第55話「燃え残る灰、沈まぬ炎」
勝利の歓声が青玉の広場を包み込んでから、わずか数刻しか経っていなかった。だが、オリンはすでに炉の前に立っていた。
「……まだ、終わっちゃいねぇ」
目の前の火は、揺れていた。
まるで何かを訴えるように――あるいは、何かが燃え残っているかのように。
リィナがそっと背後から声をかける。
「親方。あの勝負、堂々の勝利だったわ。誰が見たって、あたしたちの火は届いたはず」
「火は……見られた。だが、やつらは“消えてない”」
オリンの目は、もう次の戦場を見据えていた。
そう、灰狐商会――グレンはあの場で敗北を認めはしたものの、あの悔しげな表情と、最後に残した一言が気にかかっていた。
『面白い火だ。だが、その炎……どこまで燃やし尽くせるか、見ものだな』
――あれは、引く者の顔じゃない。むしろ、次を狙っている目だった。
フェンが工房に駆け込んできた。
「オリン、ヤバい。王都北区の交易路で……灰狐商会の倉庫が“謎の火災”に遭ったって」
「……自作自演か?」
「いや、どうもそれだけじゃないらしい。内部で『赤炎の刻印』が使われてたって。ギルドの登録者で、あれを扱えるのは……」
言いかけて、フェンは言葉を詰まらせた。そう――オリンを除けば、ほとんどいない。
まるで《火の牙》に罪を着せようとしたようなやり口だ。
「狙いは、こっちを“潰す”だけじゃない……信用を削って、王都での立場を奪うつもりだ」
サーシャが拳を握りしめる。
「やっぱりグレンは、初めから勝敗なんてどうでもよかったんだ。競技会は“火を見せる”だけの舞台。その裏で、こっちを“灰に落とす”準備をしていた……!」
ライラとグリトもまた、憤りを隠せない様子だった。
「なら……今度は“言葉”じゃなく、“仕事”で返してやる。火は……裏切らねぇからな」
オリンは、炉に再び火を灯した。
その炎は、静かに、しかし確かに――青く澄んで燃えていた。
◇ ◇ ◇
翌日、王都のギルド監査官が《火の牙》の工房を訪れた。
証拠もなしに出された召喚状。書面には“刻印魔法による破壊工作の可能性”とだけ書かれていた。
あまりにも粗雑な、しかし“手の込んだ罠”だ。
「親方。出頭すんのか?」
フェンが言うと、オリンは短くうなずいた。
「行く。俺が、火で築いた名だ。俺が、正面から燃やし返す」
工房の空気が重くなる中、サーシャが一歩前に出た。
「なら、私たちは――工房を、守る」
「……頼んだ」
互いに一言ずつ交わすだけで、通じ合える関係。
そう。今やこの工房は、家族だった。
◇ ◇ ◇
ギルド本部。石造りの重々しい建物の中、オリンはひとりで部屋に通された。
迎えたのは、あの競技会で審査を務めたトロワ・ザンナだった。
「……やはり、お前の火には、色がある。だから狙われる」
「色……?」
「グレンは、“透明な火”を望んでいた。だが、お前の炎は“青”かった。揺れて、時に荒れ、だが芯は燃え尽きない。それを見せられて、黙っていられる人間じゃない」
トロワは静かに書類を一枚見せる。
「だが、心配は無用だ。お前の技術と、弟子たちの火――私はしかと見た。ギルド本部として《火の牙》への不正な告発を一時凍結する」
「……恩に着る」
「恩ではない。これは、“職人としての責任”だ。お前の火を……見届けたいだけだよ」
◇ ◇ ◇
工房に戻ったオリンは、静かに呟いた。
「勝負は、次が本番だ」
それは“火と灰”の戦いの、真の幕開けだった。




