シルヴァルフの癒し
「……」
ルーナの問いに俺は答えられなかった。
「答えてはいただけないのですね」
「すまない、ルーナ。君たちが俺を心底から信用できないように、俺も君たちを信用しきることはできない。君たちが裏切るとかそういう意味じゃないんだ。君たちの属する社会が俺を許容できないと判断したとき、君たちは俺の敵にならざるを得なくなる。だから今はその目で見たものだけで判断を下してくれ」
「……わかりました。不調法な質問をお許しください」
「こちらこそ誠意を示せずすまない……」
気まずい沈黙が流れる。
「とりあえず、害意を持つ敵は排除できました。姫様のところに戻ります」
「ああ、そうしてくれ」
せっかくの勝ち鬨が腰砕けになった感じだ。仕方なく周囲の状況を確認する。
毒に含まれる呪いは力の源であった結晶が消滅したことで解呪されていた。ただし、ローパーが物理的に垂れ流してきた毒はそのまま残っている。一年もすれば元の豊かな水源に戻ると思われるが、アズヒト村の田畑はそんなに長くはもたないだろう。シーマの命は救えたけど、彼女を本当に助けたことにはならない。
足元の毒に濁った水から目を上げると、小島に横たわるシルヴァルフをリーフウルフたちが囲んで介抱していた。よく見ると、シルヴァルフの毛皮は傷だらけでずたずたに引き裂かれている。
そのような状態にもかかわらずシルヴァルフは重い首をもたげて、俺に、いや俺の魔剣に目を向けた。黄金の瞳の奥に人知を超えた思慮深さが宿っている。
『御方のような存在がなにゆえに我を助けようと動かれたのか理解が及びませぬが、受けた恩義には礼を述べさせていただく』
(ふむ。しかと受け取ったぞ)
「何だよ。シルヴァルフは俺に礼を言ったんだぞ。勝手に答えるな」
(ふん、身の程を知らぬ痴れ者め)
「一人じゃ動くこともできない大言壮語吐きのくせに」
(それはおまえ自身も同じではないか)
「くっ、魔剣に言い負かされた……」
『我には御方ひとりに見えたが、どうやらお二方のようだな。さて何が望みであるか。疲弊し弱体化した我の差し出せるものなどわずかなものにすぎぬが、願わくば御方の御心に叶い、わずかなりともこの地に再生の種を残す幸運に恵まれんことを』
「あー、確かに魔剣の欲は底なしだけどね。いまは俺が主導権を握っているから気にすんな。いまの魔剣の望みはさっきのローパーが飲んでいた力の結晶の回収だけだ。どこかに心当たりがあったら教えてくれ」
『異質な力が渦巻いている場所であれば、この国の中央に位置する平原の中に存在する。数年前から周囲に悪意をあふれさせるようになり、人間どもが近寄れないほどに汚染されていると聞く』
「うぇー、なんかヤバそうな厄ネタだなあ」
(案内せよ)
「はぁ、やっぱりそうなるよな」
『我が子らを御方の従者に遣わそう』
「近寄りたくないなぁ」
だが、本来の俺たちの目的のひとつでもある。避けて通るわけにもいかない。ニアたちを巻き込むわけにはいかないが、来るなといって聞き分けるような性分じゃないよなあ。
「セオ、無事?」
噂をすれば、というやつだ。ニアがバシャバシャと水しぶきを上げて駆け寄ってくる。
「姫様、危険です。敵意がないとはいえ手負いの獣に不用意に近づいてはいけません!」
ルーナも苦労するよな。
シーマは意識が戻ったようでダエナに支えられるようにして二人のあとをついてくる。
「大丈夫よ、ルーナ。この子は綺麗な目をしているもの」
シルヴァルフが金色の瞳でじっとニアを見つめている。
腹ばいに地に伏せた状態でも頭の位置はニアの身長よりも上にある。
「こんにちは。はじめまして、私はニアよ」
ニアをひと飲みにできそうな大きな貌に向けて両手を広げる。
シルヴァルフの耳がぴくりと動き、後からくるダエナに視線を移す。一瞬驚いたような、何かを理解したような表情がシルヴァルフの貌をよぎり、揃えた前脚の上に顎を乗せニアに向けて頭を下げた。
口の周りはローパーの触手が巻き付いた部分に焼け爛れた傷痕が刻まれており痛々しい。頸も胴も四肢も美しい銀髪の毛皮が焼けこげたようにずたずたにされている。
「かわいそう。私に治せるかしら?」
「そうだな。リーフウルフに効いたんだ。ニアの魔法は彼らと相性が良いから、上位種のシルヴァルフにもきっと効くだろう」
「シルヴァルフ……。これが……」
ルーナはその名に心当たりがあるらしく、先ほどまでの野生動物を警戒する姿勢から畏敬の念を表す態度に変わる。
「ダエナ、手伝って」
こくんとうなずいてダエナが駆け寄る。
ニアは左手にダエナの右手をからめるようにしてつなぎ、二人でシルヴァルフの大きな貌をぐるりと抱え込む。
「あなたは森の守護者なのね。水源を護ってくれてありがとう。あなたの傷が癒えますように。森の傷が癒えますように……」
暖かな力が二人から湧き出し、シルヴァルフを包み込んでいく。
じゅくじゅくとした赤黒い傷が白い光に覆われる。すぐに皮膚が再生し、銀色の獣毛が生えそろっていく。
再生の光が消え、二人が手を放して疲れたように座り込む。
大きな銀色のオオカミは身を起こし、気持ちよさそうに伸びをしてぶるりと体を振った。
『ありがとう、人の子たちよ』
脳内に直接響く声にニアは目を丸くし、ダエナはにっこりと微笑みシルヴァルフに抱きつく。
「どういたしまして」
すぐにニアも笑って、美しく再生した銀色の毛皮に抱きついて頬ずりをした。
『人の子たちよ、おかげで力が戻った。今度は我が森を癒そう』
そういうと、シルヴァルフはニアたちから離れてローパーの占領していた小島の中心に座る。いつの間にかたくさんのリーフウルフが集まってきており、シルヴァルフの周囲を二重三重に囲む輪を作る。リーも最後列にちょこんと座っていた。
ウォーーン
シルヴァルフが透き通る遠吠えを天に向かって放つ。
追従するようにリーフウルフたちも遠吠えを上げる。
ウォーーン
二度、三度と遠吠えを上げるごとに若草色の光の輪が水面を走り、森を抜け、山々へと駆け渡っていった。
気が付くと足元の水は清々と澄み渡り、毒を含んで固くなっていた土壌はふかふかの寝床のように柔らかく再生して、病んだようにねじくれていた草木は背筋を伸ばし若葉を空に広げていた。
「すごい……。これが霊獣の力、いや聖獣と呼ぶべきか……」
「よかったわね、シーマ。悪いものはすべて取り払われたもの。お母さまの病気もすぐに良くなるわ」
「ありがとうございます。聖霊さま」
シルヴァルフはうなずくように少し頭を下げると、身をひるがえして森の奥へと姿を消した。多数いたリーフウルフたちも一緒に去っていったが、リーだけはニアのもとへと戻ってきた。
「あなたは家族のところに戻らないの?」
ニアが問いかける。
ウォン
リーはきらきらの瞳でニアを見上げ、勢いよく尻尾を振っている。
「そう。じゃあ、私といっしょに来てくれる?」
ウォン
嬉しそうに吠えてニアに体をこすりつけるようにして足下をぐるぐると回った。
「さて、戻ろう。シーマの弟君も心配しているだろうしな」




