身軽さだけが身上です
今日はもう市の店はたたんで出立の準備を進めている。
もともとこの街に立ち寄ったのは農村で売るための古着の仕入れが目的だった。久しぶりの大きな街だったから二三日のんびりして旨い酒でも飲もうと楽しみにしていたが、どうやら厄介事が持ち上がっている気配がする。このあたりを治める領主の居城があるスーヤーン郡の郡都とはいえ、ドロドロの貴族政治とは無縁の地方都市に過ぎないと思っていたが、どうやら違ったらしい。さっきも自分用の新鮮な食料を少々と保存食を補充しようと朝の市を回ったところ、巡察隊の制服を多く見かけた。
なので早々に撤収することにする。
吹けば飛ぶような木っ端商人だが、男一人がやっていくには十分な稼ぎはあるし、商業的な野心があるわけでもない。風向き次第でどこにでも行ける身軽さだけが俺の身上だ。
「これでよし、と」
街で買い込んだ荷物を荷馬車に運び込む。幌付きの荷馬車と相棒の騙馬が一頭。これが俺の全財産だ。
「あとは水瓶を満杯にして出発だな」
「ブフゥッ」
「そう嫌がるなって、相棒。水がなけりゃおまえも困るだろう?」
荷馬車につながれた騙馬の耳が神経質にピクピクと動いている。なだめるように耳裏を掻いてやる。
カッカッ
頭を下げて前脚で地面を掻く。
どうやら荷馬車に近づいてくる二人組の巡察隊員を警戒しているようだ。
「こりゃどうも、お勤めご苦労様です」
「うむ。もう発つのか?大市はまだ三日続くが」
「ええ。どうやら今回は運が向かないようで。俺の用意した商品じゃあ、都会のお客様には引き合いがなさそうなんで、代わりに近くの村を回ろうかと。いまなら同業者もこちらに集まっていて郊外の商売は手薄になっているんじゃあないかと思いましてね」
班長とおぼしき隊員と話している間に、若いほうの隊員が荷台に首を突っ込んで中を検める。不審物は見当たらなかったようだ。若いほうの隊員の目配せにうなずいて、班長が行ってよしと許可を出す。
「お世話様です」
愛想よく返事をしてすぐに御者台に乗り込む。定常的な見回りと言えなくもないが、若手の巡察隊員に妙に緊張感があったのが気になって、早々に出立することにした。水汲みは近くの村でしよう。
馬車通りを抜けて大門を通過する。ここでは特に検問なども敷かれておらず、出ていく流れにはさほど注意を払っていない様子だ。
郡都を出て百メートルほど進んだ頃に、背後から慌ただしい気配が漂う。御者台から振り向くと、派手な制服を着た近衛隊が何やら指示を出しており、門を守る衛兵が忙しく立ち回る姿が見えた。
「間一髪だったな。下手すりゃ厄介事が解決するまで郡都に閉じ込められて身動きできなくなるところだった」
運が悪いって言っても、ちゃんと目を開けて物事を見ていれば危険は回避できるものだ。
俺は鼻歌混じりに手綱を握り、空の下の生活に戻った。
郡都を出て街道を西へ小一時間進む。
整備された道は距離を稼ぎやすいが、俺の顧客になるような農村は街道沿いには少ない。最初の宿場町は通過して、農地が広がるあたりで小川沿いに往く道を選び街道から離れることにした。
スーヤーン郡はなだらかな地形と水源に恵まれた農業地帯だ。今朝がたあとにした郡都こそ都会だが、少し街道を外れればのどかな田園風景が広がっている。
ようやく春の気配が抜けて田畑も森も新緑に輝き、生長の喜びに満ちている。
伸び始めた若麦の葉がそよいで爽やかな風を運んでくる。
「都会もいいけど、やっぱり俺にはしがらみのない旅の空が性に合うなあ」
心地よい初夏の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
やがて小さな日干しレンガ造りの小屋が見えてきた。すぐ脇に濃い緑をした厚ぼったい葉をたっぷりと蓄えた広葉樹が植わっている。
木陰もあってちょうどいい休憩場所だ。先延ばしにしていた水汲みを済ませておこう。
小屋の前の広場に荷馬車を止め、馬を外す。
粉ひき小屋を兼ねた物置のようだ。裏手に小川が流れていて、よく手入れされた水車がゆっくりと回っている。
「グラニ、こっちだ。ようし、どうどう」
馬を引いて裏手の小川に連れて行き、手綱を柿の若木につなぎ止めて水を飲ませる。
「よし、水汲みをするか……。ん?」
荷馬車の幌に見慣れないバッヂが付いている。エナメルの色彩も鮮やかな手のひら大の金属製のバッヂで、かなりの値打ちものに見える。
「なんだこれ?」
今朝荷造りをしているときにはなかったはず。巡察隊と話しているときには開いた垂れ幕の襞に隠れていたようだ。ゆっくりと垂れ幕を開いて覗き込むが異常はない。
「気のせいかな……」
垂れ幕を幌の支柱にくくり付け、留め金を外してテイルゲートを開く。
「よっこいしょ、と」
大きめの掛け声をあげて荷台に上がる。荷台に上がった振動が伝わったのか、水瓶のほうから息を飲む気配がした。
はあ、とため息をつく。
商品を避けながらゆっくり荷台を歩き、水瓶を覗き込む。
「こ、こんにちは」
「……お嬢さん、そんなところで何をしているのかな?」
「えーっと、休憩?」
「とりあえず出てきてもらえるかい」
俺はそういいながら水瓶の中身に手を差し伸ばす。
「ありがとう、ございます」
「ひとまず俺は仕事を済ませなきゃならん。そこの木陰に座って待っていてもらえるかな?」
貴族の少女を丸太に腰掛けさせておき、俺は水瓶に巻かれた背負い紐に腕を通して小川へと向かった。たっぷりと水瓶を満たして持ち帰る。
「嬢ちゃん、瓶の中に石ころみたいなものが入っていなかったかい?」
「これ?」
「ああ、それそれ。大事なものだから返してくれないか」
「まあ、盗ったりしないわ、失礼ね。壺に入ったときにお尻に当たって痛かったからポシェットにしまっていただけよ」
ぷんぷんと頬をふくらませて抗議する姿はまだ子供だ。
「なあに?その石」
「浄化の魔石さ。水瓶の中に入れておけば生水をきれいにしてくれるし、何日も日持ちするようになるんだ。行商人には必須のアイテムだよ」
「へぇ、面白いのね」
携帯用のコンロを取り出してお湯を沸かす。こっちは大市の屋台で使われていたような魔導コンロではなく、通常の油を燃やすタイプだ。
「はいよ。お茶だ。嬢ちゃんの口に合うかわからないが、水分補給と思って飲んでおきな」
基本、馬車旅の最中は昼食は省略だ。もちろんお茶請けのおやつなんて贅沢なものもない。
「ありがとう」
マグカップを両手で包み込むようにして口元に運ぶ。
「変わった味だけど、悪くないわ」
庶民向けの安物の紅茶ですまんね。




