はおと
十月末にもなると、標高さえあれば木々は色づき、外界とは異なる有り様だった。
隼人が兄から借りていた車はすでに返却が済んでいた。
泥まみれの車体を洗車させられて、撥水コートの料金まで上乗せされたことを嘆いている。
「やっぱり渓谷は癒やされるな」
ゴンドラに乗って、私と隼人の向かいに座る部長はそんなことを呟きながら眼下に広がる広葉樹林帯を満足気に眺めている。
「しみじみしちゃって、どうしたんですか?」
「どうもこうも、キミたちと久々に会えたから嬉しいんじゃないか」
「部長、ストレートですね。告白のつもりですか、ハハ」
隼人が部長の隣に移るとゴンドラが揺れた。
「やっぱり自然は最高だよ」
穏やかな部長は暫く振りの部活を楽しんでいるようだった。
ゴンドラの定員は四名まで、なので部長、隼人、私の三人が一組となり、キナコと寺門さんが後ろの機体に他の客と乗っている。
「キミら海は満喫したかね」
「あー、オレは結局行かなかったんですよ。でも木嶋は下見までしてたらしいです、な!」
「ああ」
「部活の報告書見たけどさ、木嶋くん書いたの?」
「いや、違います。あれはキナコが書きました」
「ふーん、そっかあ。いやね、生き物の写真とか、生態とかまとめてあってさ。なんか探検部のちゃんとした活動っぽかったからビックリしたんだよね」
「え、オレ見てないや」
興味深そうに隼人が部のホームページを検索している。
広葉樹の先端に丸いオブジェのようなものが吊るされていて、それは人が容易に届かなそうな距離にある。
「あれはねえ、宿り木だね」
「ヤドリギ?」
「うん。鳥が飛んでくるでしょう?それでね、種がつくと木から発芽するんだよ。大きな木にさ、取りつくんだよ。凄いよね、普段の生活じゃ見かけないから」
部長の説明に耳を傾けてカメラを向ける。
整然と並ぶ木々のなかには、まん丸のヤドリギを宿しているものが発見できる。
「木はヤドリギから養分を奪われるんだよ。でもふりほどけないんだよ。ズルいと思うかい、木嶋くん?」
「ズルい、とは一概に言えないような気がします。クマノミとイソギンチャクみたいに共生関係にあったりしないんですか?」
「木嶋くん」
「はい」
「共生って言い方は綺麗だから、ついつい容認しちゃいがちなんだけどさ。自分のためなんだよみんな。生きてくために利用してさ、たまたま利害が一致したときにだけ互いに特別感を覚えるわけ」
そこで隼人が「あのーっ」と割って入る。
「ヤドリギ相手にムツカシイ話になってません?」
ゴンドラの中は空調がなく冷えている。
おどけてみせる隼人の笑みにはぬくもりがあった。
「そうだね。隼人くんの言う通りだ。少し横道に逸れてしまったな」
「でも面白かったです、ありがとうございます」
「ときには道を逸脱するのも悪くはない、でもね木嶋くん、それを正当化してはいけないんだ。悪くないことを誇らしげにしてはいけないんだよ」
冬になれば、木の幹が爆ぜる音がするらしい。木のなかで水が凍ると割れるのだそうだ。
淡々と蘊蓄を垂れる部長といるのは懐かしい気持ちがした。
ーーー
「タクちゃんバタフライできるんですよ」
「え、そうなの?木嶋そもそも泳げるんだ」
「木嶋先輩は水球してましたもんね」
「ん、キナコくん詳しいね」
「あれ?部長知らなかったんですか?」
「それ聞いたことないね、隼人くんも寺門くんも初めてって顔してる」
渓谷は岩壁沿いに道が整備されている。
大きな結晶を思わせる特徴的な造形の岩壁が左右に張り出している。
観光客はゆっくりと一方向に進んでいく。
往路は川の流れと同じ向きだ。
「てかバタフライって難しそう」
「名前エビフライみたいですけどね」
「寺門くん、エビフライがなぜ赤いか知ってるかい?あれはね、たんぱく質の変性といってだね」
「あー、天丼食べたいかもっ」
「キナコくん、キミは話の腰を折る天才の称号を与えようか」
「部長のお墨付きゲット!」
「墨というのはね、たとえば墨汁なんかはサスペンションといってだね」
「隼人くん、ボクの真似をせんでいいから」
寺門さんが水筒を出して透明な液体をカップに注いでいる。
私はそれは何か尋ねる。
「これですか?白湯です、サユ」
温まりますよ、と言って私にも一杯くれた。
水筒の蓋の匂いがした。
無味無臭とは返って他のものを強調するときがある。
「美味しいか?」
隼人は私が答える間もなく寺門さんから白湯をもらっている。
「聞いた意味あるのかよ」
「ハハハ、いいじゃん。聞くのはタダだぜ」
吊り橋を渡るとき、キナコがここから落ちたらどうしようって思うんですよねと言うからみんなもそれについて考えたけれど大怪我は避けられないってことで落ち着いた。
私は自分の体が岩盤に激突して一瞬で粉々になることを想像した。でも実感は湧かなかった。
「木嶋くん」
「はい」
「どっちにするんだ?」
「なにがです?部長」
「次の部活は山か、海か」
「どっちもはダメですか」
「二兎追う者は一兎をも」
「得ず」
「なんだ、知ってるんじゃないか」
「知ってはいますが、理解はできてません」
吊り橋を渡りきると神社があって、甘味処やお土産も売っている。
隼人とキナコは縁側で団子を愉しんでいる。
寺門さんは立ったまま白玉ぜんざいを啜る。
部長が三人のいるあたりに歩いていく。
私は吊り橋の出口から四人をフレームに収める。
まだ赤くなりきらない黄や緑の落ち葉の絨毯と、茶色い日本家屋が丁寧に塗りたくられた水彩画のようで、私は絵を描いているような不思議な気分に見舞われたのだった。
(続)




