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モリノーの澱

「こっちもダメか」

 朝一番で村を出発して南、つまりモルヴァーン郡の中央部へと向かう道をたどる。

 一つには西に向かったであろうニアたちの足取りを捕らえさせないための陽動が目的だった。もう一つは単純に包囲網がこちらのほうだけ手薄になっているからである。

 ただし、同じ方向にばかり進むのも考えものだから良さそうな脇道が見つかるたびにそちらに少し入り込んで様子をうかがったのだが、どこもあからさまに伏兵や検問の気配があって引き返すことになった。

「これはアレだな、思う壺ってやつだな」

 明らかにどこかに誘導されているが、ニアたちが距離を稼ぐまでは無駄に敵対勢力と接触したくない。陽動とはいえ俺が捕まってしまうと少なくとも半径半日以内の場所にニアたちがいると悟られてしまう。それは避けたかった。結果、もともと手薄になっている方角へと誘導されることになった。分かってはいるが、俺としては自分の身一つなら何とかなるだろうと踏んでいる。

 危機感が足りないように見えるかもしれないが、もともとこの郡の当局ともめたわけではないし、そもそも顔を合わせたこともない。人数比なら野盗だろうと軍隊だろうと負け確定なのは同じだ。理屈が通る分、軍隊相手のほうが安全かもしれない。

 守らなければならない存在がいない現状は、ようするにいつもの行商の旅と危険度はほとんど変わらないんじゃないかな、と思っている。


 正午を過ぎて少し経った頃に大きな川を渡った。しっかりとした橋が架かっており、橋のたもとにのぼりを立てた屋台が出ていた。旅人に軽食を出す茶屋のような店である。

 甘辛く煮込んだ野菜とくず肉を小麦粉の生地で包んで蒸し焼きにしたような軽食を食べながらこのあたりの様子を探る。

「あんた、行商人かえ」

「そうだよ」

「それにしちゃあ、荷馬車が空っぽだね」

「一週間ほど前に野盗に追いかけられてね。なんとか命は助かったが、そのときに商品はほとんど投げ捨てちまったんだ。いつまでも空荷ってわけにはいかないし、どこかで商品を仕入れなきゃならないんだが、このあたりでいい伝手を知らないかい?」

「知らないねぇ。ここ数年不作が続いているからねぇ。このあたりの村じゃよそに売るような余裕はないだろうよ。それにあったとしても軍が買い上げてくれるからね。よそ者にまでは回ってこないさね」

「軍隊がいるのかい?」

「軍隊っていっても心配は要らないよ。なんてったってカーヴィ将軍の軍だからね。略奪しないどころか、結構な値段で買い上げてくださるから助かるよ。ああ、誰かを探しているみたいだね。女子供連れの行商人だとか……。そういや、あんたの年恰好は聞いた感じに似ているねぇ」

 店番の婆さんの目が鋭くなる。

「ははは。女子供か。家族で行商が出来れば楽しいだろうなぁ。もっとも、稼ぎも多くいりそうだが」

「確かに、あんたじゃそこまでの甲斐性は期待できそうにないね」

 情けなさそうに笑う俺を見て婆さんの目つきが緩む。

「ま、善人ならば案ずることはないよ。カーヴィ将軍は公正なお方さ。わしら庶民の味方だからね」

「へぇ。将軍ってことはお貴族様なんだろう?そこまで信頼されるとは珍しいね」

「あの方はもともと平民出の方だからね。それにあたしら農家を守ろうと魔物狩りまでしてくださるお方だ。今回の軍の配備だって、『モリノーの澱』を何とかしようとしての遠征じゃないかと思うよ」

「モリノーの澱?」

「ああ。この先の平原の奥に瘴気溜まりがあってねぇ。ずいぶんと古くからあるんだが、魔物が湧き出す邪気が淀んだ土地なのさ」

「邪気が淀んだ土地、ですか」

「五年間から急に魔物が増えてねぇ。近くの村は住む人も居なくなったというよ」

「ありがとう、おかみさん。食事、うまかったよ」

「はい、お粗末さま。行商人さんも、運が向くといいねぇ」

「ははは」

 俺は愛想笑いを残して店を出た。


「『モリノーの澱』か。瘴気溜まり自体は珍しくはないが、活性化したのが五年前となると話が変わってくるな」

(わざわざ案内してくれるとは殊勝な連中よ。吾は運が良い)

「運がいい、か。まったく、一度は言ってみたいぜ」


 ◇◆◇


 カーヴィ将軍の天幕に伝令が駆けこむ。

「例の荷馬車が橋を渡りました」

「よし、東側の包囲は閉じて兵を集めよ。南側を厚くして川下に逃さぬよう封鎖する」

「了解」

「西側の部隊は川上に追い込みつつ迎撃ポイントを通過次第、攻撃を開始せよ」

「了解しました」

「攻撃の開始と同時に廃村に配置した部隊を展開して挟み撃ちにする。相手は邪術ヤートクを使う。廃村に逃げ込まれると厄介だからな。その手前の平原で決着をつけぞ。我々も出る」

「はっ」


 慌ただしく動き出した本陣のようすを枯れた大木の頂きからじっと観察していた黒い影が翼を広げる。鴉に似たその鳥は不吉な予兆のように本陣の上をぐるりと一周すると、東へと飛び去って行った。


 ◇◆◇


「ええい、まだ吉報は届かぬかっ。小娘ひとりの始末に何を手間取っておる!」

「声を落としてください、イマーン様。どこで誰に聞かれているやも知れませぬ」

「二重三重の手が聞いてあきれるわ。ことごとく失敗しておるではないか。このままでは兄上に罪を擦り付ける策が空振りになってしまう。いままでわしがどれだけの労力を費やしてきたと思っておる!」

『オモッテオル、オモッテオルッ』

「今しばらくお待ちを。必ずや公女を亡き者にいたします」

「ふん、役立たずが。おまえの間抜け面は見飽きたわ。出て行け。成功するまで顔を出すな!」

『マヌケヅラ、マヌケヅラ、ギャハハハ』

「……御意に。失礼いたします」

 後退りしながら退出したムタクシが廊下に出て扉を閉めるなり毒づく。

「操り人形の木偶の坊が……。ナイリュク、状況はどうなっている」

 日中でも薄暗い屋敷の廊下の影からナイリュクが姿を現す。

「先ほど本陣に動きがございました」

「ようやくか。確実に仕留めるためとはいえ、あの男は慎重すぎる。異端審問官が州都まで来ているという情報もある。急がねばタイミングを逃しかねないというのに……」

 長い廊下をイライラと足早に進むムタクシのあとをナイリュクが無表情に追う。

 自室の扉に手をかけたところでムタクシが低くを声を発する。

「監視を続けろ。進展があり次第報告するのだ。良いか、最優先だぞ」

「承知しました」

 ムタクシが扉を開けるころにはナイリュクの姿は消えていた。

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