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水源

 山が迫っていた場所を抜けたところで山道が少し下り坂になってくる。

 視界が開け、目の前に豊かな森が広がる。森の奥には遥かに高く万年雪を頂いた峰々がそびえている。だがその森は手前になるほど緑が濁り、どす黒いもやに覆われていた。

「これはいったい……」

「何かがいることだけは確かだな。行ってみよう」


 山道は小川の広くなった河原で終わっていた。ここからは河原伝いに水源を目指すようだ。「水の濁りが酷くなってきましたね」

「ああ。これは煮沸しても飲めそうもないな」

 水源に近づくほど水質が悪くなっている。

 本来ならこの時期は可憐な花々が目を楽しませてくれるのだが、どの草木もつぼみは固いままで元気なくうなだれていた。立ち枯れになっている木もちらほらと見える。森全体が水源の毒におかされているのだ。

「シーマちゃんはどこまでいったのかしら?」

「薬草を探していたとすると、もっと奥まで行ったんじゃないか。このあたりの草では薬になりそうにない」

 近くの茂みの葉を千切ると、断面からタールのようなねばつく黒い汁がじゅくじゅくと染み出してくる。

「リー、シーマちゃんの居場所は分かる?案内してちょうだい」

 ウォン

 ひと吠えして周囲の臭いを探る。何かに気づいたように顔を上げると、耳をピンと立てた姿勢を取った後、迷わず歩き始める。

「何か見つけたみたいだな。ついていこう」

 藪に分け入り、獣道をたどるように森を進む。ルーナがニアとダエナを守るように先頭に立ち、俺が殿しんがりだ。

 ザザザ

 左手から葉擦れの音が聞こえる。

「ムッ」

 ルーナが足を止めて柄に手を当てる。

 ガサガサ

 右手からも草むらで何かが動く気配がある。いつの間にか囲まれたようだ。

 グルルルル

 すえた臭いがして、黒い毛皮が目の端を横切る。

 ハッとして正面に目を戻すと、いつの間にか赤く血走った眼で牙をむきだした獣が立ちふさがっていた。

 リーよりも二回りは大きい。

 毛を逆立て、警告の唸り声を上げている。前後左右の藪からも血走った視線を感じる。

 正面のそいつがジリッと一歩を踏み出す。

 ウォン、ウォン

 リーがすくっと姿勢を立てたまま、ゆっくり二回吠える。

 正面の獣の耳がピクピクッと反応を見せる。顔を上げて臭いを嗅ぐ動作をした後、その獣はゆっくりと後退して藪の中に消えた。

「ふぅ」

 ゆっくりと息を吐く。いつの間にか周囲の獣も姿を消している。

「いまのは?」

「リーフウルフの成獣だろう。この森がリーフウルフの生息地ならほかに大型の肉食獣は居ないはずだ」

「でもリーとはぜんぜん違ったわ」

「そうか?リーも最初はあんな風に汚れて痩せ細っていたじゃないか」

「あ、そうだった。すっかりきれいになったから忘れてたわ」

「リー殿が仲間に話をつけてくれたのでしょうか」

「そうだな。リーフウルフは相当知能が高いと聞く。俺たちが森を荒らしに来たんじゃないと説明してくれたんだろう」

 ウォンウォン

「早く行きましょう。シーマちゃんの居場所が分かったみたい」

「お、リーの言葉がわかるのか?」

「そんな気がしただけよ。でも間違いないと思うわ」

 ダエナもうなずく。

「よし、急ごう」


 リーの先導で森の中を進み、いくつか小川を越える。水量は少なくダエナでも飛び越えられるほどの細い流れが森を縦横無尽に走っていた。本来はこれらの細流を抱く森が水を浄化し豊かな水源を維持しているのだろう。だが今はその浄化作用を越えた毒水が垂れ流されているようだ。地面を覆う水苔も多くが黒く変色してヘドロ状になっている。

「なんだ、あれは?またリーフウルフの群れか?」

 老木の根元に黒く汚れた獣が群がっており、何かに顔をうずめている。そのかたまりの隙間から、小さな靴を履いた足がのぞいてた。

「人だわ!誰か倒れている!だめ、食べちゃダメ!」

「落ち着け、ニア。リーフウルフは人を食べたりしない」

 こちらの騒ぎに気付いて獣たちが顔を上げる。リーが歩み寄ると、連中が丸く退き場所を空けた。

「少女です。気を失っているようだ。これは……」

 ルーナが近寄り安全を確認する。続いて俺たちも倒れている少女に近づいた。

「シーマちゃん!」

 あの家にいた男の子と同じ髪色の少女が倒れていた。青ざめた顔いろのせいか、面立おもだちも母親そっくりだ。この子がシーマで間違いないだろう。

 腕に赤黒い火傷やけどのような傷が蛇のように巻き付いていた。

「怪我をしているわ。セオ、何とかならない?」

「毒はリーフウルフたちが取り除いてくれたらしい。傷も今のところは大丈夫だろう。呪いのほうは元を絶ったほうが速いな」

 さきほどリーフウルフ達が群がっていたのは少女の傷を舐めて毒を除去してくれていたのだ。リーフウルフの唾液には強い解毒作用がある。通常の毒ならそれで十分なのだが、リーと同じ巻き付くような傷跡には呪いの力が作用していてリーフウルフの力だけでは治癒しきれないでいる。

「あなたたち、シーマちゃんを助けてくれたのね。ありがとう。勘違いしてごめんなさい」

 ニアがリーフウルフの頭を撫でる。

 よく見るとリーフウルフたちの毛皮にもいくつもの火傷痕が見え、体は瘦せ細ってよれよれの姿をしている。

 るぉぉぉ

 叫びのような風切り音のような異音が響く。

 リーフウルフたちが一斉に同じ方向を向いて、低い唸り声を上げた。

「どうやら元凶が近いようだな。ちょっと様子を見てくる。ルーナ、ここに残って三人を見ていてくれ」

「ダメよ、セオは攻撃手段がないんでしょう?ルーナ、いっしょに行ってあげて」

 うーん、信頼がないなぁ。ま、事実なんだけど。

「しかし、姫様を置いては行けません」

「私たちは大丈夫。リーたちが守ってくれるわ」

 ウォン。力強いひと吠え。

 こくこく、とダエナもうなずく。

「わかりました。すぐに戻ります。くれぐれも、いなくならないでくださいね」

 心配げな瞳でニアの目をじっと見る。

「約束するわ。私もルーナと離れ離れになって心細かったもの。もう二度とあんなことは御免だわ」

「承知しました。行きましょう、セオ殿」

 なんだか深刻な雰囲気になっちまったな。様子を見てダメそうならすぐに退散するつもりだったのに……。

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