農村
馬車で小一時間進んだところに農村があった。耕作地も広く民家がいくつも目につき人口もそれなりに多そうだ。ただ、村の入り口にある小川を渡るときに、この季節にしては草木に元気がないように見えたのが気になった。水量はあるのに葉が萎れていて雑草の育成も悪い。夕暮れ刻だったせいか、村人たちも口数が少なかった。だが宿を営んでいる民家はあって、たまに訪れる旅人は歓迎されているようだ。
「すまないが、お湯をもらえないだろうか」
馬たちの世話をしつつ、薬缶を渡して宿屋の主人にお願いする。しばらくすると厨房のほうから主人が湯気を立てた薬缶を持ってきてくれた。
「はいよ。珍しい組み合わせだねぇ」
「ちょっとした事情があってね。お忍びなんだ。他言無用で頼むよ。お湯をありがとう」
悪い人ではなさそうだが、田舎では噂が流れるのが速い。口止めの分も含めてお礼の鉄貨を握らせる。
「いや、お客さんのことを言いふらして回る趣味はないがね。使用人さんも大変だね」
俺のことを商家の使用人と勘違いたらしい。まあ、実際そんな働きをしているんだから中らずと雖も遠からずか。
井戸に用意してあった盥に水を半分張って、薬缶からお湯を足す。
「リー、おいで」
ニアが荷台からリーフウルフを抱きかかえて下ろす。
「リーフウルフだからリーか。安直すぎないか?」
「あとで立派な名前を考えるわよ。いまは臨時の名前で我慢してね、リー」
これ、絶対定着するヤツだな。ま、ペットにするわけじゃないし、名前は思い入れが少ないほうがいいのだろう。
リーフウルフの子はニアとダエナの誘導に従って、嫌がらずに湯に浸かった。二人で丁寧に毛皮に付いた油じみた汚れをもみ洗いし、お湯を捨てる。再度水を汲んで薬缶のお湯を注ぐ。薬缶のお湯は冷めていたが、リーは嫌がらずにじっと洗われるがままにしていた。
リーフウルフの世話は子供たちに任せて、俺とルーナはそれぞれの馬の世話を進める。
ルーナは貴族の令嬢だが騎士として自分の馬に愛情をもって接しており、一通りの世話を他人に頼ることなくこなしている。騎士らしくあるために女性であることを捨てたと言っていたが、愛馬を世話する横顔には母性が垣間見えた。
「クリステルは幸せものだな。いい騎手に恵まれた」
「そうでしょうか。そうでありたいと思っていますが」
「本人もそういっているさ。な、グラニ?」
ブフゥ
おまえは手を抜かずにもっと力を込めて擦れとばかりに巨体を寄せてくる。
「わかった、わかった。擦るから押すなって」
「ふふふ、あなた方も良い相棒のようですね」
「そうかな?こいつは俺のことを召使いだと思っていそうだが」
フン
当然だ、と鼻息を一つ。
「そうかい、わかったよ、ご主人様。はい、食事だ」
グラニは、わかればよろしい、とすました顔を飼い葉桶に突っ込んだ。
「わあ、フワフワ」
「尻尾の先が白いのね。素敵」
子供たちもリーフウルフを洗い終わったようだ。元の色が分からないほど汚れていた毛並みも、初夏の若葉を思わせる生命力にあふれた新緑色に輝いている。耳はそれより少し濃い深緑だった。太い尻尾の先は綿毛のように真っ白で、若木の木漏れ日を想起させる。
「ひどい怪我ね。セオ、治せないかな?」
「うーん、どうだろう。リーフウルフの毛皮には魔法防御効果があるっていうからなあ。俺の回復魔術では通用しないんじゃないかな」
「何とかならないかしら」
「ニアが治してあげて」
「ダエナ?」
「そうだな。リーフウルフは『森の造り手』っていうし、ニアの植物魔法と案外相性がいいかもな」
「本当?」
「だいじょうぶ」
「ダエナもこういっているし、試してみれば?」
「わかった。手伝ってくれる?ダエナ」
ダエナがコクリとうなずく。
二人でリーフウルフの怪我をしているほうの足に手を当てて、真剣な表情で願う。
「リーの傷がなおりますように」
効果はてきめんだった。見る間にピンクの傷は白い強靭な皮膚に包まれ、柔らかく艶のある緑の毛が生えそろっていく。数分後に二人が手を引くと、リーは確かめるように脚を踏みしめ、それから二人の間を飛び回って喜びを表現した。
「うふふ。こら、リー、はしゃぎ過ぎよ」
「あはは、元気になった!元気になった!」
うむ、良かった。それにしてもニアの魔法の才能は本物だな。
「おーい、お客さーん。夕食の支度ができたぞーぉ」
「お、久しぶりのまともな食事だ。冷めないうちにいただくとしようぜ」
「「はーい」」
ワオーン
「リーはここで留守番だぞ」
「えー、いっしょじゃダメ?」
「奇麗になったとはいえ、野生動物だからなぁ。宿の主人が嫌がるかもしれない」
「そんなぁ。じゃあ、ペットだったらいい?」
「そりゃあ、躾のされたペットなら問題ないと思うが……」
「リーは賢いもの。おイタはしないわ。ね?」
ウォン
「でもなあ」
正直、リーフウルフを人目にさらすのは抵抗がある。せめてニアの所有物だと思わせれば、高貴な方の特別な持ち物として人から狙われることも減るだろうが……。
「そうだ、私のハンカチをあげるわ。こうしてスカーフみたいに巻いて……ほら、これでどう?」
ブラッシングをして、いかにも高そうなシルクのハンカチを首輪のように巻かれたリーはとても気品にあふれた佇まいをしていた。
「確かに、これならペットとして通るな。リー、ニアから離れちゃだめだぞ?」
ウォン
どうやらある程度言葉は理解しているらしい。さすが、伝説の獣だ。
「ニアもしっかりリーの面倒を見るように」
「はい!」
とてもいい返事が返ってくる。
それから四人と一匹で宿の食堂に向かった。
ハーブの効いた鶏肉のソテーと付け合わせの根菜類のグラッセが至福の旨さだった。
久しぶりのベッドは夢のような寝心地だった。




