突破
(見られているな)
「だな。いよいよ敵の本隊がお出ましってか。勘弁してほしいよ」
崖が左右から迫る要衝にもかかわらず待ち伏せの兵が配置されていなかった狭まった道を馬車で走り抜ける。
視界が一気に開けて平原の中央部に出た。
一見何もない平原を土煙を上げて馬車を走らせる。この期に及んで目立たないように動いても意味がないと判断したからだ。
連日の強行軍にも疲れを見せないグラニに任せてしばらく駈足で馬車を直進させた。
やがて荒れた草原が広がる地平線に、蜃気楼のように光を反射させる影の揺らめきが見えてきた。
(ほほう、これはこれは。汝の評価は思いのほか高いと見える)
光の揺らめきは兵士の持つ盾の列だった。
平原にずらりと並んだ兵士の列が地平線を埋めるように横に広がっている。千人、いや何重にも並んでいるからその数倍はいるだろう。
「俺一人にこの人数は過剰戦力だっての!」
(来るぞ)
ぎりぎり形が目視できる距離で、盾の後ろに人の列が立ち上がる。全員が朱色の弓を構えて引き絞り、軍隊の後方から響く合図に合わせて矢を放つ。
「土の精霊よ、風の加護を!」
随分と省略した誓句だがこの際精霊には我慢してもらおう。
速度を上げた馬車は矢の着弾地点よりわずかに先んじて、被害は幌にいくつもの穴をあけただけにとどまった。
左手から騎馬の群れが包囲を閉じるように駆け出してくる。
「アレに追いつかれる前に右翼との境目を突破するぞ!」
グラニが進路を僅かに右に採り、緩い弧を描く。
矢の第二射は向かってくる標的が斜めに進路を取ったので的を外した。
そのまま左翼の騎馬から逃げるように進む。
顔が見えるくらいの距離まで近づいたところで弓兵が後ろに下がり、盾兵が並べた盾の間から槍を斜めに突き出して突進に備える。
いつの間にかグラニの背中に移動したセオが左手で手綱を押さえつつ、右手のナイフを荷馬車をつなぐハーネスに当てた。
「いけ!」
セオが合図とともにハーネスの革紐を切断し、荷馬車の腕木を蹴り飛ばす。グラニが速度を落とさず右にカーブを切る。わずかに残った革紐に引っ張られて勢いの付いた荷馬車が大きく傾きながら兵士の列に迫った。
「火の精霊!」
もう誓句といえないほど短い呪文に反応して荷馬車に残した油が発火する。壺の油に浸した布を伝って火が走り、荷馬車の内部はたちまち炎の坩堝と化した。
最後の革紐が千切れて炎をまとった荷馬車が横転する。そのまま盾兵の列に突っ込んでいった。
「わあああ」
いきなり目の前に出現した猛火に驚いて兵士の隊列が乱れる。
グラニは機敏に向きを変えぐるりと回り込んで、横転し炎を上げる荷馬車に突進する。
「ひぃぃ」
目の前の猛火の幕を蹴破って飛び込んできた灰色の馬に兵士たちはなすすべもなく、尻餅をついたまま見送った。
◇◆◇
「将軍、前線が突破されました。弓矢も効かず、火の魔術を使った模様です。その際、馬車を放棄。馬上に確認できたのは一名のみです」
「やはり公女は別行動にして逃がしたか。構わん。邪術使いを仕留める。本隊で迎え撃つぞ。北面の部隊はまだ来ないのか?」
「はっ、それが伝令も含めて返答がありません。こちらには向かっている模様ですが」
「何かあったか。まあ良い。到着次第、本隊の後ろを守らせろ」
「はっ」
◇◆◇
「なんだと、公女がいない?逃げられたのか?まんまと相手の策にはまりおって。このような雑魚の相手などしておる場合か。すぐに追跡部隊を送らぬか!くっ、邪術使いにこだわりおって」
目のない鴉のような使い魔の鳥を通じて戦況を観測していたムタクシが歯噛みする。
「馬鹿者どもめ。どいつも私の足を引っ張りおる。このまま公女を逃してはすべてが水泡に帰してしまうではないか」
観測の魔法を一時的に解いて部屋の中を歩き回るムタクシにナイリュクが歩み寄る。
「ムタクシさま。かくなる上は『死の呪い』をお使いになっては?公女さえ亡き者にすれば挽回の余地もありましょう」
「む、狙った者に確実に死を届けるという秘術か。だがあれには代償が必要であろう。貴族を呪うには貴族の魂を捧げる必要があるはず」
「愚物の魂でも代償くらいにはなりましょう」
「……なるほど。『死の呪い』は邪法中の邪法。使用した本人のみならず一族郎党が処罰の対象となる。子爵家は取り潰しとなり、子飼いの宰相どもも同罪として排除できる、か」
「御意」
「よし、準備を」
ムタクシの言葉にナイリュクが首を垂れて影に姿を消した。
◇◆◇




