あんこ
大学のある市街地から、高速にのって北上する。
夏の木々は緑が濃く鮮やかで、クーラーの効いた車内とは別世界が広がっている。
居眠りする部長の顔にペンで落書きしようとするキナコとバックミラー越しに目が合った。
指を立ててシーッという仕種をしている。
私は特別なリアクションもせずに運転席の隼人と会話を続ける。
「隼人は就職とかどうするの」
「これから遊びに行くってのに就活の話かよ、まったく真面目だな木嶋は」
煙草を灰皿に押し付けてふうっと息を吐く隼人は後続車を確認してからウインカーを出す。
加速しながら車線変更し、遅い車を追い越していく。
「将来のことはあんまり考えてないな。正直に言うとね、オレは海外で暮らしたいんだよ」
「海外?英語得意じゃないだろ」
「うん。全然喋れないよ。でも英語圏も含めてさ、色々とこの目で見てみたいんだ。世界のこと何も知らなすぎるから」
隼人が海外、そんなこと一度も聞かされたことがなかった。
「そうだ、キナコも最近中国語勉強してるよな」
「わあ。先輩良く覚えてますね。大学図書館でたまたま特集が組まれてて、元々興味あったわけじゃないんですけど、話せたら便利かなって」
まさかキナコまで外国語を習得しようとしてたなんて。
急に寒気がしてクーラーの排気口を閉じる。
「ボクの甥っ子もペラペラだったなぁ」
いつの間にか目を覚ましていた部長が、小学生の甥と散歩をしているときに外国人に道案内していたと話す。
「へえ、部長の親戚だから頭良さそう。ププ」
「キナコくんどうして笑ってるのかね。ボクの顔にまるで米粒がくっついているみたいじゃあないか」
「米粒だったら洗って落ちますよ」
「なんだい隼人くん、米粒だったらってのは」
眉毛を油性ペンで繋がれた部長が怪訝そうな顔をしている。
キナコはクッションに顔を埋めて肩を震わせている。
ーーーーー
キャンプ初日は雨が降った。
到着したときにはざあざあ降りだったが、夕方になるころにはピタリと止んだ。
テント泊の案も出ていたものの、多数決で割れていた。
私とキナコは民宿を、部長と寺門さんはテントをそれぞれ推していたのだけれど、寺門さんが来れなくなったこともあり、道中エアビーで貸切の物件を探していた。
「木嶋くん、どこか安くて良い物件は目星がついたのかね?」
泥まみれのキャンプ場を寂しそうに見つめる部長が囁く。
「せめて雨が降る前なら良かったのになあ。キナコもそう思うだろ」
「ね、隼人先輩の言う通り。残念だけど民宿に向かいましょうよ」
四人で一棟借りることで、普通にビジネスホテルに泊まるよりも金銭が抑えられる。
一人で一棟は高いが、大人数だと頭数で割ることができるのでリーズナブルだ。
「食材買いだそうと思ってたスーパーあるじゃん?そこの町に四人泊まれそうなところあったよ。ホテルみたいに完全に部屋が分かれているわけではないみたいだ。それでも大丈夫?」
私の提案を誰も拒否することなく、ついでに温泉街に立ち寄ることになった。
山あいに集落が点在しており、各地域に秘湯で名高い温泉施設が営まれている。
温泉のある宿は高価格帯であることも多いので、風呂なしの民宿を選び、徒歩で日帰り温泉を楽しむつもりだ。
山間部の天気はコロコロ変わってしまう。昨日までの予報とは違っていた。曇りマークが雨マークに変わっていたのに、もう曇りマークに戻っている。
隼人のお兄さんのハイエースはフロントガラスに撥水処理がしてあるとかで、ワイパーなしでも水滴が風圧で吹き飛ばされていく。
他人に運転してもらうとすっかりリラックスしたまま目的地に着くまで身を委ねているだけでいい。
知らない土地では交通ルールや車線の数にドキッとしてしまうことがある。
隼人の運転はスムーズで、どこまでも遠くに行けそうな気がしてくる。
やがてトンネルを抜けると山深かった景観が、街灯に照らされた街並みが霧の向こうにちらほら見えてくる。
民宿にチェックインを済ませて、日帰り入浴可能な施設を目指して歩く。
傘を差した観光客も疎らで、静かな田舎の街並みが返って風情を醸している。
四人が二列になって石畳の道を進む。
私はカメラで三人を画角に収める。
キナコと部長の後ろ姿と、隼人の横顔がファインダー越しに淡く発光している。
黄ばんだ街路灯が放つ光は雨の微細な粒で乱反射する。
終日移動づくめの探検部メンバーを光が優しく包んでいる。
「部長、あたしたち探検部って名ばかりで、結局観光地でぶらぶらしかしてないですよね」
「コホン。探検というのはだねキナコくん、未知の領域を調査することなんだよ。ぶらぶらとはいえ、自分の心の中でもいい、新しい発見をすることで…」
「あ、あれじゃない?オレンジの看板!」
部長の教えを遮って、キナコが駆け足になる。
濡れたアスファルトにキナコの足跡ができては消えていく。
「まったく、誰かボクの話をまともに聞いてくれる人はいないのかね〜」
「ハハ、部長らしくていいじゃあありませんか」
「ふん。読者モデルのような隼人くんに言われてもイヤミにしか聞こえないがね」
隼人は背が高く、すらりと伸びた背筋の先に切れ長の目が特徴的な好青年だ。部長のやっかみも分からないでもない。
私は物知りなのにどこか間の抜けている部長には愛嬌があって好感が持てるし、隼人の言いたいことだって理解できる。
「木嶋先輩?」
天然温泉と書かれたオレンジの看板の下に来たとき、キナコが顔を覗き込んできた。
「どうしたんですか、考えごとですか?」
「ん。いや、まあそんなところかな」
「やっぱり!先輩ってときどき遠くを見ているときがあるから、すぐに分かっちゃいます。バレバレですよ〜」
傘の表面で雨がたまっていく。小さな水滴が集まって次第に大きくなり、表面張力いっぱいまで膨らんで、私とキナコの間で落っこちていく。
「先輩、早く入りましょうよ」
すでに傘をたたんでいたキナコが手招きをする。
私の横を隼人と部長が通り過ぎていく。
(続)




