いなご
部長のメガネが曇っている。
夏の蒸し暑さが森を埋めつくす。
ドングリが落ちる前のクヌギの下で私は黙りこむ。
ギザギザの葉っぱが重なり合って空が隠されている。
木漏れ日はいくつもの焦点を結び変えていく。
眼球に力がこもる。
脳が連動して収縮と膨張を繰り返している。
宇宙の一部が脳の神経をはしごしているとき、目の前で濡れた雑巾のように部長のからだはねじり曲がった姿勢を維持している。
地面には落葉の腐ったところがあって、その下でせっせと仕事をする虫たちの叫びが森全体を震わせている。
聴診器を当てることで幹の中の導管を滑る水の音色を聞き分けられることと同じように、鼓膜に土くれをまぶせばたちまちにして虫の言葉が脊髄に転写される。
喉の渇きを潤すために、私は爪で木の皮をむしる。
ただひたすらに爪の間に亀裂が走り赤と茶色の混合物が付着していくとき、水分の訪れを否応なしに求めていることに気がつく。
渇望と文字にすると簡単に思えるが、本当にそれがないと生きていけないとしたら、意味を理解するのは極限のタイミングになる。
山は麓よりも暗くなるのが早い。
夏でも午後五時にはライトがなければ途方に暮れるほどの闇が四方から迫ってくる。
闇が新たな闇を育み、木陰には悪魔が宿る。
地底からおびき寄せられた大蛇の行進が、とぐろを巻いて部長の四肢を飲み込んでいく。
その光景をなす術なく私は見守ることしかできない。
砂が隆起して、あるところは陥没していく。
そうして部長のからだは砂時計のようにくるくると回転しながら地球の根元へと運ばれていく。
「行かないんですか?」
声のするほうを確認したいのだが、腹這いの私の背中にはなにやら重いものがのしかかってしまっていて、どうにも首を起こすことができない。
「寺門さん、降りてくれないか」
「フフ。イヤですよ。タクちゃんは男の子なんだから、振りほどいてみなさいな」
腰を勢いよく回そうと試みたけれど、がぶり四つでホールディングされたようにびくともしない。
昔話には、意地悪な猿が石臼にのしかかられてこらしめられるという有名なシーンがある。
きっとあの猿は自分の身に何が降ってきたのかを確認する間もなく絶命したのだ。
背後から一網打尽にされたのでは、相手を罵る権利すら与えられない。
誰だ、誰なんだ!
そんな雄叫びをあげる余裕があるならまだいいだろう。
七階建てのマンションから百キロの重りが落ちてきたとしたら、気づいたら天国にいる可能性がある。
どうせならひと思いにやってくれ、苦しまないように。
仮に苦しんだとしても終点は同じだから、忘れる。
死人に忘れるという動詞が適用できるとも思えないのだが。
「どうして跳ね除けないの?」
「寺門さんが重いからだよ」
「重くなんてないよ。重いと感じているとすればタクちゃんの責任じゃない?勝手にそう思い込むのはやめにしようよ、なしにしよう?」
「重いから重いんだ。理由なんてないよ。ただ重い、それだけ」
ふーん、と呟いて寺門さんが首を傾げる。私には傾げているところは見えないから想像でしかない。
想像はときに現実を超えることがある。するとヒトは想像を現実と倒錯することがある。
良く言われる現実逃避もそのうちのひとつだ。
「じゃあキナコさんだったらどうなるの?重いって言う?」
「なんで急にキナコが出てくるんだよ」
「例えばの話じゃない。重い、重くない?」
「そりゃあある程度は重いだろうよ。誰しも質量を有しているのだから」
クヌギの木立の真ん中で私はずっとうつ伏せになっている。喋る度に口に砂粒や泥が侵入してくる。
奥歯が砂利で軋む。かみ合わせの悪い犬歯で舌を噛みそうになる。
たくさんの土砂を食べたら体調が優れないことは明白だ。でもそれが致命的なダメージを臓器に与えるかどうかまではやってみないと分からない。
アリやダンゴムシがのさばる土壌ごと食らいついてみようか。
反射的に思考が鋭くなった。
前触れのない発想に心が清々しくなった。
大きく顎を開けて、舌をのけぞらせるとヨダレがポタポタ垂れてくる。
自分の意志とは無関係に止めどなく流れてくる。
そうしていると糸をひいたヨダレがぐーんと伸びていく。
私のからだが宙にすくい上げられて、地面から遠ざかっていく。
背中の重みは変わらずしがみついていて、寺門さんと一緒に浮遊しているのだと分かった。
どこまでも上へ上へと昇っていくとすれば、体温はどんどんすり減っていき、呼吸が苦しくなるだろう。
低体温症と低酸素の空間に私は閉じ込められる。
いつ落とされるか分からない恐怖に悶えながら、二人で永遠に宇宙を目指していく。
「これが寺門さんの力なのか?」
私が質問しても鼻唄を歌ってばかりでろくな返事もない。
危機的な遊覧飛行を楽しむことで、今までに見たことのない景色が眼下に広がっている。
情けないほど美しい山並み、森の青さ。
麓の静けさと谷間に流れる一筋の川。
もしも寺門さんと目が合うならば、それは誠実に向き合うということ。
互いに対面で、要求にいつでも応えられるということ。
だが私はこのままでいいと言ったはずだ。
寺門さんも背中に乗った状態での遊覧船としての私をそう簡単には手放せまい。
いつか来る飛行限界に差し掛かったときに備えて私は腰のパラシュートを探る。
しかしそんなものはどこにもついていない。
一瞬ストラップに触れた。
それはカメラのストラップだった。
パラシュートの紐ではなく、レンズの粉々に砕け散ったあとのカメラだったもの。
(続)




