この世界の片隅に
「ふう、やっと一息つけそうだ。ルーナさん、ここなら安全だ」
「本当よ、ルーナ。ぜんぜん怖いことなんてないんだから。でも不思議ね。こんな広場がどの森にもあるのかしら?」
峠での襲撃を何とかかわして山道を下ること半日、途中の小川で小休止した以外はほとんどだく足(速めの小走り)で駆けてきた。怪我を負ったルーナさんは荷台に移ってもらっている。
ルーナさんの怪我はきちんと手当をする必要があった。
だが、郡境を越えたとはいえ、正規軍に手を出した以上どこまで追手が来るかわからない。この状況で一か所に長居することは出来なかった。どこか安全な避難所が必要だ。
山間の早い日没が近づきていたとき、ふいにダエナが御者台に進み出てきて俺の袖を引いた。
「こっち」
ダエナの指し示す先に、数日前に見たのとそっくりな脇道があった。俺は迷わず脇道に荷馬車を入れて、柔らかな落ち葉の積み重なった道を進んだ。そこには数日前と同じような円形の空間と小さな蓮池があり、清水が湧いていた。
苔の絨毯の上に装備を外したルーナが腰を下ろす。応急処置で巻いた包帯にはすでに血がべったりと滲みていた。
「これは縫わないとダメだな」
「行商人殿は治療の技もお持ちですか」
「治療師のようにはいかないが、移動できるくらいには治せると思う。ひとまず傷口を洗おう」
「かたじけない」
ルーナは躊躇せずにシャツを脱ぎ始める。めくりあげた衣服の下から瑞々しい白い肌がのぞく。
「お、おい」
俺は慌て後ろを向いた。
「すまないが、服を脱ぐのを手伝ってはもらえないだろうか」
「いやいやいや、女性の着替えを手伝うとか、なんのご褒美……いや、そんな難題を吹っ掛けられても無理だから」
「そうですか、お目汚しでしたか。申し訳ない」
「そういうことじゃなくてさ。うら若き女性が男の前で肌を晒すなんて、なあ?」
「私は守護騎士の誓いを立てたときに女性であることを捨てました。どうかお気になさらず」
「そうはいってもなあ」
「ですが治療をしてもらうにはどのみち触れてもらわねばなりませぬ」
ここまできっぱり言われるとウジウジとしている俺のほうがイケナイ想像をしているようで居心地が悪い……。
「主に手伝わせるわけには参りませぬ。どうかお願いいたします」
「……分かったよ」
「助かります」
なるべくルーナの肌を見ないよう、でも傷口に障らないよう注意して服に手を伸ばす。
「なにをしているのっ!」
ぷんぷん、と怒りながらニアが歩いてくる。
「どわわーっと、えっとこれは治療のための準備っていうか、お願いされたからで……」
「もう、ルーナったら、セオに迷惑かけて。ごめんなさいね、セオ。ルーナは頑固なところがあるから」
っと、誤解されてはいなかったようだ。助かった。
「しかし姫様。姫様の手を煩わせるわけには……」
「馬鹿を言わないの。私を守るために傷ついたのでしょう?私にも治療を手伝わせて」
先ほどの怒りは心配の裏返しだったらしい。案じるように潤んだ瞳でそういわれては、ルーナも意地を張ってはいられない。
「わかりました。謹んで姫様の介抱を受けさせていただきます」
「よろしい」
ふう、良かった。
「ちょっと。いつまで見ているの?」
ぎろりと睨みつけたニアの口元が、えっち、という形に動く。
「あわわ、えーと、そうだ、消毒の準備しないと……」
回れ右をして荷馬車に戻る。
両手両足が同時に出ているのを見て、ダエナがけらけらと笑った。
清潔な布を用意して傷口の水気を取る。
背中の左をざっくりと行かれているが、肩甲骨に阻まれて内臓には達していないようだ。
針は火であぶり、縫合用の糸は酒精に漬けて消毒してある。
「麻痺の魔法を使う」
「よろしくお願いします」
傷口に左手をかざして霊的存在に語り掛ける。不可視の光が俺の手からルーナの背中に降り注ぐような感覚があり、ピリピリとした刺激が手のひらに広がる。
「最低限の弱い麻痺を掛けた。縫合の際は痛むかもしれんが、こらえてくれ」
「はい」
消毒した針と糸で傷口を縫い合わせる。魔法が効いたようでルーナは痛みに声を上げることなくじっと身を凝らしていた。
「ふう。仕上げだ。回復魔法を掛けるぞ。俺の実力じゃ傷を治すことまではできないが、化膿止めくらいにはなる」
「助かります」
再び傷口に左手をかざす。今度はじんわりと手のひらが温まる感触。
傷口の血がすぐに固まって瘡蓋になり、下の皮膚が盛り上がったようになる。
「終わったよ。しばらくは麻痺が残ると思うが、すぐに感覚が戻るだろう。痛みがないからと言って無理に動かさないように」
「ありがとうございます」
俺の回復魔法は冒険者になる前に手当たり次第に習得した魔法の一つで最低レベルの熟練度しかない。たいていは血止めや痛み止め程度の効果しか得られないが、一人でダンジョンに潜ったときにはとても重宝した技だ。ルーナの傷がいつもより治りがいいのは、この場所が神聖な霊力に満たされているからだろうか。
何となく振り返ると御者台に腹ばいに寝転んでこちらを見ていたダエナと目が合った。ダエナは俺を労うようににっこりと微笑んだ。




