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森の避難所

「ふう、逃げ切ったようだな」

 しばらく駆け足で距離を稼いだのち、だく足にペースを落として進む。

 ガタゴトと揺れる荷馬車を振り向いてニアの様子をうかがった。

「ニア、大丈夫か?」

「ええ、問題ないわ。ただ、あなたの商品を投げちゃったわ」

「まあいいさ。たいして値の張るものじゃないし、通行料として進呈するよ。連中が捨てずにちゃんと料理に使ってくれればいいんだがな」

 ニアの口からうふふと笑いが漏れる。どうやら大丈夫そうだ。

「これからどうするの?」

「そうだな。日没も近いようだし、野営するしかなさそうだが」

「あいつら、追ってこない?」

「馬は持っていなさそうだからすぐには追いついてこないとは思うが、近くで野宿ってわけにもいかないな。どこか安全な場所を確保する必要があるが……」

 近くに村や山小屋のようなものはなさそうだ。

 どうしたものかと悩んでいると、ふいに場違いな香りが鼻をくすぐった。

「いい香り。何かしら?」

 いつの間にかグラニも並足に戻っている。

「これは蓮の花の香だな。近くに蓮池なんかなさそうだけど……おっ?」

 踏み固められた古道から脇に入る道があった。ちょうど俺の馬車一台分の幅で柔らかな落ち葉の積み重なった道が見える。

「……ここを入ろう」

 山に向かう古道を離れて脇道に入るとすぐに穏やかな気配に満たされていることに気づく。

 小鳥たちのさえずりが戻っている。日暮れが近いというのに、脇道は心なしか暖かい光が降り注いでいる。わだちのない道は滑らかで、車輪の軋みや落ち葉を踏みしめるグラニのひづめの音もほとんど立たない。荷馬車は穏やかに進んでいった。


「なんだか森の中に迷い込んだみたいね」

 ニアが荷台から顔を出して周囲をうかがっている。

 脇道は絶えず左右に緩くカーブしていて先が見通せない。けれど、グラニは勝手知ったる道のように落ち着いた並足で進んでいく。

「広場があるわ」

 前方に開けた空間が現れた。

 まるでそこだけきれいに切り払われたように円形に平らな地面が広がっており、中央部は柔らかなコケの絨毯が芝生のように覆っている。広場の脇には水苔の生えた古い岩がぽつんと置かれていて、天辺から清水が湧き出していた。流れ出た清水は小さな池を形作り、その半分を蓮の葉がおおっている。

 蓮葉の群れの中央には一輪の花が咲いていた。

 長い茎をまっすぐに伸ばし、幾重にも開いた厚みのある花弁は桃色に色づいている。

「この花の香りだったのね。ずいぶんと遠くまで香っていたけれど」

 陽光の悪戯だろうか、蓮の花それ自体が輝きを放っているように見える。見間違えようもなく蓮の花(かのじょ)がこの広場のあるじだった。

「今日はここに泊まることにしよう」

「大丈夫なの?」

「ああ、ここは安全だ。野盗どころか、オオカミだって入ってこないさ」

 蓮の花に黙礼を送る。物言わぬ花も歓迎してくれているようだ。

「日のあるうちに野営の準備をしてしまおう。ニア、手伝ってくれ」

 馬車の荷台からテントや炊事道具を取り出す。

 都合よく転がっている石を使ってかまどやイスを用意する。

 ニアに簡単なテーブルのセッティングをしてもらっている間に広場の周囲を回って薪を集める。まるで用意してあったかのように乾いた木の枝がすぐに集まった。

「さて、テントも張ったし、夕食の準備をしようか。そこの泉で食器をすすいできてくれ」

「やったことないわ。どうすればいいのかしら?」

 そういえばニアは貴族のご令嬢だったな。

「水を溜めて、食器を回すようにしてすすいで捨てるっていうのを二三回やるくらいでいいさ。こんな感じで」

「思ったより簡単ね。わかったわ」

 俺は荷馬車から食材を出してきて調理を始める。郡都で仕込んだ葉物は痛む前に食べてしまおう。もともと売れなければ自分で食べるつもりで仕入れた品だ。かまうまい。

 乾燥したハーブと一緒に数種類の香草を糸で縛って鍋に入れる。しばらく煮込んで出汁が取れたら縛った香草類を取り出して、食べる部分だけを刻んで鍋に戻す。甘藍キャベツの葉を大きめの短冊に切って太めの芯は半分に割っておく。塩漬けの燻製肉を薄切りにして甘藍の葉と交互に重ねて塊を作り、出汁の入った鍋に敷き詰める。鍋に蓋をして熾火の上に置く。じっくりと火を通すほうが甘藍の甘みが出て旨いのだ。

「いい匂い……あら、どこから来たの?あなた」

 スープを煮込む時間を利用してパンと付け合わせのチーズの準備をしていると、ニアが驚いたような声を上げた。

 広場の端の池に近い木立に手を添えるようにして六歳くらいの幼女が立っていた。

「迷子?村が近いのかしら?それにしてもこんな森の奥まで。ひとりで来たの?」

 幼女はニアをじっと見つめるだけで返事をしない。

「あなた、話せないの?それとも言葉が分からないのかしら。困ったわ」

 そういいならニアは幼女に歩み寄り、目線を合わせるようにひざまずいて優しく話しかける。

「怪我はないようね。おなかがすいたのかな?」

 指をくわえたままでこくんとうなずく。

 初めて反応を引き出せたのを見て、ニアが笑顔になる。

「良かった、言葉はわかるのね。セオ、この子、迷子みたい。ご飯をあげてもいい?」

「構わないよ。たっぷり作ったから、三人で食べても足りるだろう」

「良かった。はい、あなた、こっちに来て手を洗いましょう。あら、あなた裸足なのね。土が付いているわ。泉で足を洗ってちょうだい。あらあら、そのまま来てはダメよ。また汚れちゃうじゃない。いいわ、私が抱っこしてあげる」

 ニアが甲斐甲斐しく面倒を見る姿を微笑ましく見守りながら、貴族の子にしてはやるものだと感心する。こういうことに貴族だとか庶民だとかは関係ないのかもしれない。孤児院でも俺と同い年のはずのリリアが母親のように年少の子供たちの面倒を見ていたっけ。

「できたぞ」

 最後に塩で味を調えて完成だ。

 一人ずつお椀によそって、パンとチーズを添えて手渡す。

「いい匂いね」

「味も良いぞ。なんせ、食いしん坊の姫神様のお墨付きだ」

 俺の分にだけ、黒コショウをミルで挽いて振りかける。ピリリと来る刺激は子供の舌には強すぎるからなあ。

「はい、あなたもどうぞ。名前、なんていうの?ずっとあなたじゃ呼びにくいわ」

「ダエナ」

 鈴の音のような澄んだ声が返る。

「ダエナちゃんっていうのね。わたしはニアよ。よろしくね」

 こくりとうなずいてスープを匙ですくって口に入れる。

 にっこりと微笑んで頬を赤らめる姿は天使のようだ。

「おいしいわぁ。セオ、お料理上手なのね」

「まあ、長年一人で行商人をやっているからな。おかわりもあるぞ。遠慮なく食べろよ」

「うん」

 ダエナもこくこくとうなずく。


 多めに作ったスープはきっかりなくなった。子供たちは食べ終わると同時にもたれ合うようにしてウトウトとし始める。無理もない。初めての本格的な旅で暴漢に襲われたばかりなのだから。

 テントの中でお互いを抱き合うようにして眠る子供たちに毛布を掛けてやる。

 俺は食後のお茶に秘蔵のブランデーを二滴たらしてゆったりと星空を楽しんだ。


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