澱の主
少し高い丘にカーヴィ元将軍と馬を並べて平原を見下ろす。将軍の背後には重装騎兵隊が従っていた。
「動く死体どもは単純な前進しかしないようだ。これ以上住人の居るエリアに近づけないためにも、簡易的な防御壁を作る」
「なるほど」
どうやるつもりなのかは想像もつかないけど、適当に相槌を打っておく。
「盾兵、前へ」
指揮官の号令で盾を前方に構えて壁を作った兵が前進する。
「止まれ、固定しろ」
盾兵は構えていた盾を地面に突き刺し、裏側に杭を刺して壁状に盾を並べた。一列目の盾兵が後ろに下がると二列目の盾兵がもう一段盾の壁を追加して杭で固定する。
開けた平原をすべてふさぐことはできないが、動く死体軍団の前面をふさぐことは出来た。このまま連中が直進するだけで壁を迂回しようとしなければそれなりの時間稼ぎにはなりそうだ。
「弓兵、前へ。放て!」
ゆっくりと進んでくる動く死体の群れに向かって無数の矢が襲いかかる。逃げもせず、避けようともしない動く死体は格好の的だ。
「連中は矢では止まらないが動きは鈍くなる。ハリネズミにしてやればそうそう進めまい」
「なるほど……」
今度は本当に感心して相槌を打つ。
「第二射、放て!」
矢を撃ち尽くす勢いで惜しみなく射かけていく。
動く死体の動きがますます遅くなった。その中でも一部のものが盾の壁にたどり着く。
「槍兵、突け!」
待ち構えていた槍兵が組み立てた盾の壁の隙間から槍の穂先を突き出し、動く死体を串刺しにしていく。刺した槍は抜かずにそのまま柄を地面に埋めて盾の壁と一体化させる世に固定していく。
器用さや工夫する脳みそを持ち合わせていない動く死体どもは突き刺さった槍を抜くことが出来ずにその場でもがくだけだ。あとから来た動く死体も串刺しになった仲間の体が邪魔で前に進めない。全員が団子状態になって盾の壁の前でただただ立ち往生していた。
「よし、うまくいったようだ。私たちもモリノーの澱を目指すぞ」
動く死体の足止めがうまく機能することを確認してカーヴィ元将軍が重装騎兵に出発を促す。
「やーっ」
一斉に手綱を鳴らして騎馬が坂道を駆けおりる。
ドドドッ
重い蹄の音を轟かせ、精鋭部隊が黒い靄の渦巻くモリノーの澱を目指して駆け出した。
「なんだ、これは……」
駈足で進む先に異様な光景が広がっていた。
空を覆う真っ黒な霧の中にときおり雷光がひらめく。そのたびにさらに濃い黒の巨大な渦が浮かび上がる。
大地はどす黒く変色し腐った臭いとじくじくと染み出した汚水に覆われていた。
「渦の中に何か居るぞ」
目のいい重装騎兵の一人が指摘する。その声に反応したかのように黒い霧から突風が吹きつける。
「くっ」
思わず目を伏せた重装騎兵隊の前に、巨大な質量が降り立った。
ズシンと大地を揺らして降り立つ巨体は黒い鱗に覆われている。コウモリの飛膜に似た、だがそれよりもずっと強靭な翼を広げている。太い脚に鋭い鉤爪。剝き出しにした牙の列。ときおり瞬膜に隠れる縦長の瞳孔。そして頭頂部に突き出た二本の角。
「カース・ドラゴン……」
竜の中でも最も強力で邪悪といわれる黒龍に似た姿がそこにはあった。
「いや、違う。そいつは出来損ないだ」
セオの指摘にカーヴィ元将軍が目を細める。
「なるほど、翼は破れて鱗もところどころ剥がれ落ちている。血糊が青緑なのは元の血の色か?それとも腐っているのかな」
『忌々シイ、忌々シイゾ。キサマニ負ワサレタ傷ノセイデ、肉体ガ保テヌ……』
よく見ると破れた翼やひび割れた皮膚からは腐った肉塊が絶えずこぼれ落ちては新たに盛り上がり傷をふさぐ動きを繰り返している。
『足リヌ。ちからノ結晶ヲ取リ込ンデモマダ足リヌ。ヤハリカノ娘ノ運命ヲ喰ラワネバ……。ダガソノマエニ、キサマニ代償ヲ払ワセテヤロウゾ!』
睨みつける眼窩から目玉が腐ってこぼれ落ち、地面でビチャリと潰れると同時に新たな眼球が盛り上がる。
「おまえ、取り込んだ力に体がついてこれなくて余計酷いことになってるんじゃないのか?欲張って身の丈に合わないものに手を出すからそうなるんだよ」
『ウルサイ、カノ娘ノ未来ヲ喰ラエバワレハ完全体トナレル。喰ラワネバ。喰ラワネバ』
「させるかよ。おまえはここで朽ち果てろ」
『シャアァァァッ』
ドラゴンゾンビが上体を引いたあと頭を下げて大口を開ける。
「ブレスが来るぞ!まともに喰らうな。射線から外れるんだ!」
大きく開かれた顎から毒霧が吹き出す。
わずかに残っていた草木がたちまち萎れてぐずぐずに腐りくずれていく。
顎から滴る青黒い体液が地面に当たって臭気を放ち、ぶくぶくと泡立つ。その泡の中から昆虫とも爬虫類ともつかない異形の魔物が次々と湧き出してくる。
「気をつけろ。数が多い。毒を持っている可能性が高いぞ」
カサカサと這い回るように動いて騎馬の足下に迫る。騎兵たちは見かけによらない俊敏な動きで長柄の武器を振るい小型の魔物を潰していく。だがそちらにばかり気を取られるわけにはいかない。ドラゴンゾンビはその巨体には似つかわしくない動きで走り回り、牙で、翼で、太い尻尾で襲いかかる。
「ぐっ」
「くそっ」
ドラゴンゾンビの攻撃が何名かの重装騎兵をかすめるが、さすがに精鋭部隊だ。剣や盾でいなして直撃は避けていく。
『グオォォ』
当てが外れたドラゴンゾンビが苛立ちを隠さず吠える。同時にこぼれた唾液からさらに小型の魔物が湧き出してくる。
「ちっ、キリがない。ぐわぁっ」
ドラゴンゾンビが後方に跳び上がり、わずかな高さから滑空して突進する。足元に気を取られていた重装騎兵の一人がドラゴンゾンビの体当たりを避けきれずに弾き飛ばされる。
「止まるな!足元の魔物は踏み潰せばいい。足を止めずに側面から攻撃せよ」
目が再生と腐敗を繰り返しているせいか、ドラゴンゾンビは真正面の敵にしか攻撃を仕掛けてこない。背後は太い尻尾があるから危険だが、側面はがら空きだった。
「ふん、トカゲ野郎がいっちょ前にドラゴンを語るか。分不相応なんだよ!」
『ガアッ』
セオがドラゴンゾンビを挑発して噛みつき攻撃を一手に引き受ける。グラニが敵の攻撃を余裕のステップで躱していく。
俺はどうせ攻撃を当てられない。なら、囮に徹して将軍たちが敵の機動力を奪うのをサポートするのみだ。
そう覚悟を決めてドラゴンゾンビの鼻先をひらりひらりと飛び回る。
狙い通り、他の重装騎士たちがわき腹や脚に次々と切りつけては身を引くヒットアンドアウェイで確実にダメージを蓄積していく。本物のドラゴンであれば鱗に弾かれる攻撃も、このドラゴンゾンビには思いのほか効果があった。偽物のドラゴンの鱗の強度が低いのかも知れない。腐って鱗が剥がれ落ちた場所が絶えずどこかしらに露出していたせいかも知れない。騎兵達が突撃をするたびにドラゴンゾンビが苦鳴を上げる。
だが攻撃が単調になると隙が生まれる。
ドラゴンゾンビが急にその場で回転し、強力な尻尾を振り回した。狙っても捕まらないセオをあきらめて、小賢しく攻撃を加えてくる重装騎兵に標的を変えたのだ。
「うぐっ」
「ぐわっ」
数名が直撃を喰らって弾き飛ばされる。
落馬した重装騎士に小型の魔物がカサカサと走り寄っていく。
「ちぃっ。させぬ」
仲間が駆け寄って防壁を作る。その隙に騎乗に戻った騎士が礼をいう。
「すまん、助かった」
「油断するな。また来るぞ!」
数名が集まった位置を目掛けてドラゴンゾンビがダイブの予備動作に入ったのが見えた。
後方に跳びあがろうとした瞬間、腐って落ちかけている右目側の死角から駆け込んだグラニがドラゴンゾンビの顔面を強烈に蹴り飛ばす。
『グギャッ』
ドラゴンゾンビが横倒しに倒れた。
「今だ、ぬおおおおっ!」
雄叫びを上げたカーヴィ元将軍が鐙に仁王立ちになり両手持ちしたハルバートを振り下ろす。
『ギィヤァァァッ』
今までにない悲鳴を上げてドラゴンゾンビが転がり逃げる。
周囲の敵から距離を取ったドラゴンゾンビの太い尻尾は根元が大きく切り裂かれ、白い骨の断面がのぞいていた。
「後ろの攻撃はなくなった。回り込んで波状攻撃をかける」
「了解!」
『グアアアッ、ヨクモ、ヨクモォ』
グラニが蹴り飛ばした右顔面のは大きく陥没し、眼球の再生もおぼつかないようだ。そのせいで右側は完全な死角となっている。重装騎兵達は二重の円を描いて左右に回転し、ドラゴンゾンビの死角に入った者が一撃を加えて離脱する戦術で敵を翻弄する。左後ろ脚を切られ、右前脚を砕かれ、右後ろ脚を切断されたドラゴンゾンビが全身から青緑の体液をこぼしながらぜえぜえと喘ぎ、動きを止めた。
「たとえおまえが悪神の眷属であっても、いたぶるのは良くないよな。いま引導を渡してやる」
セオがゆっくりと魔剣ヘシェムを抜いて進み出る。
『オノレ、オノレェ。ちからノ器サエ手ニ入レレバ、キサマナドニ遅レヲ取ラヌモノヲ。喰ラワネバ。カノ娘ヲ喰ラワネバァァ』
「ちょっとかわいそうかなって思ったけど、やっぱり駄目だわ、おまえ。人の未来を喰って力を得るなんて最低だ。人間はみんな自分で努力して未来を手に入れるんだよ。その努力を横取りするおまえはクズだ。別の神様になって出直せ」
魔剣をドラゴンゾンビの首に振り下ろす。
硬いはずの鱗をまるで気にすることなくすっと振り抜かれた剣が太い首を両断する。
ゴロリと落ちた首はすぐに肉が泡立ち溶けくずれて頭蓋骨を露わにする。やがてそれもくしゅくしゅと中身が蒸発するように縮んで脆くなり形を失って消えていった。
胴体も同様に最初は骨を残して肉が溶け去り、やがて骨もボロボロになって崩れていく。
籠状に残った肋骨の中に巨大な青い結晶が残った。
将軍にこれの存在を詮索される前に消し去ることにする。
巨大な青い結晶に魔剣を差し込むと、今度も抵抗なく切っ先が通る。と、結晶は小さくパキッを音を立てて粉々に砕け、黒い霧となって剣に吸い込まれた。
「大きいな。これまでで一番の大物じゃないか?」
(かもしれんが、足りぬな)
「よせよ、こいつと同じ台詞だなんて」
(失礼な奴だ。吾をモンメアごとき小物といっしょにするな。こやつはしょせん、人の意識を喰わねば存在できぬ魑魅魍魎の類よ)
「同列がいやなら同じ台詞を口にするなよ」
(吾は言葉を発しているわけではない。汝が同じ言葉と認識したとしたら、それは汝が吾のイメージにそれを語らせたのだ)
「んー、ややこしいな」
(ミミズのごとき存在に思考の概念を教えるのは無理があったか)
「すまぬが、こちらに来てくれ」
そうして俺なりの使命をコソコソと果たしていると、カーヴィ元将軍が俺を呼びつけた。
「何かありましたか?」
「うむ。これなのだが、何やら邪悪な気配を感じる。刺してみたが抵抗がなく、どうやら生き物でもないらしい」
将軍が指し示す先に、漆黒の不定形な何かがわだかまっているのが見えた。




