山間の寒村
山道を灰色の騙馬が牽いた荷馬車がゴトゴトと進んでいく。
静かな荷台に意識を向けると、すやすやと心地よさそうな寝息が聞こえる。
蓮池で出会った少女は言葉少なにお腹が空いたとか喉が渇いたといった希望を述べるのみで、名前や住んでいるところを聞いてもきょとんとしているだけだった。森の中に放置するわけにもいかず、人家のあるところまで荷馬車に乗せていくことにした。
「そのままでは山の気候は寒すぎるだろう。こちらに着替えてくれ」
そういって売り物の古着から適当に見繕った女の子用の衣装を与える。奇しくもニアとダエナは姉妹のような出で立ちとなった。
「これを履くといい」
荷台の隅にしまってあった小さな木靴を取り出す。裸足のダエナの足にピッタリと合う。
「すごい、ぴったりだわ。これも売り物なの?」
「いや、そいつは前から荷馬車に積んでいるものだよ。いつ何時、裸足の女の子が現れてもいいように常備しているんだ」
おどけた口調で説明する。
「なにそれ。ヘンなの」
ニアがころころと笑う。
つられるようにダエナもにこにこと笑っている。
「ダエナ、馬車から転げ落ちないようにしっかりつかまっているのよ」
ダエナの面倒はニアに任せておいて良さそうだ。ダエナもすっかり懐いた様子でニアの指をぎゅっと握って離さない。
たっぷりとした朝食を終え、手早く道具を片付けて峠越えの田舎道を進む。
昨日の野盗の待ち伏せを警戒したが、人の気配はないまま薄暗い森林地帯を抜けた。
緊張の糸が切れたのか馬車の程よい揺れのせいなのか、ほどなくして子供たちはまどろみの中に落ちていった。
御者台から振り向いて子供たちの様子を見る。
お互いを抱きかかえるようにして眠る姿は、神殿の中央に祀られている女神アイナスの似姿のようだった。
昨日今日と出発が遅れたこともあり、日中の移動距離はあまり稼げていない。予定では今日中に峠を越えられる見込みだったが、どうやらたどり着けなさそうだ。
その日は谷間の小さな村に宿を頼むことにした。
宿代の代わりに塩や小麦を提供する。おかげで夕食には新鮮なアユの塩焼きにありつけた。
「この子をここに来る途中の森で拾ったのですが、どなたか知り合いは居ませんか?」
「さあ、見ない子だねぇ。そもそもこのあたりには歩いていける距離に村はないし、この通り、村には若者もおらんしねぇ」
駄目でもともとと聞いてみたが、やはりダエナのことを知る者は居なかった。
「セオ、ダエナちゃんを置いていくの?」
「うーん」
「見ての通りの寒村だからねぇ。働き手にもならない幼い子を引き取るのは無理だよ」
「私が面倒を見るからダエナを州都まで一緒に連れて行こうよ、セオ。ね、いいでしょ?」
ニアはたった一日でダエナと離れがたくなってしまったらしい。ダエナもすっかり懐いているようで、ニアの指を小さい手でぎゅっと握っている。その手をあやすようにニアの右手が小さくトントンと叩いていた。
「ま、しょうがないな」
女の子が一人だろうが二人だろうが苦労は変わらないだろう。食い扶持は……まあそんなに大食いってわけじゃないし。なんとかなる、と、思う。
「やった。ダエナちゃん、いっしょにアウナーラに行こう」
ダエナは話を理解しているのかどうか、ニアに合わせてにこにこと微笑んだ。
「じゃが気をつけてな、旅の人。山向こうは魔物が多いと聞く。つい先月も峠の先で鳥の化け物に商隊が襲われたっちゅう話だよ」
鳥の化け物か。人間を襲うとなるとハーピィかロック鳥か。厄介だな。
「貴重な情報をありがとうよ。婆さん」
「ははは、ええよ、ええよ。今夜はゆっくりしておいき」
「ねぇねぇ、お婆ちゃん。使っていない鍵とか誰かの忘れ物の鍵とかってない?」
「鍵かい?こんな田舎の村じゃ、鍵をかけるところも少ないからねぇ。……そうだねぇ、ちょっとお待ち」
家主の老婆がよっこいしょと腰を上げて居間に一つしかない箪笥の引き出しを探る。
「何年か前に通りかかった旅の若者が忘れていったものだがね。もう取りに来ることもないだろうねぇ」
そういってくすんだ真鍮の鍵をニアの手のひらに乗せた。鍵の持ち手の部分に四ツ組みにした革紐が結んである。
「わあ。お婆さん、これを売ってくださる?」
「お代はいいよ。もとは人様のものだし」
「いいえ、商人の娘として、無料で譲っていただくわけにはまいりません」
おいおい、勝手に俺の娘を名乗るなって。無理があるだろう。
「ほほほ、しっかりした娘さんだねぇ。あんたの育て方がよかったみたいだね」
「いやー、あはは」
受け入れられちゃったよ。っていうか、俺って子持ちに見えるの?
まだ恋人もできたことがないのに……。ショックだ……。
婆さんはニアが渡す銅貨をニコニコと笑みを浮かべて受け取った。こんな山奥じゃ物々交換が基本で貨幣が使える機会もほとんどないだろう。婆さんは孫が河原で拾ってきた奇麗な石を大切にしまうように丁寧に手ぬぐいに包んで箪笥にしまっていた。
初夏とはいえ山の夜は冷える。その夜は、筵を敷いただけの粗末な寝床だったが、囲炉裏の残り火のおかげで暖かく過ごすことができた。




