第52話「炉を継ぐ者たち」
リィナ・クローネが《火の牙ギルド》に加わってから、一週間が経った。
最初は慣れない手つきで炭の運搬をしていた彼女も、今では炉の温度変化に目を凝らし、火箸を握る手に少しだけ自信が宿るようになっていた。
「親方、炉の赤がちょっと鈍い気がします。薪、乾燥が足りてないかも……」
「見えてきたな」
オリンは短く返すと、代わりに火吹き竹を手渡した。
「吹いてみろ。火を育てるのは、道具じゃない。呼吸と、耳だ」
リィナは深く頷くと、慎重に竹を構え、炉の奥へ息を吹き込んだ。
ぱち、と音がし、炎が微かに跳ねた。
「……音が変わった」
「そうだ。それが火の声だ」
その瞬間、リィナの表情がぱっと明るくなった。
「……嬉しい……! 火が、応えてくれた気がしました!」
「気じゃない。応えたんだ」
オリンの言葉に、リィナは唇を噛んで頷いた。
横で見守っていたサーシャも、思わず頬を緩める。
「親方があんなに早く火を見せたなんて、ほんと、すごい子ですね」
「……火の目を持ってる。素材に触れたときの直感も悪くない」
フェンが腕を組みながら唸った。
「でも、まだまだ甘いな。薪の積み方も乱れてるし、炉の開閉の癖も粗い」
「ライラ、手本を見せてやれ」
「任せてください!」
ライラは炉の扉を軽やかに開け、薪を三角に積んで空気の流れを作る。
彼女が持ち込んだ自作の火かき棒も、今では工房に欠かせない道具となっていた。
「ほら、こうやって隙間を作ってあげると、空気が入りやすくなるの。火は呼吸と一緒だから」
「……なるほど、すごい……!」
リィナの目が輝いていた。
その夜、工房ではささやかな“鍛冶初火”の祝が開かれた。
弟子たちがリィナを囲み、素焼きのマグに熱いスープを注ぐ。
オリンも、珍しく酒ではなく、ココアを手にしていた。
「……あの。私、言いたいことがあって」
リィナが立ち上がり、皆の視線を一身に集めた。
「私、小さいころ、村の鍛冶屋が火事を起こして……家族を失いました。だからずっと、火が怖かった。でも、《火の牙》の展示品を見て、初めて……火が綺麗だって、思ったんです」
フェンが少し眉をひそめた。
「火で大事なものを失ったのに、火を選んだのか」
「……はい。怖いです。でも、それ以上に、あの斧や盾が……私の心を救ってくれたんです」
サーシャが手を伸ばし、そっとリィナの手を握った。
「私もね、昔は火が嫌いだった。汗かくし、煤だらけになるし……でも親方の工房で、初めて“火があったかい”って思えたの」
「俺も、武器なんてただの殺しの道具だと思ってた。でも――《火の牙》で作る武器は、そうじゃない。誰かを守るためのものだ」
ライラの声が続く。
「私、盾が好き。叩かれても砕けても、誰かを守れるのが、かっこよくて……。リィナも一緒に、そういうの作ろ?」
「……はい!」
焔の温もりと、声の交差。
その夜の炉は、どこか特別にあたたかく感じられた。
だが、その平穏を壊すかのように、翌朝、工房に一通の封書が届けられた。
差出人:灰狐商会。
フェンが封を斜めに睨み、グリトが眉をひそめる。
「まーた来やがったか」
「親方、開けていいですか?」
オリンは頷いた。
中には、たった一枚の依頼書が入っていた。
【王都鍛冶大会・再戦の招待状】
“灰狐商会主催”と明記されたその大会は、表向きは技術向上と交流のための催し。
だがその実、名目と権威を利用して《火の牙》の評判を潰すための罠――それは誰の目にも明らかだった。
「どうする、親方……?」
静寂が落ちた工房で、オリンはただ炉の火を見つめていた。
「――受ける」
弟子たちの背筋が伸びる。
「……俺たちは“逃げない”。火の前で、正面から戦う」
サーシャがゆっくりと頷いた。
「うん。あの日、ローデリックさんにも届いたって思えたあの火を……今度は、もっと大きく燃やそう」
フェンが刀の刃を拭き、グリトが魔導設計図を広げる。
ライラが笑った。
「火の牙、全開でいくよっ!」
リィナも、拳を握った。
「私も、何か作りたい。まだ下手だけど……せめて、みんなの支えになりたいんです!」
オリンは一つ頷き、炉の中に新たな薪をくべた。
火は、音を立てて唸りを上げる。
まるで、再戦を待ちきれないかのように。
――炎は、挑戦を恐れない。
《火の牙ギルド》。
その名が、再び王都を揺るがす日が近づいていた。




