないか。入れ」
ムタクシはそっと入ると室内を見回し、イマーン卿以外の人影がないことを確認しながら扉を閉める。
「何をよこしたのだ?」
「はっ。大粒の宝石にございます」
「うむうむ。良い心がけだ。わしについて居ればよい目を見られるということを理解しておるようだな。感心感心」
ほくほく顔のイマーン卿の前にきれいな飾り模様の付いた小箱を差し出す。
箱を開けたイマーン卿の顔から笑みが消え、困惑に変わる。
「なんだこれは?豆ではないか。宝石はどこだ?むっ、うぐぐ」
イマーン卿が突然胸を掻きむしり、泡を吹いて倒れる。
ピクピクと痙攣する胸から白い霊気が立ち昇り、小箱からこぼれ落ちた豆のようなものに吸い込まれていく。
ムタクシは黒く変色した豆を満足げに拾い上げると、止まり木で冠毛を逆立てているオウムに近づいた。
「これをやろう。喰え」
オウムは警戒しつつ、ムタクシの手のひらにある艶やかな豆を見つめる。次第に逆立っていた冠毛が元に戻り、止まり木をちょこちょこと飛んでムタクシの手のひらから豆をついばんだ。
同時にムタクシはオウムの足に嵌められた鎖を外す。
「さあ、これでおまえは自由だ」
ムタクシが窓を開ける姿をオウムが不審そうに眼で追う。
『グギャ?ギィィィ』
オウムがどこか苦し気な奇声をあげて羽をばたつかせる。
みるみるうちにオウムの羽から鮮やかな色が抜け、漆黒に塗り替わっていく。
いつの間にか嘴は太く鋭くまっすぐになり、足指も前二本後二本の対趾足から前三本後一本の趾足に変化していた。見開かれた眼窩には目玉がなく、漆黒の闇がわだかまっている。
「ゆけ。そしてあの小娘に死を運ぶのだ」
『ギャアァァ』
聞く者の意識を刈り取るような恐ろしい叫びをあげて死の鳥が飛び立つ。
「ふむ。命を奪うだけなら簡単なことだ。だが死の呪いは異端審問官どもの目を惹きつける。連中は必ず死の呪いの痕跡を見つけ出すだろう。これでアードルナーン子爵家もおしまいだな」
死の呪いは邪術の中でも最も罪が重い。使用した者だけでなく、その一族郎党すべてが死罪か相応の処分を下される。呪いを封じていた小箱はアードルナーン子爵の所有物から拝借したものだ。
異端審問官の方針は疑わしきは罰する、だ。
どこまでアードルナーン子爵の言い分が聞き届けられるかは不明だが、領主の座を失うことは確実だ。そうなればスーヤーン郡は後継者争いの混乱の中で荒廃するだろう。今回はここまでで良しとしよう。
ムタクシはイマーンの死体を残したまま、静かに部屋を去った。
死の鳥は明るい日中の空を不吉な影で切り取るようにして真っ直ぐにモルヴァーン郡へ向かった。
死の鳥は羽ばたきもせず、風にもあおられず、真っ直ぐに進んでいく。
遥か上空にいるにもかかわらず、羽ばたかない黒い姿は進路の地面にくっきりと影を刻んでいく。
運悪くその影に触れたものはたちどころに病に侵された。
その鳴き声を耳にした者は恐怖に魂を縛られるようにして昏倒した。
その眼無き眼窩と目を合わせた者は即座に魂を失うのだった。
死の鳥はほんの数分ののちにモルヴァーン郡の中央に広がるカフサ平原に至った。そのまま進路を変えずにモリノーの澱と呼ばれた地点までくると、上空を旋回しながら高度を下げていく。
「む?なんだ、あの黒い影は」
全周警戒に当たっていた重装騎兵の一人が鳥の形をした黒い影に気づく。
影は旋回半径を狭めながらすぐに近くまでやってきた。
「怪しい影だが……うぐ、げぇっ」
不気味さを感じながらも手を伸ばして影を確認しようとした重装騎兵が突然嘔吐して騎馬から転げ落ちる。
「どうした?なにが……むう」
別の重装騎兵が異変に気付いて動こうとした矢先に死の鳥の翼の先端の影が騎兵に触れる。たちまち騎兵は痙攣して馬の背中に突っ伏してしまう。
「何だ?襲撃?」
異変に気付いたセオが疑念の声を上げる。
(呪いだな。なかなかに強力な呪いだが、吾には効かぬ)
「呪いってどういう……」
(だが、直接目を合わせぬことだ。か弱きものなら即座に命を落とす)
「みんな、目を閉じろ!黒い鳥は邪術の使い魔だ。目を合わせたら死ぬ!」
即座に状況を理解したセオが周囲に警戒を発する。
「この男に従え。目を閉じよ」
カーヴィ元将軍が即座にセオの号令を追認したおかげてその場で死者が出る事態がは防がれた。
「どういうことか説明を頼む。一体何が……」
『ギャアァァ』
だがカーヴィ元将軍の言葉は死の鳥の絶叫に掻き消される。
その場にいた人間は即座に苦悶の表情を浮かべ、硬直して気絶した。
運がいい者はそのまま馬上で。
運が悪い者はガシャリと大きな音を立てて落馬した。
「うううぅ」
セオはひとり、耳をふさいでも聞こえる不気味な絶叫に胃袋を引っ搔き回されながらも意識を保っていた。
(吾の所有物に攻撃を加えるとは、呪物の分際でおこがましいことだ)
「一体何なんだ、これって」
(何者かが死の呪いを放ったのだ。即死しなかったところを見ると目的は汝らではないらしい)
「じゃあ、一体誰が狙われて……」
『ヒィィ、喰ワナイデクレ』
『公女の居場所はどこだ?』
『教エルカラ、喰ワナイデェェェ。ヒギャァァ……』
思わず目を開けたセオが見た光景は鴉に似た何かが地面に残された澱の主の残滓をついばんでいる姿だった。
『見えたぞ。公女』
最後にもう一声絶叫を上げて、死の鳥が飛び立った。
「うううぅ、まずい、標的はニアだ。場所は分かるか?」
(あれの足は速い。間に合わぬであろう)
「なんだって?おまえ、さっきはあれほど偉そうに呪物の分際でおこがましいとか言っておきながら、その程度のヤツに叶わないっていうのか?」
(安い挑発だが、そうだな。汝にもあ奴にも吾が力を見せつけておく必要があるか。よかろう。案内してやろう)
「頼むぜ。グラニ、行くぞ。ニアが危ない。おまえの力が必要だ!」
グラニの耳がピンと立つ。
ブフフン、と息を吐くとカッと瞳に本気の気合が宿る。
パリパリとグラニの足下から静電気が走る。
ゴロゴロと雷鳴が響く。
先ほどまで晴れていた空に灰色の雷雲が湧きたち、どんどん高度を下げてくる。やがて雷雲は渦を巻き始め、周囲の空気を吸い込んで冷たい風が吹き始めた。
「行ってくれ、グラニ。おまえの本気を見せてやれっ」
グラニは大きくいななくと、空中に跳び上がる。
次の瞬間、何もない空間とグラニの蹄の間に火花が飛び散り、カツッと力強い音が響く。
一歩、二歩、大きく駆け上がるグラニの蹄は確実に空気を踏みしめてセオを上空へと運んでいく。
やがてその姿は、雷光が取り囲む灰色の渦の中に消えていった。




